2020年7月19日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 イザヤ書43章21
マタイによる福音書15章29〜31
●説教 「賞賛は誰のもの」

 
   いきさつ
 
 前回、イエスさまは初めて外国、その外国というのは本当の意味での外国ということですが、その外国に行かれました。それがイスラエルの北のレバノンの、ティルスとシドンの地方でした。そしてきょうの聖書箇所では、「そこを去って、ガリラヤ湖にほとりに行かれた」と書かれています。ここだけ読むと「北のレバノンに行ってまた戻ってきたのかな」と思いますが、マルコによる福音書の7章には、もう少し詳しい道のりが書かれています。するとこう書かれている。‥‥「ティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。」
 つまり、まっすぐガリラヤ湖付近に戻られたのではないんです。詳しい旅程は分かりませんが、ティルスからシドンの町を経て、デカポリスを通り抜けてからガリラヤ湖にやって来られたということです。デカポリスというのは、ヨルダン川の東側の地域です。デカというのは数字の10という意味で、ポリスは都市ですから、10の都市という意味になります。これは、そのむかしアジアに大帝国を築いたマケドニアのアレキサンダー大王の後継者たちが建てた町で、ギリシャから移民を連れて来て、ギリシャ風の町にしたのがこのデカポリスです。そしてこの地域は、旧約聖書ではギレアドと呼ばれ、イスラエルの領土でありイスラエル人が住んでいたところでもあります。
 イエスさまはそこに何の用事があったかは書かれていないので分かりませんが、とにかくデカポリスの地域を通り抜けてからガリラヤ湖にやって来られた。だから今日の舞台となるガリラヤ湖のほとりというのは、今まで出てきたガリラヤ湖のほとりとは違って、この当時はもうイスラエルではない。つまりユダヤ人が住んでいるのではなく、異邦人が住んでいる側のガリラヤ湖のほとりということになります。弟子のペトロの家があり、イエスさまの働きの拠点であったカファルナウムの町とは、ガリラヤ湖をはさんでちょうど反対側になります。
 
   多くの人々の癒し
 
 イエスさまはそこで山に登って座っておられた。イエスさまが山に登られるときというのは、たいてい神さまと祈りの時間を持つときです。しかしそこに現地のおおぜいの群衆が集まってきた。足の不自由な人、目の見えない人、体の不自由な人、口の利けない人、その他多くの病人を連れて来て、イエスの足もとに横たえた、と書かれています。そしてイエスさまは、これらの人々を癒された。それで人々はそれらの奇跡を見て驚いて、イスラエルの神を賛美した。そのように書かれています。
 きょうの聖書箇所は、ある一人とイエスさまの出会いというのではなく、イエスさまが大勢の人の病気や体の不自由を癒されたという、大まかな記述となっています。何かイエスさまの癒やしの奇跡のまとめのようにも読めます。ですからでしょうか、多くの聖書の解説書などを読むと、ここは飛ばしているか、簡単に触れているだけです。しかし私は、これはマタイが単なるまとめを書いたのではないと思います。
 まず、先ほど申し上げたように、この出来事があったのは、ガリラヤ湖の対岸の異邦人の土地であるということです。異邦人と言っても、それはイスラエルと全然縁がない人たちなのではありません。これも先ほど申し上げましたが、ここは旧約聖書の時代はイスラエルだったんです。イスラエルの民が住んでいました。しかし、やがてアッシリア帝国の侵略を受けて、この地は外国の支配となりました。それから長い時間を経て、いろいろな民族が住むようになり、混血も進んだでしょうし、イスラエルの民の信仰も崩れていったと思われます。そういう異邦人です。ですから、イスラエルと縁もゆかりもない異邦人ばかりなのではなく、異邦人になってしまった人たちが多く含まれていると言ったほうが良いかもしれません。
 きょうの聖書箇所の最後に、人々が「イスラエルの神を賛美した」と書かれていますね。単に「神を賛美した」ではなく、「イスラエルの神を賛美した」と。イスラエルの神というのはもちろん聖書で証しされている神さま、真の神さまということです。つまり、この地の人々が「ああ、これがあのイスラエルの神のみわざか!なんとすばらしい!」「ああ、これがどこかで聞いたことのある真の神さまの働きか!なんとすばらしい!」‥‥といって神をほめたたえたんです。
 前回の、ティルスとシドン地方で一人のご婦人が、悪霊に取りつかれている自分の娘のことでイエスさまにお願いをしました。その時にイエスさまは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とおっしゃいました(15:24)。その言葉の意味については前回の説教で申し上げたとおりですが、このデカポリスの地方の人々は、そういう意味で言うとまさに「イスラエルの家の失われた羊」だったのです。
 かつては真の神を信じていた人々、かつては神の民であった人々。しかし今は違う。失われた羊です。失われた羊を集めるために働かれるイエスさま。
 私も失われた羊でした。神さまによって命を救われながら、神のもとを離れて行ってしまったんですから。しかしそんな私を探し求めて連れ買って下さったイエスさまを思うことができ、感謝であります。
 
