2021年7月4日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 イザヤ書55章1
    マタイによる福音書24章32〜35
●説教 「いちじくの教訓」

 
   天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない
 
 35節をもう一度お読みします。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」力強い、確固たる言葉であります。これ以上たしかな言葉が、この世の中に他にあるとは思えません。
 天地が滅びると言われています。この「天地」の「天」は、もちろん天国のことではありません。この宇宙のことです。また「地」とは、この世界のことです。すなわち、私たちが今生きているこの世界は滅びると言われています。
 そしてそれは、自然現象として滅びるということを言っているのではありません。たしかに先日も申し上げたように、この世界は永遠ではありません。科学者によれば、この宇宙は今からおよそ百数十億年前に突然発生したと言われます。そしてこの宇宙が永遠に続くかどうかは分かっていません。しかし少なくとも地球はやがて滅びるだろうといわれています。また太陽もついには光を失うそうです。
 そのことだけをもっても、むかしは、この世界にも始まりもなく終わりもないと、世界のほとんどの人々は思っていたのですから、聖書が語ることは驚き以外の何ものでもなかったでしょう。聖書は最初から、世界と時間には始まりがあったと書いているからです。そのような聖書の記述は、世界の人々から見たら、荒唐無稽なおとぎ話だったでしょう。しかし、それが現代になって科学が進歩して、実は宇宙にも地球にも始まりがあったことが分かりました。聖書の正しさが証明されたわけです。
 しかし、くり返しになりますが、ここでイエスさまがおっしゃっていることは、そのような自然科学の話をなさっているのではありません。世界を造られた神が、世界を終わらせるということをおっしゃっているのです。創造主なる神がそのようになさると言われるのです。そしてそのことは、神が、宇宙とその中のすべてのものをお造りになったということから出発しています。
 同志社大学の創立者である新島襄は、江戸時代の末期、上野国(群馬県)安中藩の武士の家に生まれました。彼が10歳の時に、アメリカのペリーが黒船に乗って来航し、それまで鎖国していた日本は大騒ぎとなります。そして、新島は16歳で安中藩の江戸屋敷勤務となります。幕末の混沌とする情勢の中で悩む新島は、友人から数冊の漢訳(漢文訳=中国語訳)の書物を貸し与えられます。その中に、中国で出版された数冊のキリスト教の書物がありました。その書物によって、真の神への出会いへと導かれたのです。新島は、自分の手記に、次のようなことを書いています。
 「わたしは一方では懐疑をもったが、いっぽうではうやうやしい畏敬の念に打たれた。私は以前学んだ蘭書(オランダの書物)によって、造物主の名を知ったが、簡単な<漢訳聖書史>の中に出てくる、神が天地を創造したという単純な物語を読んだ時ほど親しいものに感じたことはなかった。私たちの住んでいる世界は、神の見えざる手によって創造されたもので、偶然にできたのではないことを私は悟った。私はその同じ歴史の中に、神の別名が<天の父>であることを発見した。それは、私の心の中に今まで以上に神に対する畏敬の念を起こした。なぜなら、神は単なる造物主ではなく、それ以上のものだと思われたからである。すべてこれらの本は、私の一生涯の最初の20年の間、私から全く隠されていたものを、幾分おぼろげにではあるが、心眼に見させてくれた」。(守部嘉雅著『聖書を読んだサムライたち』より)
 そのように、この宇宙と世界が、唯一なる神によって造られたものであるということを知って信仰へと導かれたという人は、新島襄に限らず、昔の日本人キリスト者には多くいます。この世界が偶然にできたものではなく、真の神によって造られたものである。その真理に触れて、いたく感銘を与えられたのです。そして、自分の歩むべき道を悟ったのです。この世界と私たちが神によって造られたという時、そこには造られた目的があることになります。それを聖書は記しているのです。
 
