2022年7月17日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 詩編23編1〜4
    ロ−マの信徒への手紙14章7〜8
●説教 「わたしの主人」

 本日は使徒信条のイエス・キリストについての項目の "我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。" のうち、「我らの主」ということについて恵みを分かち合いたいと思います。
 
   主
 
 イエス・キリストが私たちの主(しゅ)であると述べています。主(しゅ)という言葉は聖書では繰り返し出てきますので、私たちにとってはふつうのことですが、初めての方にとっては不思議に思う言葉の一つかも知れません。ですから、知らない方は主という字を「ぬし」と読んだり「あるじ」と読んだりする方もいます。無理もありません。
 この「主」という言葉ですが、ギリシャ語では κυριοs (キュリオス)です。キュリオスはどういう意味かと申しますと、「持ち主」とか「主人」という意味です。また、目上の人に対して敬意をこめて呼ぶときも使われます。そしてとくに聖書では、神さまに対して使われます。「主なる神」の主ですね。ですからイエスさまに対して使われるときも、イエスさまが神であるという意味も込められているわけです。しかし、基本的には「主人」の主と言ってよいと思います。
 もっとも「主人」という言葉はあまり使われなくなりましたが、それは現代の世の中が、縦社会ではなく、なんでも平等であるべきだという考え方になってきたからでしょう。ただ、そういう現代でも、縦社会に生きている方にはピンとくる言葉のようです。
 以前刑務所の教誨師をしておりましたときに、ある方の個人教誨を毎月1回続けていきまして、その方はヤクザの方でしたけれども、非常に熱心に聖書を学ばれました。そしてついに「私はキリストに決めました」と力強く言ったのです。私は本当に喜びました。しかし彼は続けて言いました。「しかし組は抜けられません。親分には私を拾ってもらって、世話になったからです。勘弁してください」と。まあ私に「勘弁してください」と言われても困るわけですが、私はそれを聞いて「この人が、自分の本当の親分は組長ではなく、イエスさまであることを信じられればいいなあ」と思ったものです。
 ですから、イエスさまのことを親分と呼んでも良いのですけれども、それではなんだか違う世界に足を踏み入れたような感じになるように聞こえますので、日本語の聖書では「主」と表記しているわけです。そしてそれは主人の主であるということ。すなわち、私たちには真の主人がいて、それがイエス・キリストであるということをこの「我らの主」という言葉は言っているわけです。
 
   羊飼いと羊
 
 今日は先ほど詩編23編の前半部文を読んでいただきました。この詩編23編は詩編の中でも最も愛されている詩であると言えるでしょう。それは、そこに詠われている羊飼いの姿が、イエスさまの姿と重なるからです。
 羊という動物は外敵に対してたいへん弱い動物であるそうです。だから守ってくれる羊飼いが必要です。また、羊は近眼で、目の前の草を食べてしまったら、次はどこに行けば食物となる草があるのか分からない。日本のようにどこでも雨が降って草が生える国ならいいのですが、イスラエルではそういうわけにはいきません。また水もそうです。ですから、羊飼いは羊を野獣から守るだけではなく、草のあるところ、飲み水のあるところへと導いていかなければなりません。そうしないと羊が生きていくことができないんです。4節に「あなたの鞭、あなたの杖、それが私を力づける」とありますが、この「鞭」とは羊をたたく鞭ではなくて、羊を襲いに来る野獣を撃退する鞭です。
 そして主である方が、私たちにとって、その弱い羊を守って導き養う羊飼いのようであると歌っているのです。私たちも羊と同じように、弱い存在です。明日どうなるかも分かりません。そのような私たちを守り、養い、憩いの水のほとりに導いて休ませてくださる羊飼い。私たちの主人である主が、どういう主人であるか。それはこの羊飼いのような方である、そのように歌っているのです。それは羊のために心を砕いている羊飼いです。
 イエスさまもご自身を羊飼いにたとえておられます。
(ヨハネによる福音書10:11〜15)"わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。−−狼は羊を奪い、また追い散らす。−−彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。"
 「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われます。そしてイエスさまは、羊を救うために実際に命を捨てられた。それが十字架です。このイエスさまという羊飼いが、私たちの主人、「主」であるということです。羊が羊飼いのために命を捨てるのではありません。羊飼いが羊のために命を捨てるのです。子分がボスのために命を捨てるのではない。逆です。ボスが子分のために命を捨てるのです。それがキリスト、イエスさまであるということです。
 その驚くべきことが、この私に対しても起こったというのです。私は感謝に堪えません。この私のような者にも目を留め、心にかけてくださり、命を捨ててくださった。信じられないようなことです。しかし本当だという。愛されているという。感謝しかありません。その方を真実の神の子と呼ばせていただく。その方を「主」と仰ぐ。誰に強制されてでもありません。感謝して告白しているのです。イエスさまはこの弱い1匹の羊に過ぎない私の羊飼いであり、主人であると。
 
