2025年12月21日(日)逗子教会 主日礼拝説教/クリスマス礼拝
■聖書 イザヤ書6章1〜3
    ルカによる福音書2章8〜20
■説教 「小さくて偉大な夜」小宮山剛牧師
 
   クリスマスおめでとう
 
 クリスマスおめでとうございます。今年も主のお守りにより、共にクリスマスを迎えることが出来ました。神さまに感謝いたします。
 私は教会で迎えるクリスマスとしては、今年でおそらく63回目だと思います。「おそらく」というのは、私の両親はクリスチャンでしたので、私が生まれた年も私をおんぶしてクリスマスの礼拝に出ただろうと思うからです。しかし私が大学生の時は、教会を離れ神さまを信じなくなりましたから、教会のクリスマスには行きませんでした。代わりに何をしていたかというと、24日のクリスマスイブは酒を飲んだくれていました。しかしそんなときでも、ふと、教会でクリスマスを過ごし、讃美歌を歌ったことを思い出したりしたものです。
 さて、クリスマスで読まれる聖書箇所は、たいていマタイによる福音書の東方の博士たちの出来事か、あるいはルカによる福音書の馬小屋におけるイエスさまの誕生の出来事、あるいはそれに続く野宿していた羊飼いに起こった出来事の箇所ということになります。昨年のクリスマス礼拝では、マタイによる福音書の博士の出来事の所から説教しましたので、今年はルカ福音書のほう、ということにいたしました。
 ここもまた何十回も説教し、また礼拝で聞いてきた箇所です。しかしそのたびに新しい恵みを発見できるのが、聖書が神の言葉であるゆえんであると思います。
 
   イエスさまの誕生
 
 きょうの聖書箇所の直前で、イエスさまがお生まれになります。それもまたよく知られたストーリーです。簡単に振り返りますと、ローマ帝国の皇帝の勅令がでます。住民登録をせよという勅令です。当時の住民登録は、自分の出身地に戻って自ら役所に登録に出向かなくてはなりませんでした。それでマリアは夫のヨセフと共に、夫の出身地であるベツレヘムへと旅をする。直線距離にして100キロ以上の旅です。そこを歩いて、もしくはロバに乗って行かなくてはならない。しかもマリアは臨月を迎えていました。厳しい旅です。ベツレヘムに着いてみますと、泊まるところがない。それであてがわれたのが馬小屋でした。そしてそこで出産となりました。そして生まれたイエスさまを飼い葉桶に寝かせました。
 ふつうに見れば、災難続きの経過ということになるでしょう。あまりにも運が悪いと申しましょうか、神さまの子を宿したにしては、なんという試練の連続かと思います。最悪のタイミングばかりです。受胎告知の時に神さまが遣わした天使ガブリエルの言葉は、本当だったのかと思えるほどです。
 しかしおそらくマリアは、むしろ逆に感謝したのではないか。それは、たしかに困難の連続だったけれども、無事にベツレヘムに着くことができた、感謝。そしてたしかに泊まる宿がなかったけれども、馬小屋が空いていた、感謝。そして生まれたイエスさまを寝かせるベビーベッドがなかったけれども、代わりに飼い葉桶があった、感謝。なによりも、無事に赤ちゃんが生まれた、感謝!‥‥ということだったと思います。不平不満ではなく神への感謝だったに違いありません。
 
   羊飼いの選び
 
 そして神さまが、イエスさまの誕生を知らせた人がいます。それが先ほども申し上げた二つのグループです。一つは、東の国の博士たち。もう一つは野宿をしていた羊飼いたちです。博士たちは、異邦人の代表。羊飼いたちは、ユダヤ人の代表として選ばれたと言えます。
 ユダヤ人はイスラエル人のことであり、それは旧約聖書における神の民です。神さまがお選びになったアブラハムの子孫です。そのユダヤ人に、キリストの誕生を告げ知らせるために神さまがお選びになったのが、野宿をしていた羊飼いたちでした。
 羊飼いと言えば、旧約聖書を読むと、イスラエルの伝統的な、そして代表的な職業でした。アブラハムも羊を飼っていました。イスラエル、すなわちヤコブとその息子たちも羊飼いでした。モーセも長く羊飼いをしていました。ダビデも羊飼いでした。そのように羊飼いは、イスラエル人の代表的な仕事でした。
 しかしその後、事情がだいぶ変わっていきました。イスラエルはだんだん遊牧生活から定住生活に変わり、牧畜から農業へとシフトしていきました。つまり羊産業がメインではなくなり、麦やぶどうの栽培が主流になっていきました。そしてローマ帝国に編入され、国際政治が安定すると、羊も国際競争の波にさらされることとなりました。安い外国の羊や羊製品が入ってくる。それで、羊産業も次第にきびしくなり、羊飼いは低賃金、重労働を強いられることになりました。このイエスさま誕生の時のように、羊飼いたちが野宿をしなければならない。敬遠される職業となっていました。
 かつて「3K」という言葉がありましたが、きつい、汚い、給料安い‥‥という状態です。さらに「羊飼いはウソつき」と言われるようになりました。それで「法廷の証言から羊飼いは除外される」ということになりました。羊飼いは信用されないのでした。
 その羊飼いを、神さまは、イエスさま誕生の知らせを告げるためにお選びになったのです。それは人間の目で見れば、もっともふさわしくない人々です。彼らがイエスさまの誕生を人々に告げるとして、誰が信用するでしょうか。しかし神はその羊飼いをお選びになりました。前回も申し上げたように、神さまの見る目は、人間の見る目とは異なるのです。
 