   いちじくの木のたとえ
 
 きょうの聖書で、最初にイエスさまは、世の終わりがいつ来るかということについて、いちじくの木をたとえとして語られました。
 「枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。」
 実は、私はいちじくが苦手なんです。ところが、教会というところは、よくいちじくを植えるんですね。聖書に出てきますから。私の最初に牧師となった輪島教会にもいちじくが植わっていました。それで私は、春になっていちじくが伸び出すと、ハサミでチョキチョキ切っていたんです。しかしいちじくというのはなかなか生命力がある木で、切っても切ってもまた芽が出てきます。当教会の花壇にも植わっていますが。柔らかい枝が出てきます。そして葉が伸びて実をつける。
 イエスさまは、そのいちじくの柔らかい枝が出て葉が伸びると夏が近づいたのが分かるとおっしゃる。それと同じように、「あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」とおっしゃいました。「人の子が戸口に近づいている」というのは、「人の子」がイエスさまのことですから、これは世の終わりの時のキリストの再臨のことをおっしゃっているわけです。「これらすべてのことを見たなら」というのは、この前の個所でイエスさまがおっしゃっていた、世の終わりの前兆です。もう一度具体的に言うと、戦争が起こる、国と国、そして民族間の対立が起きる、教会への迫害が起きる、偽りの預言者やキリストのにせ者が現れて人々を惑わす‥‥そして多くの人の愛が冷える‥‥ということです。
 そして、それからイエスさまが再び来られる。世の終わりです。にせ者の救い主は、自らの正体を世間から隠そうとしますが、イエスさまはそうではない。再臨の時には、誰も間違いようがない形で来られると言われました。そして、世の終わりの時は、同時にキリストの再臨の時ですから、一巻の終わりなのではなく、新しい世界への招きでもあります。イエスさまが迎えに来てくださるということです。
 そのような世の終わりの前兆として、先ほど述べたようなことが起きる。そしてそれは、いちじくの枝が柔らかくなって出てきて葉っぱが広がり始めると夏が近づいたことが分かるのと同じだと言われます。なんだかずいぶんアバウトですね。これでは、いつキリストの再臨があって世が終わるのか、はっきり分かりません。ただ近づいていることだけは分かる。
 しかし、このアバウトであるということが大事な点だと思います。なぜなら、人間というものは、世の終わりときくと、「それはいつ起こるのか?」ということばかりに関心を寄せるからです。なぜなら、「いつ」ということが分かっていれば、準備できるからです。
 昨日は、逗子でも大雨となりました。教会の横を流れる田越川も増水し、この辺は海抜が低いですからトイレの水も流れなくなり、「洪水になるかも?」と心配したほどでした。静岡県の熱海では大規模な土石流が起こり、大きな被害が出ました。亡くなった方のご冥福をお祈りすると共に、行方不明の方の早い発見を祈ります。この痛ましい災害も、「いつ」発生すると言うことが分かっていれば、みな避難できたはずです。しかし、「起こりそうだ」ということは分かっても、「何日の何時何分に起きる」ということまでは分からない。それで避難することが間に合わないということになります。
 世の終わりも同じように思われる。「いつ」ということが分かっていれば、準備して避難することができると考える。しかし、そこをよく考えてみたいのです。「いつ」ということが分かっていれば、避難できるものなのか?‥‥ということです。
 地震が起きるということであれば、いつ起きるということがはっきり分かっていれば逃げることができます。しかしここで言われているのは、世の終わりです。逃げる場所がないんです。たとえば、来週の日曜日の午前11時に大きな小惑星が地球に衝突する、と言われたら、なるほど「いつ」ということは分かっていても、どこに逃げてもムダというのと一緒です。世が終わるんですから。この時代が終わるんです。今わたしたちが生きているこの宇宙の時代が。
 そのように言われると、脅かされているように聞こえるかもしれません。たしかに脅しに聞こえなくもない。それでは、もっと現実的な話に置き換えて考えてもよいでしょう。たとえば、この自分という人間の終わり、ということにです。つまり、死です。これならば脅しでもなんでもないでしょう。人間、みな必ず死ぬんですから。この場合、「いつ」死ぬということが分かっていたら、どんな準備をするでしょうか?
 ‥‥そのように考えていくと、イエスさまがいつ世の終わりが来るかということについて、アバウトなことしかおっしゃらなかった理由が分かってきます。すなわち、「いつ」世の終わりが来るかということに注意を払うよりも、「どうしたら」世の終わりに備えることができるか、ということに注意を向けるようになさっているのです。
 