   ローマ14:7〜8
 
 もう一箇所、ローマの信徒への手紙14章7〜8節を読んでいただきました。こう書かれています。
 "わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。"
 「私たちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです」と日本語に翻訳されています。これは新共同訳聖書だけではなく、他の翻訳の聖書もほぼ同じです。主のために生き、主のために死ぬ。すなわち、キリストのために生き、キリストのために死ぬ。
 たしかにそうであるべきかもしれません。しかし、このように言われますと、昔の言葉で言えば「滅私奉公」ということを思い起こさせます。滅私奉公とは、「私心を捨て去って公のために尽くすこと」という意味になりますが、なにかそういうことを思わせる。あるいは、昔の武士が主君のために身を捧げるというようなことです。
 たしかに勇ましい言葉です。しかし私にはちょっと違和感があります。というのは、自分自身が主のために生き、主のために死のうとしているかと言われれば、「すいません」と言わざるを得ないようなところがあるからです。あるいは、「主のために生きよ」とパウロが叱咤激励している言葉なのだろうか‥‥。私にはそうは思えないのです。たしかに「主のために生きる」と日本語に訳すこともできる。そして他の日本語の聖書もほぼすべてそのように訳している。しかしそう訳してしまうと、ちょっと自力の言葉に聞こえる。他力を説いているローマの信徒への手紙であるのに、自力の言葉のように聞こえます。そこにちょっと違和感を感じるわけです。
 この「主のために」と訳している言葉は、直訳すると「主に」となります。英語で言うと「to the Lord」ですね。新欽定訳英語聖書(NKJV)はそう訳しています。「主に生きる」。「主に生き、主に死ぬ」。これは日本語としては変ではないかと思うかも知れませんが、たとえば「趣味に生きる」という言い方があります。そういう言い方に近いと思います。山を愛し、山で生活する人のことを「山に生きる」と言ったりします。そういう言い方に近い。そして山を愛して「山に死ぬ」というような言い方です。
 そうすると腑に落ちるように思います。「主に生きる」、「キリストに生きる」、「キリストに死ぬ」。山を愛し山に生き、山で死にたいと思っている人がいるように、私はキリストの中に生き、キリストの中で死にたいと思っています。これは事実です。主に生きて主に死ぬように頑張れということではない。この私のような罪人であり、つまらない者でも、キリストの中で生きることをすでに許していただいている。そしてキリストの中で死ぬことを許していただける。そう考えると感謝しかないのです。
 
   高山右近
 
 キリストを主として生き抜いた人というと、私は高山右近という人のことがすぐに思い浮かびます。戦国時代のキリシタン大名です。戦国時代の乱世に、カトリックのキリスト教が初めて日本に伝えられました。そしてそれは多くの人々の心をとらえ、またたくまに多くの人々がキリスト信仰に入りました。大名も何人も信仰に入りました。その中の一人が高山右近です。右近は洗礼を受けてキリシタンとなると、まさに信仰第一として歩むようになりました。たとえば、自分の城下の領民が死んだとき、自ら棺桶を担いでその葬送の列に加わりました。当時は、殿様が一般庶民の葬式に参列して棺桶を担ぐというようなことはあり得ないことだったので、庶民はいたく感激したとのことです。それらはすべて右近の信仰から出た行為でした。
 しかし織田信長が死んで、豊臣秀吉が政権を握ると、キリシタンにとって雲行きが怪しくなってきました。そして秀吉はキリシタン禁教令を出すに至りました。そして太閤となった秀吉が九州を制圧するために軍を九州に進めたとき、秀吉は右近の宿舎に人を遣わして、キリシタンの信仰を捨てるように迫りました。そのとき、右近は次のように答えたということです。
 「私は日常、身魂(しんこん)を太閤様にお仕えして参りました。今と言えども、太閤様のおためなら、脳髄をくだき、土まみれにしてもいといません。ただ一つのこと以外には太閤様のご命令には絶対背くものではないのです。その一つのこと、信仰を捨てて、デウス(ラテン語で「神」)に背けとの仰せは、たとえ右近の全財産、生命にかけても従うことはできないのです。それはデウスとの一致こそわれわれ人間がこの世に生まれた唯一の目的であり、生活の目標でありますから、デウスに背くことは人間自らの存在意義を抹殺することになります。キリシタン宗門に入った人は、このことをみな、よく心得ているのです。」(片岡弥吉著、『日本キリシタン殉教史』より)
 このとき、高山右近は35歳。兵庫県明石の六万石の大名でありましたが、その地位を捨てる方を選んだのです。すなわち、右近にとっては、キリストがかけがえのない真の主君であり、主人であったのです。しかし、そのようにすべての地位を失った右近はと言えば、悲壮感漂うわけでも、苦渋の表情を浮かべるわけでもなかったのです。右近は追放後、同じキリシタン大名の小西行長の領する小豆島にしばらく隠れ住んでいましたが、そこから九州の有馬晴信の所に行ったときのことをコエリョ神父はこう書き記しています。「右近は、かつて大名であった身に似ぬ服装をし、ただ6名の従者を連れて秘かにやってきた。だが、領土を失い、このみじめさの中にあるにもかかわらず、以前より満足げでうれしそうにしており、一同から大きな感激と尊敬を持って迎えられた。‥‥」
 右近にとっては、イエス・キリストを真の主人として生きることが喜びであったことが分かります。
 
   仕えてくださった主
 
 主人と僕という関係は、ふつうは僕が主人に仕えるものですが、イエスさまの場合は違います。イエスさまが、この私のような者、私たちを救うために命を献げて仕えてくださった。それが十字架です。そのイエスさまに感謝して、私たちはその方を主と仰いでいるのです。そして、イエスさまによって生かせていただいているのです。


[説教の見出しページに戻る]