2021年5月23日(日)逗子教会 主日礼拝説教/ペンテコステ
●聖書 サムエル記上10章9〜10
    使徒言行録2章37〜42
●説教 「聖霊を受ける」

 
   聖霊の奇跡
 
 本日はペンテコステ、聖霊降臨祭の日ですので、その時の出来事が記されています使徒言行録2章から、主の恵みを分かち合いたいと思います。
 ペンテコステに起こった聖霊による奇跡とはなんでしょうか。聖書を読むと、集まっていた弟子たちのところに、「突然、激しい風が吹いてくるような音が天から」聞こえてきたということで始まります。そして、「炎のような舌」が一人一人の上にとどまったという現象が起きます。そしてその弟子たちが、聖霊が語らせるままに、自分たちの知らなかった「他の国々の言葉で話し出した」という出来事が続きます。これらはもちろん聖霊の働きによるものです。
 しかし、もちろん結果が大事であるわけで、その結果何が起こったかということを見る必要があります。物音を聞いて集まって来た多くの群衆を前にして、ペトロをはじめとした使徒たちが立ち上がり、群衆に向かって語り始めました。それはキリスト教会最初の説教ともいうべきものでした。
 説教の中身は、今起こっている出来事の説明であり、それが旧約聖書の預言の成就であること、そしてイエスさまのことを語りました。イエスさまこそが、神さまが約束して送ってくださった方であること、しかしそのイエスさまを「あなたがたが」十字架にかけて殺してしまったこと、しかし神さまがイエスさまをよみがえらせたこと、そしてイエスさまこそ神の約束のメシア、キリスト、救い主であるということを語りました。それを聞いた多くの人々が、洗礼を受けた。こうして教会が誕生した。それがペンテコステの奇跡であると言われます。
 この出来事をもう一度考えてみたいのですが、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、弟子たちが集まっていた家中に響き渡った。そしてその音を聞いて、エルサレム中からおおぜいの人々が集まってきたわけです。この人たちは、別にペトロの説教が聞きたくて集まって来たわけではありません。激しい風が吹いてくるような音が聞こえたので、そこに集まって来たわけです。言わば、野次馬です。単なるやじ馬です。ですから、ふつうならば、ペトロが説教を始めた時、帰って行ってしまうでしょう。
 たとえば、使徒言行録の17章には、使徒パウロがギリシャのアテネに初めて行った時のことが書かれています。そのアテネで、パウロは町の広場に居合わせた人たちと論じ合っていました。すると、アテネの人たちは物珍しい知識に興味があったので、パウロをアレオパゴスという会議場に連れて行って、話しを聞かせてくれといいました。そこでパウロは、アテネの人たちに向かって、本当の神さまのこと、そしてイエスさまを死者の中から復活させられたことを話しました。すると聞いていた多くの人々は、あざ笑い、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言って興味を示しませんでした。
 普通そういう結果になると思うんですね。私は神学生の時、路傍伝道に興味があって、東神大生の有志を集めて若者の街原宿に行って路傍伝道をしました。たいへん大勢の人が歩道を行き交っていました。しかし、私たちの語る言葉に立ち止まる人はほとんどありませんでした。たまにクリスチャンの方が立ち止まって、励ましてくれるだけでした。
 普通そうだと思うんです。しかし、このペンテコステの時はどうだったでしょうか。
 集まった、単なるやじ馬である人々に向かって、ペトロは説教をしました。そして最後に、こう言いました。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」!‥‥イエスさまを十字架につけて殺したのは、あなたがただと!
 説教を聞きたくて集まったわけではない、単なるやじ馬たちです。十字架で死んだイエスさまがよみがえったということを聞いただけでも、アテネの人たちと同じように、「ばかばかしい」「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言って去っていっても不思議ではありません。いや、むしろそれが普通です。
 ところが、ペトロの説教を聞いた人たちの反応は違っていました。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」とペトロが語ったところ、人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、『兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか?』と言ったのです。するとペトロが、「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪をゆるしていただきなさい」と答えました。すると人々は悔い改めて洗礼を受けました。その人たちの数は、三千人ほどであったと聖書には書かれています。こうして、120名の弟子たちの集まりであったものに、この日新たに三千人の人たちが加わって、教会は生まれたのです。
 ただ物音を聞いて集まってきただけの群衆、単なるやじ馬であった人々が、聖霊に満たされたペトロの説教に耳を傾け、イエスさまを十字架につけたのは自分であると悟り、救いを求めたのです。これが聖霊の奇跡です。
 
   ある牧師の証し
 
 先週、牧師のオンラインによる小さな祈り会がありました。そこで説教をなさったのは、九州のある小さな教会の若手の牧師でした。
 彼の前任者である牧師は、女性牧師だったそうです。その牧師が、その教会に着任した時、教会員は十数名で、礼拝に出席する人は4〜5名という状態だったそうです。その女性牧師は、「このままではこの教会は終わってしまう」という強い危機感を持ったそうです。それが、その牧師が隠退し、2年前に現在の若い牧師が着任した時には、教会員は30数名、礼拝出席者は20名ほどになっていたそうです。それで現在の牧師は、その女性の前任牧師に、なぜそのように人が多く集うようになったのかと尋ねたそうです。すると前任牧師は「祈りです」と答えたそうです。牧師の自宅は教会とは離れた所にあったそうです。しかしその牧師は、毎朝教会まで行って祈り続けたそうです。「神さま助けて下さい!私にはお手上げです!」と。そのように神さまに助けを求め、そして神さまにゆだねる祈り。そのように祈り続け、神さまがそのようにして下さったのだということだそうです。
 私は、それを聞いていて、たいへん感銘を受けました。そして、それは私自身がかつて経験したことでもあったなあと、思い出したのです。
 私たちは、どんな困難に陥っても、どんなに絶望的な状況になったとしても、祈るということができます。天の父なる神さまに向かって、助けを仰ぐことができます。
 
