2024年10月6日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 申命記19章15
    ヨハネによる福音書8章12〜20
●説教 「光の中へ」 小宮山 剛牧師
 
   わたしは世の光
 
 ユダヤ人の3大祭のうち、もっとも盛大に、また喜びをもって行われる仮庵祭が終わりました。舞台は、引き続きエルサムの神殿の境内です。前回は、姦通の現場で捕らえられた女性をめぐってのやりとりがありました。そこで私たちの罪を負ってくださるイエスさまの言葉が浮かび上がってきました。
 本日はイエスさまの言葉から始まっています。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
 「わたしは世の光である。」この言葉は、原文のギリシャ語で見ますと、もっと強い言い方になります。「この私こそが世の光だ」というような感じになるそうです。つまり、他のものが世の光なのではなく、この私こそが世の光なのだという感じです。
 イエスさまがこのようにおっしゃった背景には、神殿の庭に建てられる大きな燭台のことが念頭にあったものと思われます。仮庵祭では、神殿の庭に大きな4本の燭台が建てられたそうです。その高さは梯子をかけないと、燭台の上にある光源に火をつけられないほどの高さであった。そしてその光は、神殿ばかりではなく、エルサレムの街全体を照らすほどであったそうです。そしてその光の下で、シンバルや琴をかき鳴らして音楽が奏でられ、人々が踊ったということです。昨日の夜までそういう光景が繰り広げられていた。その巨大な光のことが念頭にして、イエスさまがおっしゃった。「あの光ではなく、この私こそが世の光なのだ!」と。
 秋の収穫感謝を兼ねた仮庵祭。それは一週間におよびました。そしてその祭りは終わりました。「祭りのあと」という言葉がありますが、楽しい祭りは終わって、また日常生活に戻る。私は子どもの頃、クリスマスツリーが大好きでした。父親と一緒にクリスマスツリーを飾る。最後にピカピカ電球を飾ります。そしてそれをコンセントにつなげて点灯した時の興奮と喜びは忘れることができません。そしてやがてクリスマスが終わって片付ける。父は几帳面な人でしたので、もと入っていたように箱にきちんと折りたたんでしまう。そうするとなにか「終わったな」と思って、少し寂しさを感じたものです。
 仮庵祭という盛り上がった祭りが終わり、また日常生活に戻って行く。「祭りのあと」という言葉は、祭りの興奮や熱狂から冷めて、虚脱感や寂しさに覆われるようなことをあらわす言葉ですが、この時のユダヤの人々も同様であったと思われます。しかしそこでイエスさまがおっしゃった。「わたしが世の光である」「このわたしこそが世の光なのだ」‥‥それはすぐに消えてしまい、疲労感のある日常に戻るというような光ではない。常にこの世の闇を照らす光、闇の中にいる私たちを照らす消えることのない真実の光。そういう響きがあります。
 
   証が成り立つか
 
 さて、そうしますとファリサイ派の人々が言いました。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」
 これは、きょうの箇所でイエスさまが言われた先ほどの言葉に限らず、これまでイエスさまが公然と語ってこられたことに対して言っているものと思います。仮庵祭が行われている時には、イエスさまは「わたしを信じるものは、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」と語られました。それらのことについてファリサイ派の人々は、「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない」と言ったのです。
 ここで言う「証し」とは「証言」という意味です。すなわち、「わたしを信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」とか「わたしは世の光である」と言うけれども、そのことを証明する人があなた以外にいるのか?と、彼らは言いたいわけです。そしてイエスさまは、天地創造主なる神がわたしを遣わされたとは直接はおっしゃっていません。18節で言われているように「わたしをお遣わしになった父」という言い方をされています。もちろんこれは父なる神さまのことですが、ストレートにはおっしゃっていない。しかし彼らファリサイ派のような宗教家であれば、よほど鈍感な者ではない限り、それが神さまのことを指していることは分かるでしょう。そうすると、イエスが神が遣わした者であることを証明する人が、他にいるのか?と彼らは言っていることになります。
 たしかにユダヤ人の律法では、二人の証人が必要であるということが書いてあります。たとえば、本日読んでいただきました旧約聖書の申命記19章15節では「いかなる犯罪であれ、およそ人の犯す罪について、一人の証人によって立証されることはない。二人ないし三人の証人の証言によって、その事は立証されねばならない」と書かれています。これは犯罪についての言っているわけですが、そのことを準用して考えているわけです。
 しかし、これはもっともなことです。犯人を特定するために二人ないし三人の証言が必要だということは、人を罪に定めることについて、律法はとても慎重に考えていると言えます。たとえば今日の日本でも、そこまで厳格に証人を必要とするということはあまりないでしょう。それで冤罪事件が生まれたりします。ですから2〜3人の証人が必要であるという律法は、それが本当であるかどうかを証明することについては、たいへん慎重でていねいだと言えると思います。
 
