2020年1月5日(日)逗子教会 主日朝礼拝説教
●聖書 エレミヤ書43章1〜3節
    マタイによる福音書11章16〜19節
●説教 「笛吹けど踊らず」

 
    笛吹けど踊らず
 
 本日の説教題は「笛吹けど踊らず」ですが、それはご存じの通り、ことわざの言葉です。そしてこのことわざは、きょうの聖書から来ています。17節です。 「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」
 これは聖書をご覧になるとなんとなくお分かりかと思いますが、4行の詩のような書き方になっています。つまりこれは歌である考えられているんです。どういう歌かというと、子どもたちの遊び歌らしいんです。たとえば、「花いちもんめ」とか、手まり歌の「あんたがたどこさ」というようなものです。今や子どもたちの遊びの多くがデジタルのゲームとなってしまいましたので、「花いちもんめ」とか「あんたがたどこさ」と言っても分からないかもしれませんが、私などが子どもの頃は、そのような遊びがありました。
 そしてこの笛吹けど踊らずも、そのような遊びの歌であったと考えられています。それは結婚式とお葬式を遊び歌にしたものです。「笛を吹いたのに」というのが結婚式、「葬式の歌」は文字通りそのままです。それが遊び歌になっているというのは、当時の子どもにとって結婚式と葬式が非常に印象的であったからではないかと思います。
 当時のユダヤの結婚式は、婚礼の祝いが一週間も続いたと言われています。そしてそれは娯楽の少ない当時、村人のレジャーを兼ねてなされました。酒と料理がふるまわれ、笛や太鼓に合わせて踊りが踊られる。村人みんなが楽しんだ。そういう光景が子どもたちにとって印象的だったのでしょう。
 また、葬式のほうですが、これも大きな行事でした。死んだ人のために何日も嘆き悲しむんです。しかも、悲しみを思いっきり表現するのがマナーとされていたようです。17節の4行目に「悲しんでくれなかった」と書かれていますが、この悲しむという言葉は、「胸を打つ」という言葉でもあります。つまり悲しみを表すために胸を打つんです。
 ただふつうの人が悲しみを派手に表そうとしても限界がある。それで、「泣女」(なきおんな)という人が雇われた。文字通りおおげさに泣いてくれる人です。そうして悲しみを盛り上げたと言ったら変ですが、期待通りに悲しみを表現した。泣女というと中国や朝鮮の泣女も有名ですが、日本にも昔はいたようです。広辞苑に、こう書いてありました。「不幸のあった家に雇われて泣くのを職業とする女。能登などでは、その代金により一升泣・二升泣などといった。」‥‥何と私のいた能登にも以前は泣女がいたというのは知りませんでした。米一升分泣く、二升分泣くというのはどの程度か分かりませんが、そういうことがあったようです。そのように胸を打っておおげさに泣いたりするような光景は、子どもにとって強く印象に残る光景であったことでしょう。
 こうして、婚礼や葬式のことが子どもの遊び歌になったと考えられます。しかしこの歌は、『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』と歌っていますから、結婚式ごっこをしようとして笛を吹いたのに踊ってくれなかった、葬式ごっこをしようとして葬式の歌をうたったのに、泣き悲しんでくれなかった‥‥ということを遊び歌にしているわけです。どんな遊びであったかは、よく分かりませんが。とにかく当時の子どもたちの、その遊び歌を引き合いにして、イエスさまがお語りになっています。
 