   不滅のキリストの言葉
 
 それが、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」という御言葉です。本日の説教で最初に申し上げたとおりです。
 天地宇宙が滅びても、なぜイエスさまの言葉は滅びないのか?‥‥それは、イエスさまが神の御子であり、イエスさまの言葉は神の言葉だからです。そしてこの宇宙は神によって造られたからです。宇宙よりも前に存在していた神の言葉ですから、宇宙が滅びても神の言葉は滅びないというのは、当然のことであると言えるでしょう。その神の言葉、イエスさまの言葉は滅びない。それゆえ、その言葉に信頼し、イエスさまを信じることが、世の終わり、そして自分の人生の終わりに備えることであるということです。
 初めに新島襄のことをご紹介しましたが、もう一人、幕末の人をご紹介したいと思います。それは佐賀藩の家老であった、村田若狹守(わかさのかみ)政矩(まさのり)という人です。幕末、ペリーの黒船が来航し、日本は鎖国を解いて開国しました。1854年に日米和親条約が締結され、そのあとには今度はイギリスのと間に和親条約が締結されました。そのようなときに、村田政矩は長崎で任務に当たっていました。ある日、家臣の一人が長崎湾の波間にただよう小さな包みを見つけ、それを拾い上げたところ、中から出てきたのは外国の書物でした。それを受け取った村田は、オランダ語通訳に尋ねたところ、それが英語の聖書らしいことが分かりました。英語を読めない村田は、中国の上海から漢文の聖書を取り寄せ、なんとかその内容を知ろうとしました。しかし、聖書を教えてくれる人は誰もいない。時はまだ江戸時代、キリシタン禁制の時代です。
 そして1862年村田は長崎にフルベッキという英国の宣教師がいることを知り、弟をはじめ3人の佐賀藩の人材を長崎に送ります。本当は自分が行きたかったのでしょうが、藩の家老という立場上できないことでした。村田の代わりに送られた3人は、フルベッキに会うと「聖書を教えてほしい」と頼んだのでした。宣教師として日本に来たものの、キリスト教厳禁のために何も伝道活動ができなかったフルベッキは、どんなに喜んだことかと思います。なお、同じく佐賀藩士で、フルベッキのもとで英語と聖書を学んだ人に大隈重信がいます。
 そして村田政矩自身は、1866年(慶応2年)5月14日にフルベッキに会います。村田はフルベッキに会った時、「私は長い間、心の中であなたを知り、語り合えるのを夢見ていた。神の摂理により、今日、実現したのはたいへんに幸せなことである」と語ったそうです。そして聖書を読んだ時の感想をこう語ったそうです。「私が初めて、イエス・キリストの品性と事業を読んだ時の感激は言葉に表せない。かくのごとき人物を見たことも聞いたことも想像したこともなかった。彼の品性と生きざまに私の心はとりこになった。」
 そして、5月20日、日曜日の夕方、弟と共に洗礼を受けました。キリシタン禁制の時代ですから、キリスト教徒になったなら死刑になるはずの時です。村田は藩主に自分がキリスト信徒になったことを報告したそうですが、佐賀藩主の鍋島直大(なべしまなおひろ)は理解ある人で、村田が家老を辞職して引退するという形をとって事を治めたとのことです。その後、村田は自分の屋敷に帰って、農家の納屋を借りて集会を行い、聖書の真理を家臣や親族に広げることに半生を費やしたとのとです。そして、明治5年、キリスト教の禁教令が解かれる前の年に天に召されていきました。(守部嘉雅著『聖書を読んだサムライたち』より)
 滅びることのない主イエスのみことばは、時代を超えて人を導き、救い、生かしてきました。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。現代は、情報があふれ、言葉があふれている時代ですが、キリストの言葉のような言葉は他にはありません。ここにしかないのです。そしてそれは今も私たちを導き、救ってくださる言葉です。


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