   父なる神の証し
 
 それに対してイエスさまは、イエスさまご自身が自分を証ししていること、そしてイエスさまをお遣わしになった「父」が証しをしてくださるということをおっしゃっています。しかしこれは彼らファリサイ派にとっては、証言にならないのでした。たしかにファリサイ派の言うとおりのようにも思えます。自分で自分のことを証言しても、それが証言にならないことは誰でも分かります。たとえば刑事事件で言えば、「わたしは犯人ではない」と、いくら自分のことを自分で証言しても、それは証言としては採用されないことはみな知っています。またこの中でイエスさまは、「父もわたしについて証しをしてくださる」とおっしゃっています。しかし、これも、裁判ではふつうは肉親の証言は証言として採用してもらえなません。そうすると、イエスさまのおっしゃっていることの方が、一般的に見ると分が悪いように見えます。
 しかし、今回のことについて言えば、ファリサイ派の言い方はおかしくなります。なぜなら、イエスさまが「わたしは世の光である」とおっしゃったこと、また「わたしを信じる者は、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」とこの前のほうの所でおっしゃったこと、これについてはどうやって証明したらよいのでしょうか?‥‥イエスさまが世の光であるのか、そうではないのか‥‥これは、実際に体験してみないと分からないことです。イエスさまが世の光であることを体験して理解するより他の証明のしようがありません。「生きた水」についても同じです。イエスさまを信じて、果たしてそうであったということを自ら経験してみるほかはありません。
 また、イエスさまを遣わされたのが父なる神であることを証明するにはどうしたらよいでしょうか?イエスさまが神さまの所から来られた方であることを、どう証明すればよいのでしょうか?
 ヨハネによる福音書では奇跡のことを「しるし」と呼んでいます。これまでこの福音書に書かれているしるしは、カナの村での婚礼の席で、イエスさまが水をぶどう酒に変えられたこと、またサマリアの町で、皆から後ろ指を指されて苦しい人生を送ってきた女性を前向きなものへと変えられたこと、王の役人の息子の病気を癒やされたこと、ベトザタの池のほとりで38年間も病気で苦しんで寝たきりだった人を癒やされたこと、少年の差し出した5つのパンと2匹の魚によって男だけでも5千人もの人々の空腹を満たすという奇跡をおこなったこと、などが書かれていました。もちろんその他にも多くのしるしをおこなわれました。
 しかしそれらの奇跡、しるしは、彼らファリサイ派や祭司長たちにとっては、イエスさまが神から遣わされた方であることの証拠にはならないのでした。彼らにとっては、彼らの要求する、彼らの納得する証拠によらなければ、イエスさまが神から来られた方であることにはならないのでした。人間の要求するとおりにしないと、つまり人間の言うことを聞かないと、それは証拠にはならないというのです。それは創造主なる神に対して、傲慢ではないでしょうか。
 しかし私たちも、かつてはそのように思っていたのではないでしょうか。「この願いを聞いてくれたら、神を信じよう」というようにです。私たちの造り主であり、天地の創造主である方に対して、「わたしの言うことを聞いてくれ。そうしたら信じよう」と言う。
 このような言葉を、聖書のどこかで聞いたなあと思いませんか?‥‥そうです。イエスさまが十字架にかけられた時、ここにいるファリサイ派を含む議会の議員たちがイエスさまを嘲って言いました。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」それと同じです。彼らにしてみれば、十字架という死刑台にかけられたものなどメシアではない、つまり神から遣わされた者ではない。奇跡を起こして十字架から飛び降りたら信じようと言ったのです。
 しかしイエスさまは十字架から飛び降りませんでした。しかし、復活を経て明らかになります。十字架から飛び降りずに、十字架にとどまって死なれたことこそ奇跡であり、神から遣わされた方であることのしるしであり、証拠であることがです。それは私たちを救うために、ご自分の命を献げられた、愛の奇跡であったのです。それこそが証拠であり、イエスさまと父なる神がひとつであることのしるしとなったのです。
 