   神を賛美
 
 さらに、もう一度見ますと「イスラエルの神を賛美した」と書かれています。これらおおぜいの人々を癒したのはイエスさまです。しかし「イエスを賛美した」と書かれているのではなく、「イスラエルの神を賛美した」と書かれています。これは注目すべきことだと思います。これはつまり、人々はイエスさまによる癒やしの奇跡を見たけれども、そこに神が働いておられることを見たんです。そしてその神さまを賛美した。すなわち、イエスさまは、ご自分が賛美されるように働かれたのではなく、神さまを賛美するように働かれたんです。
 このことは、私の若いときの恩師の一人であるアメリカ人の宣教師、ボストロム先生を思い出させます。先生はおっしゃいました。「私は、誰かがわたしをほめたら、『ありがとう』と言って、すぐに忘れるようにしています」と。そして、「ほめたたえられるべきは人間ではありません。神さまです」とおっしゃいました。人間がほめたたえられてはならない、神さまがほめたたえられなくてはならないと。このことは私の心に深く刻まれました。
 イエスさまでさえ、ご自分ではなく神さまがほめたたえられるようになさいました。私たち主を信じるものもそうであるべきでしょう。自分がほめたたえられるようにしたら、神さまはなにもなさらないでしょう。私たちは自分がほめたたえられるのではなく、神さまが、そして私たちの主であるイエスさまがほめたたえられるようにするべきなのです。そのとき、神さまの働きを見ることができるでしょう。
 
   あるリードオルガニストの証し
 
 私は逗子教会に来る前には富山二番町教会におりましたが、その近くに富山鹿島町教会があります。その富山鹿島町教会に松原葉子さんという方がおられます。教会のオルガニストを務めています。オルガンは、リードオルガンで、いわゆる足踏み式のオルガンです。しかし彼女がリードオルガンを弾くと、これはもう同じリードオルガンかと思うほどの音色となります。彼女のリードオルガンへの思いは強く、讃美歌を弾いたCDも出されています。
 彼女は、若いときから病を抱えておられます。だんだん体が動かなくなるという進行性の難病です。私が富山にいたときも、車椅子に乗っておられました。その不自由なお体で、腕や手や指にテーピングをして礼拝で奏楽をされるのです。私も鹿島町教会の代務をしたことがありますが、本当に頭が下がる思いでした。
 今回は、この春の「季刊・教会」というキリスト教雑誌に載せられたご本人の文章をご紹介したいと思います。本人の了解をいただいております。
 松原さんは今から3年前に、呼吸不全を起こして救急車で運ばれました。そのとき、鹿島町教会の小堀牧師から祈ってくれとの連絡を受けたことを思い出します。その時の病状は重く、肺炎、呼吸不全、気管挿管、気道切開、人工呼吸器装着となり、何も飲めず食べられず、話せずという状態が約1年続いたというのです。そして入院から11ヶ月後の12月。病室の窓から眺める生け垣に、サザンカの小さな花が一輪咲いたのを見つけ、心を躍らせていると、通りがかりの看護婦さんが「イエスさまからのプレゼントじゃない?」と声をかけてくれたそうです。その看護婦さんは未信者の方。しかしその優しい言葉に天を仰いで、心震える思いで「エッサイの根より生い出でたる」というあのクリスマスの讃美歌を心の中で歌ったと書かれています。
 もし私だったら、「神さま、なんでこんな目に私を遭わせるのか?」と言って文句を言うことでしょう。しかし彼女は、窓の外に咲いた小さな花一輪にイエスさまからのプレゼントであると同感し、主を賛美をした。
 それからしばらくして、北海道にいる先生が見舞いに来られて、カバンの中から赤いミニピアノを取り出してプレゼントして下さったそうです。それをベッドの傍らに置いてもらい、指一本でクリスマスキャロルを奏でていると、同じ病室の84歳の患者さんが歌い出し、また他の同室の患者さんも「聞こえるよ。上手だね」、看護婦さんも飛び跳ねて喜んで下さった。それをみて、松原さんはこう書いておられるんです。「この病室もまた確かに、聖霊なる神さまのお働きに満ちている!その様子を目の当たりにしながら、感謝に満ちて、あとからあとから涙があふれた」と。
 そしてそのあと、奇しくもクリスマスの日に夢にまで見た外出許可が出て、入院先から近い金沢教会のクリスマス礼拝に出ることができたそうです。「神さまの御手の中で、今、この時を"生かされて在る"奇跡。ああ、どうして、主の御名を崇め、賛美せずにいられようか!!」と書いておられます。
 それから8ヶ月後、松原さんは金沢の病院から地元の富山の病院に移りました。そして、主日礼拝に出席ができるようになったことが何よりもうれしいと述べておられます。そしてその年、つまりおととしの12月にはリードオルガンを病棟に運び入れることが許された。そろりそろりと再びオルガンに触れることができるようになったというのです。そんなとき、看護師さんから「病院のクリスマスコンサートで演奏してもらえないか?」と言われた。もちろんキリスト教の病院などではありませんが、そう頼まれた。しかしとても人前で演奏できるような状態ではない。何を弾けるというのか?と戸惑った松原さんに看護師さんは「クリスマス、だから松原さんに演奏を頼みたい!」と言った。松原さんは、それを神さまからの招きであると受け止め、「主の呼びかけに『ハイ』とお答えするほかない」と思ったそうです。
 そして12月21日の病院エントランスでのクリスマスコンサートとなりました。病院内外から百名以上の人が集まったそうです。そしてこう書いておられます。「ここは『教会』ではない。しかし、ここも『神の御国』。私には何の躊躇もなかった。まっすぐにクリスマスの喜びを伝えたい!と。ただそのように祈り願い、全身で、音色を奏で、語った。」そして最後はこう結んでおられます。「ひたすら全能の神の御業に望みを置き、各地でささげて下さった数知れない『祈りの花束』は、何と尊いことか。感謝に堪えない。それゆえ、今日も、この病室から、私は主を証ししよう。ハレルヤ!」
 
 私はこの文章を読んで、ここにも自分ではなく主を証しする人がいるという感動でいっぱいになりました。そして、主の御名をほめたたえました。私も、主なる神さまとイエスさまを証しする者でありたいとの思いを強くさせられました。 


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