2021年10月17日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 哀歌3章25〜26
    マタイによる福音書27章1〜10
●説教 「限界」

 
   悲しい末路
 
 本日の聖書では、イエスさまの弟子であったイスカリオテのユダが自ら命を絶ったことが書かれています。イエスさまを銀貨30枚で売り渡し、裏切ったユダ。そのユダが、自らの行為を後悔し、自殺をする。まるでドラマのような展開です。
 自殺というものは、とても悲しいものです。こんなに悲しいことはないと思います。私も近しい人を自殺で失ったという経験があります。そうすると、自分を責めるんですね。いくら関係ないと頭ではわかっていても、どうしても「もっと何か助けてあげることはできなかったか」と思って責めるものです。そしてどうすることもできなかった自分に、無力感を感じます。どうして自殺なんかしたのか、と思います。
 しかし、それは自殺した本人自身の中に、もう生きておれないというものがあるんだと思うんです。能登半島にヤセの断崖という観光名所があります。それは、松本清張の「ゼロの焦点」という小説で舞台となったところなんですが、それは断崖絶壁に岩がせり出したような場所なんです。残念ながら、その岩がせり出したような部分は、2007年の能登半島地震で崩落してしまいましたが。そのヤセの断崖は、また自殺の名所として知られています。そこで、自殺を思いとどまらせようとして、そのそばに看板が立っているんです。それにはこう書かれています。「自殺する勇気があるなら生きて見ろ」と。本当にそうだなと思います。死ぬ勇気があるなら、生きることができるんじゃないか。ふつうはそう思います。しかし、自殺をした人たちのことを思い起こしてみますと、自殺をする人にとっては、死ぬよりも、逆に生きるということの方により多くの勇気を必要とする、ということなんだと思います。
 しかしやはり私は、どうしても知ってほしい。それは、キリストの救いは、その絶望からの救いである、ということをです。
 
   ユダはなぜ自殺をしたか
 
 1節2節で、イエスさまがローマ帝国のユダヤ総督であるポンテオ・ピラトに引き渡されたことが書かれています。真夜中のユダヤ人議会でイエスさまの死刑が決まりました。そして彼らは、ローマ帝国の法の下で死刑にしてもらおうと考え、イエスさまを総督のところに引いていきました。
 それを知ったユダが、後悔したと書かれています(3節)。「後悔」。それは、言葉からは、聖書で言う「悔い改め」と似ているように見えますが、少し違います。聖書で言う悔い改めも、自分の過ちに気づくことですが、むしろ神さまを信じる方に向かうものです。それに対して「後悔」は、悔いるだけなんですね。間違いに気がついて悔いる。神さまを信じる方に向かっていない。
 それでユダはどうしたかというと、祭司長たちから受け取った銀貨30枚を返しに行きます。イエスさまを捕らえる時と場所を教えるために受け取った銀貨30枚です。それを返しに行く。ところが祭司長たちは、受け取ってくれない。そして「我々の知ったことではない。お前の問題だ」言われてしまう。それでユダは、銀貨30枚を投げ込んで立ち去り、首を吊って死んだ。そのように書かれています。
 そしてその銀貨30枚について、祭司長たちは「血の代金だから神殿の収入にするわけにはいかない」と言って、そのお金で陶器職人の畑を買い、外国人の墓地にすることにしたと書かれています。そうすると、ユダが受け取った銀貨30枚というのは、それで墓地を作るための土地を買うことができるほどの大金だったということも分かります。
 しかしユダにとっては、その大金を投げ返しても、自分の罪の償いにはならなかったんです。取り返しのつかないことをした。そういう自分を責める思いでいっぱいになっていたのだと思います。自分を愛し、使徒として下さり、自分もイエスさまを信じて歩んできた。その主イエスさまを裏切り、お金で売り渡したということ、そしてイエスさまを死刑に追いやったのは自分であるとの強烈な罪責感、恥ずかしさ、みじめさのようなものが渾然と一体になって、自分の心を刺したに違いないと思うんです。ユダにとっては、もはや絶望しかなかった。生きることへの絶望です。
 ユダの自殺は自業自得だと言う人もいることでしょう。しかし、私はとてもそのように言うことはできない。なぜなら、その同じ罪が、私たちの中にもあるはずだからです。また、ユダはペトロや他の弟子たちに比べて、赦されないほどのひどい罪を犯したと言えるでしょうか。前回のように、ペトロはイエスさまを3度も否認しました。他の弟子たちも、死んでもイエスさまに従って行くと言いながら、イエスさまを見捨てて逃げて行ったんです。
 