    ヨハネとイエス
 
 そしてこの遊び歌を引き合いにして、イエスさまは、洗礼者ヨハネとご自分が人々によってどのように受け止められているかをお話になっています。
 ヨハネについては、「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い」と。‥‥洗礼者ヨハネという人は、「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(マタイ3:4)と書かれています。そのような出で立ちは修験者のようでもありますが、たしかに見かけはおかしな人のようにも見えます。しかしヨハネの語る言葉に動かされた多くの人々がヨハネの所に出かけて行って、罪を悔い改めて洗礼を受けました。
 しかし一方では、冷ややかな目で見ている人たちもいました。とくに、律法学者やファリサイ派、そして祭司長たちといった宗教家たちがそうでした。そのように神さまに仕える人たちが、神さまの遣わした洗礼者ヨハネという預言者を認めなかったのです。そしてヨハネはヘロデ王によって逮捕され、投獄されました。ヨハネのことを「悪霊に取りつかれている」というのは、ヨハネを神さまによって立てられた預言者であるとは認めないということです。
 一方イエスさまについては、多くの人々が病の癒やしや悪霊からの解放を求めて集まって来ています。しかし一方では、イエスさまのことを「大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」という人々がいた。それもヨハネと同じように、宗教家が代表的です。もちろん、イエスさまが大酒飲みであるということはないでしょう。しかし、ファリサイ派や律法学者、あるいは預言者のイメージから比べたら、イエスさまはお酒を飲むということになる。これも、イエスさまは食事に招かれれば、相手がファリサイ派であろうが律法学者であろうが徴税人であろうが行って共に食事をしましたから、そういうときに食べたり飲んだりなさるということでしょう。
 いずれにしても、一般的に人々が抱く預言者とか神の人というイメージからは外れていたわけです。そして、人々が毛嫌いする徴税人や、宗教家が「罪人」であると烙印を押す人たちともふつうに接している。宗教家たちは徴税人や罪人と呼ばれる人たちを遠ざけるのに、です。イエスさまのことを「大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言うのは、要するにイエスさまが神さまから遣わされたキリストであることを認めないということです。
 
    変わろうとしない人々
 
 こうしてまさに「笛吹けど踊らず」という状況になる。神さまが、洗礼者ヨハネを預言者としてお立てになり、そして神の御子イエスさまを送られたのに、その反応は鈍いものだった。なぜなのでしょうか?
 それはやはり、求める心がなかったということになるでしょう。求める心というのは、神を求める心です。救いを求める心と言っても良いでしょうし、真理を求める心といっても良いでしょう。そういうものがなかった。自分は変わる必要がないと思っていたと言っても良いでしょう。
 それは今の時代も全く同じだと言えると思います。よく「日本ではキリスト教はいつまでたっても少数だ」と言われますが、今は他の宗教も苦戦しています。仏教も、住職を置けない寺が増えています。やっていけないお寺が増えているんですね。以前、刑務所の教誨師をしていた時に、いろいろなお坊さんのお話しを聞くことがありましたが、仏教の危機感は相当なものです。また、かつて華やかだった新興宗教も、いずれも急速に衰退してきています。要するに、神さまとか信仰に救いを求める人が減っていると言うことができると思います。それが現代日本です。神さまというものは、自分が必要となった時だけ助けてくれれば良いと、そんな感じです。
 もっとも、人のことは言えません。この私もかつてはそうでした。神さまというのは、本当にいるのかいないのか分からない存在であって、せいぜい自分が生きていって困った時に助けてくれれば良いという具合です。
 しかし実は、神さまという存在はいるのかいないのか分からないような存在であるどころか、今日のイエスさまの言葉を借りれば、笛を吹いておられる。しかも、私たちが踊るように、いっしょうけんめい笛を吹いておられる。私たちのために吹いておられる。それが洗礼者ヨハネが現れたことであり、イエスさまが遣わされたということです。そういう笛を吹いておられる。なのに人間のほうが答えない。踊らない。笛吹けど踊らず、という状況を呈している。つまり、受け入れない。
 