   ペンテコステの前の出来事
 
 このペンテコステの聖霊降臨の出来事の前にも、祈りがありました。1章14節にこう書かれています。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」
 それは、よみがえられた復活のイエスさまが、天にお昇りになる前に言われたことがあったからです。イエスさまは復活ののち40日間、この世でその姿をお現しになったあと、天に昇られました。その前に、このように弟子たちにおっしゃいました。(1章4〜5節)「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」
 それで、弟子たちはイエスさまが天に帰られたあと、言われたとおり、エルサレムの町の中で集まって、イエスさまの約束された聖霊によって洗礼を授けられるのを待っていました。それはただ待っていたのではありません。1章14節にあるとおり、イエスさまのお母様であるマリア様と共に、祈って待っていたんです。そしてイエスさまが天に帰られてから10日後、約束通り聖霊が来られて、ペンテコステの出来事が起きた。そうして教会が誕生したのです。
 ですから、その出来事には、弟子たちが心を一つにして祈り続けたという出来事があったんです。
 
   聖霊の働き
 
 さて、ペンテコステの出来事は、弟子たちだけに聖霊が働いたように思ってしまいがちですが、実はそうではありません。最初に、単なるやじ馬であった人たちが、ペトロの説教に耳を傾け、悔い改めて洗礼を受けるに至った、それは聖霊の奇跡だと申し上げました。そのことをもう少していねいに言うと、群衆一人一人に聖霊が働いて、ペトロの話を真剣に聞くようにさせたということになると思います。そして、群衆が、イエスを十字架にかけたのは確かに私だと悟に至らせた、自分たちの罪に気がつくようにさせた、それが聖霊の働きです。
 ペトロが聖霊に満たされたので、とてもすばらしい説教をして、だから人々が悔い改めたと思う方がいるかもしれません。しかし、2章を読んでいただくと分かりますが、ペトロの説教は、なにか名説教というようなものではありません。イエスさまがキリストであることを説く、一般的な説教です。ですから、ペトロがとても良い説教をしたから、人々が悔い改めて洗礼を受けたというのではないのです。良い話しを聞いたから、人々がキリストを信じるようになるということではありません。
 だとすると、この野次馬に過ぎなかった群衆が、ペトロの平凡な説教に耳を傾け、そして悔い改めるに至ったというのも、聖霊の導きによるものです。これもまた聖霊の奇跡です。
 当教団が発行している月刊誌『信徒の友』5月号に、新潟県の教会に所属するSさんという若い男性の方の証しが載っていました。彼は1994年生まれということですから、現在26歳か27歳ということになります。Sさんは2歳の時に、筋ジストロフィーという全身の筋肉が少しずつ衰えていくという進行性の難病にかかっていることがわかったそうです。そして小学校4年生の時にお母さんの友人に誘われて、初めて教会に行ったそうです。そして中学生のときに洗礼を受けたそうですが、当時は、神さまがどこか遠くにいると感じていたそうです。そして、高校3年生の時に肺炎にかかって、1年近く入院することになったそうです。肺の筋肉が衰えていたので、肺炎が重症化してしまったそうです。それで、今まで通りの生活はもうできないのではないかと、とても不安だったそうです。しかし、入院生活の中で、思いが少しずつ変えられていったそうです。自分の病気の症状や進行のしかたを理解し、人工呼吸器等を用いて、病気と上手に付き合うことができると知りました。また、在宅生活に戻ることができ、進学することができるように、お母さんをはじめ多くの方が支えて下さり、病気による絶望しかないのではなく、希望や可能性がたくさんあることを実感し、前向きに生きることを決意できたのです。そしてこう書いておられます。「今考えると、まさに聖霊が働いてくださったのだと思います。」
 私はこれを読んでいて、若くして進行性の難病の中に置かれていることの意味が、たいへん重いものであるに違いないと心から思いました。そして同時に、この方に希望や可能性がたくさんあることを明らかにし、前向きに着る決意をさせることのできた聖霊の働きのすばらしさに、思いをいたしました。
 ペンテコステの日、聖霊は人々の心を動かし、神さまの真理を明らかにされました。そしてイエス・キリストを信じて歩むことへと導かれたのです。
 教会は、聖霊によって誕生しました。それはイエスさまの十字架の死と復活を経て、与えられたものです。聖霊によって誕生した教会は、その日から世界に向けてキリストの福音を宣べ伝え始めました。それは教会が、キリストの福音を世界に向かって宣べ伝えるものとして建てられた、ということです。そしてキリストの福音を宣べ伝えていく中で、聖霊は様々な奇跡をなさいます。
 ペンテコステの日、私たちの教会も、あらためてそのことを心に留めたいと思います。そして世の救いのために、祈りを熱くするものでありたいと願います。
 
【祈り】
 父なる神さま、本日のペンテコステの祝日を共に守ることができ、感謝いたします。あの弱い弟子たちの群れに、あなたは聖霊を遣わして下さいました。そして弟子たちに聖霊によって洗礼を授けて下さいました。そして教会が誕生しました。教会は、主イエス・キリストによって罪をゆるしていただいた者の集まりであります。どうか私たちが、イエスさまの恵みを心に留めつつ、感謝をもって歩むことができますようにお助け下さい。私たちの教会が、この世の人々のために祈り続けることができますように、そして福音を宣べ伝えて、あなたと共に働いていくことができますように、お助け下さい。全世界のキリスト教会の信仰が守られ、共に歩むことができますように導いて下さい。主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン。


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