   太宰治
 
 ユダはなぜ自殺をしたのか。たしかにそこには絶望がありますが、ユダはキリスト・イエスさまに出会いながら、なぜ絶望で終わってしまったのか。このことを、日本文学の代表的作家である太宰治をとりあげて考えてみたいと思います。なぜ太宰を取り上げるかと言えば、太宰は聖書を愛読し、キリストに相当親しんだ人であるということ。そして、太宰自身が自ら命を絶った人であるということからです。また太宰は、イスカリオテのユダが祭司長たちのところにイエスさまを売り渡す相談に来たときのことを「駆込み訴え」という短編小説にして書いています。
 太宰治については、言うまでもないことですが、この21世紀の現代におきましても、依然として多くのファンを得ている小説家です。明治時代が夏目漱石、大正時代が芥川龍之介であるとしたら、昭和を代表するのは太宰治だと言っていいでしょう。太宰治について、私は語るほどの知識がありませんので、ここは日本のキリスト教会を代表する伝道者の一人である、奥山実先生の書かれた『漱石・芥川・太宰と聖書』(マルコーシュ・パブリケーション)によって見たいと思います。
 夏目漱石、芥川龍之介、太宰治はいずれも近代日本を代表する作家ですが、この3人はいずれも聖書を愛読したことでも知られています。奥山実先生は、自分の家に太宰論の本が30冊ぐらいあるということですから、そうとう詳しい人です。その奥山先生は、太宰について「ほとんどキリスト者である」と書いています。「ただし『ほとんど』である」と。そして、「ほとんどキリスト者であるということと、キリスト者であるということについては、まさに紙一重の差だが、天地の開きがある」と書いています。そして太宰と共に、昭和23年に玉川上水に身を投げた愛人の山崎富栄も、そういう意味でほとんどキリスト者であった、としています。
 そして、太宰と聖書の関係については、たとえば上智大学教授だった村松定孝は、「‥‥私事にわたるけれども、私が戦前戦後を通じて接した太宰との10年間の交際において、彼を訪ねるたびごとにほとんど聖書の言葉を口にしなかったときはないくらい、常にキリストをたたえ続けていた‥‥」と書いているとのことです。それほどまでに聖書に親しみ、キリストに心酔した太宰が、なぜ自殺をしたのか?
 奥山先生は、太宰は純粋な理想主義者だったと言うんです。たとえば太宰の次の言葉をあげています。「私は純粋というものにあこがれた。無報酬の行為。全く利己の心のない生活‥‥」(太宰治『苦悩の年鑑』)。つまり透き通ったグラスのように純粋な理想主義者は、邪悪なこの世に、生きる場所はないのである、死ぬ他はなかったのだと述べています。
 では、なぜ愛人の山崎富栄と共に死んだのか、という点は興味深い点ではありますが、今日の説教の本題から離れますので、今日は触れません。ただ、太宰と富栄は愛するがゆえに死に向かったのである、と奥山先生は述べています。
 太宰の弟子の一人に、詩人であり文芸評論家の菊田義孝がいましたが、彼はキリスト者でした。その菊田が、昭和22年7月14日に太宰を訪ねたときのことを書いています。‥‥”「おれはこれから一年ぐらい経ったら、ある女と一緒に死ななくちゃならないんだよ、そういう約束しちゃったんだ。」はっと胸を衝かれたが、わたしはそのまま、顔をあげることができなかった。本気か冗談か、わからない。しかしこの人は、死ぬなんてことを、いい加減な気持ちで口にする人じゃない。もし本気だとしたら、どうして今おれに、そんなことを打ち明ける気になったんだろう。そんなことを聞かされてみても、おれにはどうしようもありゃしない。ただ黙って、見てるほかないんだ。私は何気なく顔をあげると、その話とは直接関係もないことを言った。「復活は、やっぱり、ないのでしょうか?」キリストの復活も、それから、先生の復活も‥‥。あの人は、にやりと笑って、答えた。「ない、ね」‥‥”
 奥山先生は書いています。”太宰がいかに聖書を愛読し、聖書に精通し、キリストを尊び、キリストを愛し、キリストの言葉に従おうとし、イミタチオ・クリスティ(キリストに倣いて)を実践しても、聖書の提示する、人類への唯一の救いの道である福音(キリストの十字架と復活)を信じなければ、決して救われない。偉大なることは単純なることなのである。太宰は決してそれを受け入れなかった。”
 太宰は、キリスト者である弟子の菊田から福音を聞いたとき、「赦されてなんか、いるものか」と答えたそうです。
 キリストの復活を信じるということは、罪の赦しを信じるということです。こんな私でも救われると信じることです。しかし、太宰は、復活を信じられなかった。たしかに、信じる、ということには飛躍があります。知識として聖書を詳しく知っていると言うことと、それを信じるということには飛躍がある。たくさん知識を持っているからといって、自然に信じることにつながるわけではありません。信じると言うことには、ジャンプしてキリストに飛びこんでいって身をゆだねるようなところがあります。しかし太宰は聖書を愛読し、キリストを尊敬して慕っていたけれども、その飛躍をしなかった。人間の物差しの中で考えていたということになります。
 