   キリストを着る
 
 もう一度きょうの聖書箇所の最初の所のイエスさまの言葉を読んでみます。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
 先週水曜日、富山二番町教会の勇文人牧師が突然、亡くなりました。彼は9月に病気が見つかって入院治療中でしたが、先週水曜日に突然、心筋梗塞で亡くなりました。彼は東神大の私の後輩であるばかりではなく、私の初任地である輪島教会の後任の牧師でした。さらに富山二番町教会では、私の次の次の牧師でした。個人的にも、彼とは親しいお付き合いをしてきました。彼は私よりも若いのですが、とても誠実な人で、私はいろいろなことについて彼を信頼してきました。今から17年前、2007年の能登半島地震は3月に起こりました。彼が輪島教会から金沢の若草教会に転任する直前でした。その時、彼は震災に遭ったのです。その後、中部教区に組織された能登半島地震被災教会再建委員会の委員長に私が指名されたとき、書記には勇先生になってもらいました。そこでも私は彼に多くを頼りました。そして彼は、困難な問題の解決に共に当たってくれました。そして今回再び起こった能登半島地震。富山にいる彼が中部教区における現地委員として、前面に立って復興のために情熱を持って取り組んでこられました。私も彼から多くの情報を得てきました。
 その彼が、突然天に召されてしまったのです。9月の中旬に彼からメールをもらいました。そのメールの中で、こう書かれていました。‥‥「輪島の再建まで見守れないかもしれないと考えると悔しいのですが、すべてを主にゆだねて、今は最善を尽くしたいと思います。」‥‥つまり死を覚悟していたのです。私は悲しくなって、彼を励まし、祈っているから輪島の再建を共に見て喜び合おうと、メールに書いて返信しました。
 しかし治療が本格的に始まる間もなく、彼は亡くなりました。私は混乱しました。ひどく悲しみました。「どうして主は、彼が亡くなることをお許しになったのか?」と思いました。輪島教会のある信徒の方からいただいたメールにはこう書かれていました。‥‥「地震と洪水に見舞われ、輪島教会復旧に尽力してくださっている勇先生まで失って、なすすべもなく、途方に暮れています。」
 一昨日、勇牧師の葬式に参列するために富山二番町教会に行ってまいりました。葬式の司式は富山鹿島町教会の小堀牧師でした。葬式の中で、ローマの信徒への手紙13章12節が読まれました。それはこういうみことばです。‥‥「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。」
 これは、勇先生が伝道者として献身する時に与えられた、召命の聖句だそうです。このみことばの中で、「光の武具を身につけましょう」というのはどういうことかと言いますと、「光の武具」とは要するにイエス・キリストのことです。ですからこの言葉は、「キリストを身につけましょう」ということです。言い換えれば「キリストを着る」ということです。イエスさまを信じて、イエス・キリストに包まれるのです。
 そうするとこれはきょうのみことばと完全につながります。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」‥‥キリストという命の光の中を歩む。キリストを着るのです。罪人である私、不信仰な私。しかしそのような私たちであっても、主は、キリストを着ることを許してくださる。包み込んでくださる。そうして私たちは、闇の中から光の中へと映される。闇のような世の中であっても、キリストの光の中で歩んで行くことができる。
 先ほど輪島の信徒の方からのメールの一部を読みましたが、その方はメールの最後にこう書いておられました。‥‥「しかし、全ては主の御手のうえにあり、必ず主の栄光が輝くことを信じています。」‥‥アーメン、であります。大震災に見舞われ、洪水に見舞われ、復興に尽力していた牧師まで失うという試練。しかし全ては主のみ手の内にあるので、必ず主の栄光が輝くことを信じている‥‥。大きな艱難、試練の中にあるからこそ、キリストの言葉が輝き、証しされています。私たちも、キリストを信じた時、全てはキリストの言われたとおりであることが証明されると信じております。これは議論することではなく、信じることです。それによって証明される。感謝します。


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