2023年8月27日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 エフェソの信徒への手紙6:21〜24
    民数記23:11〜12
●説教 「神の祝福の力」

 
   エフェソの手紙の最終回
 
 本日をもって、エフェソの信徒への手紙の連続講解説教を終えることとなります。振り返りますと、昨年12月11日から、この手紙をこの礼拝でご一緒に読み始めました。そして主なる神さまの言葉に耳を傾けてまいりました。そして今日の箇所は、手紙の結びの箇所となります。そしてそれは、手紙の終わりであるのみならず、パウロ自身のこの世の人生の終わりも近くなっているという状況です。なぜなら、パウロはこのときおそらくローマ帝国の首都ローマで、獄につながれているからです。そして裁判を待っている。実際にパウロは、ローマ皇帝ネロの時に処刑され、殉教しています。正確な時は、この手紙が具体的にいつ書かれたのかによりますが、いずれにしてもパウロの死期が迫っていることはたしかです。
 しかし今日の箇所を読みますと、そういうことはみじんも感じさせません。つまり、遺言めいたことや個人の細かな事情は何も書いていないのです。代わりに、自分のことはティキコがあなたがたに話すと、短く書いているだけです。
 他の手紙の結びの部分はどうなっているかというと、たとえばローマの信徒への手紙などは、最後の16章ほぼ全部があいさつの言葉となっています。ローマにいるパウロの同労者および関係のある一人一人の名を挙げて「よろしく」伝えてくれと書いている。そして、今パウロと共にいる人たちからの「よろしく」との伝言を書いています。また、コリントの信徒への第一の手紙は、フィリピの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙などもあいさつや用件を書いています。
 それらに比べると、このエフェソの教会というのはパウロとたいへん関係が深かった教会であるにもかかわらず、何も書いていない。使徒言行録19章を見ると、パウロはこのエフェソでキリストの福音を宣べ伝えました。エフェソはギリシャ神話のアルテミスの大神殿があるところで、偶像礼拝の盛んな地でした。パウロはここで約3年間滞在し、伝道しました。そして教会が成長していきました。そのようにパウロにとって、このエフェソの教会はたいへん関わりの深い教会でした。しかもパウロはこのとき、この世との別れの時も近づいていると思われるのに。個人的な挨拶や用件は何も書いていません。
 これはどういうことかと言えば、パウロはエフェソの教会の信徒たちと、すでに別れを済ませてしまっているのだと思います。それは、エフェソへの伝道もしたパウロの第3回世界宣教旅行の帰り道のことでした。エフェソで伝道したあと、パウロはマケドニア、そしてギリシャに渡り、そこからまたエルサレムへと戻っていきます。
 エルサレムへと急ぐパウロは、エフェソに寄っていきたかったのですが、旅程の関係上寄ることができず、近くのミレトスに到着し、そこにエフェソの教会の長老たちを呼び寄せました。使徒言行録20章に書かれていることです。そこを読むと、パウロは自分が捕らえられて獄につながれることと苦難が待ち受けていることを知っていました。聖霊によって知らされていたのです。パウロは呼び寄せたエフェソの教会の長老たちに言いました。
(使徒20:22〜25)「そして今、わたしは、”霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分っています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。」
(使徒 20:28〜32)「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。」
 そのように語り終わった後、パウロはエフェソの教会の長老たちと共に祈りました。パウロは「自分の顔をもう二度と見ることはあるまい」と言いました。それで、みな激しく泣いて、パウロの首を抱いて接吻しました。そのように、パウロは自らに死が待ち受けていることを知っていました。その上で、神と神の恵みの言葉にエフェソの教会をゆだねたのdす。
 そういうことがありました。すでに別れを済ませていたのです。ですから、今パウロは、獄中にありますが、もうあれこれと細かいことを書く必要はなかったのです。そして、パウロは自分の死を見ているのではありません。その先を見ているのです。すなわち、栄光の神の国、天におられるキリストを見ているのです。
 
   教会に現れる主の栄光
 
 このエフェソの信徒への手紙を振り返ってみますと、この手紙の特徴は、教会について語っているということです。特に前半では、教会とはどういう者かについて語られていました。神の尊いご計画があったこと、それはキリスト・イエスさまによって私たちを救うということ。そしてその救いとは、キリストの体なる教会に加えられるという恵みとなって表れていること。そして、その教会にとって必要なことは何かが語られました。さらに、わたしたちに今必要なことは何かということが語られました。
 こうして、教会というものが、単なる便宜的な集まりではなく、またサークルのような仲良しクラブなのでもなく、私たちのの救いにとって不可欠な者であることが明らかにされました。すなわち、キリストと共に生きることについて、欠かすことができないものであるということです。
 