   天使の賛美
 
 その野宿をして羊の群れの番をしていた羊飼いたち。そこにひとりの天使が現れます。「主の栄光がまわりを照らした」(9節)と書かれています。これは、主なる神さまの光があたりを照らし、厳かな雰囲気に包まれるということです。そしてこのことは、主なる神さまが臨在される。そこにおられるということを表します。
 それで羊飼いたちは非常に恐れました。びっくりしたでしょうし、神さまが自分たちを裁くために現れたと思ったのです。罰を与えられるのだと。ところが神の使いは語りました。(10節)「恐れるな」‥‥裁くために来たのではない。喜びを告げるために来たのだ。続けて言いました。(10〜11節)「わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」‥‥「メシア」となっていますが原文ではギリシャ語の「キリスト」です。この意味を彼ら羊飼いたちはすぐに理解しました。彼らもユダヤ人だったからです。キリストとは、それが救世主、救い主を指すということを理解していました。預言者たちが予言していた救世主、神の子キリストであるということが分かりました。
 さらに天使は告げました。(12節)「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
 しかし「布にくるまって飼い葉桶に中に寝ている」とは、世界の救い主が生まれたにしては、あまりにも地味すぎる「しるし」です。
 しかしそこに、強力な証人たちが登場いたします。天の大軍が現れ、神を賛美して歌った。「天の大軍」とは、天使であり、ケルビムであり、セラフィムであり、天の国の存在がこぞって現れたということです。ケルビムやセラフィムには翼がありますから、それらが飛び交う。そして神を賛美して大合唱!‥‥まさに圧巻です。このような光景は神の国、天の国の光景のようです。ですからこれは天が開けて、天国の光景が見せられたといっても良いでしょう。
 羊飼いたちはどう感じたでしょうか。すばらしいといって、これ以上すばらしい光景はない。まさに神の使いたちが勢揃いして、神の御子キリストの誕生を賛美して歌っているのですから!「このオレたちの所に?!まさか、まさか‥‥」夢を見ているようだったのではないかと思います。
 
   天使の賛美の声
 
 天使たちは賛美して歌いました。(14節)「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
 「いと高き所には栄光、神にあれ」。「いと高きところ」というのは神の国のことです。そこで神さまがほめたたえられ、礼拝されるようにとのことです。
 「地には平和、御心にかなう人にあれ」。「地」はこの世のことです。そして「平和」は、戦争がないという平和のことではありません。御心にかなう人に平和があるように、と言っているからです。平和は御心にかなう人にもかなわない人にも戦争がなくならなければ平和にならないからです。実は、この「平和」という言葉は、ユダヤ人の言葉ヘブライ語で「シャローム」のことです。それは神さまが与えてくださる最高の祝福のことです。神の与えるすべての祝福、平和であり平安であり、繁栄であり喜びです。
 「御心にかなう人」というのは、お生まれになったイエスさまを信じる人、ということです。羊飼いたちの感激はどれほどだったことでしょう。「このオレたちの所に?!まさか、まさか‥‥神さまがこのオレたちのところに!キリストの誕生を知らせるために!‥‥信じられないようなことが今目の前で起こっている」
 
   駆けつけた羊飼い
 
 彼らはその興奮と共に、天使が言った通りベツレヘムに急ぎました。番をしていた羊のことは、神さまにお任せして。そしてついにその赤ちゃんを探し出しました。天使が告げたとおり、飼い葉桶に寝かせられていました。
 うれしくて、うれしくて。彼らは周りにいた人々に、この幼子について天使が現れて告げたことを話しました。人々の反応はどうだったでしょうか?‥‥(18節)「聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」と書かれています。先に述べましたとおり、羊飼いは信用できないというのが当時のユダヤ人の認識でした。ですから、「羊飼いの言うことだからね。眉唾ものだ」と、半信半疑だったと思います。
 しかしマリアは違いました。なにしろマリアは、10か月前、天使ガブリエルが現れて、キリストを宿したことを告げられていたからです。(19節)「しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。」‥‥10か月前、天使が自分に現れて受胎を告知したときのことを思い出していたでしょう。そして、この羊飼いたちの言葉から、そのことがたしかに本当だったことを再確認したことでしょう。
 住民登録のために、身重の体でナザレからこのベツレヘムまで旅をしてきたこと、宿がなかったこと、そして出産が始まったこと‥‥困難の連続でした。そして無事赤ちゃんが生まれた。もちろん感謝しつつも、10か月前の天使の言葉は、本当に神さまのメッセージだったのだろかという疑問が頭をよぎったかも知れません。しかし今、羊飼いたちがやってきて、天使が現れ、その天使が言ったことを告げた。そのとき、マリアは、あのとき天使を通して告げられた神さまのメッセージを確信し、感謝したことでしょう。
 私たちにも同様なことがあります。神さまとイエスさまの存在が身近に感じられて、イエスさまを信じた。しかしその後、試練や困難なことが襲って来て、「聖書に書かれている神の言葉は真実なのだろうか?」という疑問がわいてくる。‥‥そういうことがあるのではないでしょうか。
 私にも何度かありました。信徒であったとき、伝道者になるようにキリストに促されたと信じて献身しました。そして伝道者となりました。しかしその後、なかなかうまく行かない、そういうことがありました。そのようなとき私は、「私は本当に伝道者として召されたのだろうか?」「もしかして自分の錯覚だったのではないだろうか?」と思いました。牧師をやめたほうが良いのではないか、と思ったことさえありました。
 しかしそのようなとき、ギリギリとのところで、主は新しい言葉をくださり、確信を与えてくださいました。
 私たちの主は、私たちを信じる世界へと招いてくださっています。再確認してくださる方です。そのことを信じて、天使たちと共に、羊飼いたちと共に賛美を歌いましょう。


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