   復活のキリスト
 
 イスカリオテのユダに戻ります。ユダもイエスさまの復活の予告を聞いていました。これまでイエスさまの弟子として、そして使徒として、イエスさまのもっとも近くでイエスさまのお話しを聞き、そのなさる奇跡を見てきました。そして、イエスさまが、ご自分が捕らえられて殺されるけれども、復活すると予告なさったのを聞いてきたんです。しかし、ユダは信じなかった。もっとも、他の弟子たちも同じですが。
 主であるイエスさまを裏切り、お金で売り渡すという、最もひどい罪を犯したユダは、この自分の罪が赦されるということを信じられなかった。だから絶望しか残らなかったんです。しかし、ユダの罪もまた赦されるに違いないのです。主を裏切った、みじめで情けなくみっともなく、恥さらしの絶望的な自分が、それでも主の言葉を思い出して三日待てば、復活のキリストに出会えたはずなんです。
 どうぞ、4つの福音書の、イエスさまのよみがえりが書かれている所を全部読んでください。イエスさまを裏切った弟子たちのことを、復活されたイエスさまは、ひとことでも責めておられるでしょうか? 非難しておられるでしょうか?‥‥ひとことも責めておられません。それどころか、「赦す」という言葉すらありません。もう、赦すということが全く当然のことであるかのようです。つまり、弟子たちのつまずき、裏切りは織り込み済みなのです。人間の罪は織り込み済みなのです。織り込み済みの上で赦されている。そして当然であるかのように、その弟子たちに教会を託され、キリストの代わりに全世界に福音を宣べ伝えるようにおっしゃる。
 そのように、復活のキリストは、赦しのキリストです。そしてそれは、イエスさまのかかられた十字架が、非業の死などではなく、私たちの罪を赦し、神さまのところに連れて行くための十字架であったことを証明するものです。
 今日の聖書箇所で、ユダが投げ返して神殿にほうり込んだ銀貨30枚で、祭司長たちが陶器職人の畑を買ったことが書かれていますが、それは旧約聖書の預言の成就であったとも書かれています。旧約聖書に預言されていた。つまり、このことも織り込み済みだということです。つまり、ユダは、復活のイエスさままで待てば、罪の赦しを受け、喜びで満たされたはずだということです。
 一方、イエスさまを見捨てて否認したペトロのほうは、やはり絶望の中にいたでしょうけれども、その絶望のまま生きました。そして復活なさったキリストと出会うことができたのです。すなわち、その赦しのキリスト、こんな自分でも受け入れてくださるキリストを知ることができたのです。
 以前、洗礼を受ける前のご婦人から、質問を受けたことがあります。それは、「『キリストは私たちのために十字架にかかられた』とよく言われるけれども、それは『私たちのせいで』かかられたということなのか、それとも『私たちを救うために』かかられたということなのか、どっちなんでしょうか?」という質問でした。私はそれに対して、それは「両方です」と答えました。キリストは私たちの罪の結果、十字架にかかられた。しかしそれは、その私たちを救うためだったということです、と、そのように答えました。
 たしかにキリストは、罪人である私たちを救うために十字架にかかられました。それは私たちを救い、祝福し、喜びで満たすためでした。その復活のキリストを信じてほしい。そのように願ってやみません。


[説教の見出しページに戻る]