   ティキコ
 
 さて、先ほど申し上げましたように、パウロの現在の様子は、ティキコが伝えてくれると書いています。ティキコという人がどういう人であるか、よく分かっていません。聖書にはこの人のことについて詳しいことは何も書かれていないからです。そのように目立たない人ですが、使徒言行録20章4節を見ると、彼はアジア州出身です。ですからエフェソに近いところの出身です。そしてパウロの第3回伝道旅行で、ギリシャからトロアスに戻るパウロに同行した人の一人です。そして今日の21節を見ると、「彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です」と書かれています。
 この「忠実に」という言葉ですが、竹森満佐一先生は「信心深い」と訳してもよい言葉だと本に書いておられます。主イエスさまを第一に考えるという人でしょう。また「主に結ばれた」という言葉は、これも何度も申し上げていますが「主の中にいる」という意味です。イエスさまの中で生きて、イエスさまの信仰によって考え、仕える人だということです。このティキコがパウロの様子をエフェソの教会の人々に伝える。
 考えてみますと、パウロの現在の様子を伝えると言ったとき、パウロの何を伝えるかと憂いことがたいせつな問題だと思います。なにを言いたいかと申しますと、たとえば私たちの知らない教会に通っている人に、その教会がどんな教会かと尋ねた時に、どう答えるかという違いがあります。「あなたの教会はどんな教会ですか?」と尋ねると、「塔があって、瓦屋根で白い壁のこぢんまりした教会」というように、建物のことを答える人がいます。また他の人は、「若い人が少なく、高齢化の進んだ教会」というように、集う年齢層がどうであるかと言うことを説明する方がいます。だいたいこの二つが多いように思います。
 しかし、中には「よく聖書を読んで祈る教会です」というように、その教会の信徒の信仰のあり方について答えるか違います。そしてこのことこそが大切なことです。そして、ティキコはそういう答え方をするような人だろうと思います。すなわち、ローマで獄につながれているパウロが、なにを食べさせられているかとか、どのように鎖につながれているかとか、そういうことよりも、パウロがどのように信仰生活を送っているかということを伝えてくれる人であるということです。そこが肝心なところです。
 たとえば、使徒言行録16章を見ますと、パウロたちのフィリピ伝道で、とらえられ投獄されたことがありました。その牢屋で、パウロとシラスは夜中なのに賛美を歌い、祈りをしていました。つまり主を礼拝していたんです。その結果、牢屋の看守とその一家がイエス・キリストを信じて洗礼を受けるということにつながりました。おそらくパウロは、このローマの獄中でも、同じようにしていただろうと思います。それで22節で、「彼から(ティキコから)心に励ましを得るため」と書いている。すなわちパウロがこの手紙の5章19節〜20節で書いていること、すなわち「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい」という、そのものを実践していることをティキコは伝えてくれるでしょう。明日の命も分からぬ囚われの身であるパウロが、そのようにして主を賛美し礼拝している。そうして、エフェソの人々も励ましを受けることができるのです。
 パウロは死の先を見ているんです。すなわち、神の国を見ている。キリストのものとされキリストの体なる教会に加えられた者として、キリストを見ているんです。
 
   祝祷
 
 そして最後の23〜24節は、祝祷となっています。パウロが手紙を祝祷で終えるのは、他の手紙と同じです。この祝祷は、祈りというよりは祝福と言った方がよいでしょう。そして祝福には力があるのです。
 今日の旧約聖書は民数記の中から読んでいただきました。モーセに率いられたイスラエルの民。エジプトを出て40年の後、ついに神さまが約束してくださった「約束の地」の対岸へ到着いたしました。しかしその地を治めるモアブの王バラクは、イスラエルを追い払いたい。しかしイスラエルは人数が多いので難しい。それで、バラムという魔術師に、イスラエルの民を呪わせようとしてバラムを呼び寄せたのです。しかしバラムは、主なる神から、主の与える言葉だけを語るように釘を刺されていました。それで、モアブの王バラクは、バラムにイスラエルの民に呪いをかけるよう頼んだのに、バラムは反対にイスラエルを祝福する言葉を語ったのです。それでモアブの王バラクは怒ったという箇所です。
 この箇所を読んで、多くの人がふしぎに思うことは、「勝手に呪わせておけば良いではないか」
ということです。「その人が呪おうが祝福しようが、何の力があるの?」と思うでしょう。しかし実はそうではないのです。主による祝福には力があるのです。実際に力がある。一方、呪いというのは悪魔の力です。ですから主は、それを覆して、イスラエルを祝福させなさったのです。実際にこのあと、イスラエルの民は約束の地へと渡っていくことができました。そして約束の地を自分たちのものとすることもできました。神さまの祝福に力があるのです。
 そのように、実際に神さまの祝福を伝達するのが、祝祷です。教会の礼拝には、最後に祝祷がありますが、神さまの祝福を受けて世の中に送り出されていくのです。
 私がまだ神学生の時、東京の三鷹教会に通っていました。そこの牧師の清水恵三先生を慕って通うようになったのです。しかしその清水先生が、翌年、白血病となり、入院して闘病生活に入られました。日曜日の礼拝説教は、外部の先生の他、信徒、そして神学生である私も講壇に立つこととなりました。そして毎回礼拝のあとに、清水先生が病院で書いた手紙が書記役員によって読まれました。そしてその手紙の最後には、毎回祝祷が書かれていて、それが読まれました。そして祝祷が読まれると、自然に皆が「アーメン」と唱和するようになりました。それは先生がお元気で、実際の礼拝で祝祷をなさるときの「アーメン」よりも力強い声で「アーメン」と唱和されるようになりました。
 清水先生が入院され、その説教を聞くことができなくなったことは、三鷹教会にとって大きな痛手でした。しかし、その手紙の祝祷に対する「アーメン」の応答に現れているように、かえって教会は心を一つにしていきました。誰も去る者はいませんでした。実際に祝福が表れていると思われました。
 
   恵み
 
 このエフェソ書の祝祷では、まず「平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように」と言われています。このことについて、竹森満佐一先生は、「主イエスがあなたがたを愛していることを、より深く知りますように、ということ」だろうと書いておられます。
 そして「恵み」という言葉が、再び出てきます。この手紙の最初にも出てきました。恵みで始まり恵みで終わる。恵みは、救われる資格のない者が救われることです。愛される資格のない者が愛されることです。私のような者でも救われ、キリストに愛されているということです。それは大いなる感謝です。その恵みを与えられて、私たちはキリストを愛して歩んで行く。神の国に向かって歩んで行くことができる。その祝福です。


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