    知恵の正しさ
 
 そうすると、なんだか絶望的な気分になりますが、イエスさまは続けておっしゃっています。「しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」
 この知恵というのは、こざかしい人間の知恵ではありません。真の知恵です。すなわち神の知恵です。神さまの知恵は正しいと言うんです。
 そうすると、中には、「神の知恵は正しいというが、神は洗礼者ヨハネを預言者として送り、そして神の御子イエスさまを救い主として送られたが、人々は笛吹けど踊らずだったではないか?」と思う人もいることでしょう。「それなのに、何が知恵の正しさなのか?」と。
 しかし「知恵の正しさは、その働きによって証明される」とイエスさまはおっしゃいます。「その働き」とは何のことでしょうか?‥‥それは十字架を指していると言えるでしょう。笛吹けど踊らずで、結局神のなさることはムダだったように思われる。しかし、そうではないと主は言われるのです。それがこれから待ち受ける十字架です。神の御子が、ご自分の命を十字架にかかって捨てるということが起きる。笛を吹いても踊らないようなこの私たちを救うためにです。それは全く愚かな知恵のように思えます。しかしそうではなかったのです。笛を吹いても踊らない私たちのために神の御子が命を捨てる。それはなぜ愚かな知恵ではないかと言えば、そこに愛があるからです。神さまの愛は、救われるはずのないこの私たちを救う愛です。そこに奇跡があります。その奇跡によって、私たちは神さまの前に導かれ、イエスさまによって救っていただける。
 
    横田早紀江さん
 
 昨年末のことでしたが、銀座を歩いておりましたら、松屋デパートの前で救世軍が社会鍋の募金をしていました。それで私も少し入れさせていただきました。すると救世軍の方がパンフレットを下さいました。あとで見ますと、それは救世軍の広報誌でした。そしてその中に、横田早紀江さんのことが書かれていました。
 横田早紀江さんについては、以前も礼拝でご紹介いたしましたが、今から42年前に北朝鮮によって拉致された横田めぐみさんのお母さんです。当時中学1年生だっためぐみさんは、部活から家に帰る途中に姿が消えました。それで早紀江は、夫、友達、学校の先生、警察と一緒になって必死に捜しましたが見つからない。いったいどうしてしまったのか、さっぱり分からない。何の痕跡もない。‥‥早紀江さんご夫妻は、突然、苦しみのどん底にたたき込まれたのでした。
 そんなある日、近所に住むアメリカ人の宣教師が、めぐみさんを捜すチラシをたくさん作って持ってきて、新潟港に停泊している船で配りましょうとおっしゃったそうです。また娘の同級生のお母さんがこられて、その宣教師のお宅での聖書を学ぶ会に誘ってくれて、聖書を置いて行かれたそうです。そしてその中のヨブ記を読むことを勧められた。「こんな悲しい思いの時に、こんな小さな字の本‥‥、と切なくなりましたが、部屋の中でたった一人、天井を見上げて泣くしかないような私は、何気なく聖書を開き、『ヨブ記』を見つけて読み始めました」と書いておられます。そうするとその言葉が、胸に染みていったそうです。そして人知の及ばない神さまの存在が、すべてを飲み込んでいてくださることを感じたそうです。そうして、めぐみさんがいなくなって7年目の5月、めぐみさんが20歳になる年に洗礼を受けました。
 「何の手がかりも見つけられないまま、めぐみは生きていると信じて待つことがどんなに大変なことか。その精神的な苦痛はとうてい言葉にできません。けれども、神さまにゆだねることで、はっきりとした覚悟のようなものができていきました。」と書いておられます。そして1997年、めぐみさんが北朝鮮で生きていることが分かることとなります。
 「絶望の中で信仰をもって依頼『神さま、もしめぐみが生きているのでしたら、今、そのいるところで、めぐみの命と魂と健康をあらゆる危害からお守りください』」と祈り続けていたそうです。そして忍耐に忍耐を重ねて、ようやくこらえ性のような覚悟ができた時、拉致の事実を知ったのだそうです。以来、様々な場に出ていくことになりましたが、いつも神さまがそばにいて、語る言葉を与え、考えを与えて支えてくださったそうです。
 横田早紀江さんもすでに83歳。昨年の夏は暑く、体もたいへんだったそうです。「講演会中、途中でふらっと倒れてしまうかもしれないと不安になることがあります。そういう時、『私には力がありません。神の御心と聖書の言葉をもって話させてください』と祈って。それから壇上のそで口から出て行きます。すると、不思議なほどまっすぐ、自分の経験したことを話すことができるのです。何か分かりませんが、これを話しなさいと導かれ、口から言葉がでるのです。」と書いておられます。
 
 横田早紀江さんは、めぐみさんが突然いなくなってしまうと言うたいへんな苦しみの中で、心が聖書に向かって開かれ、キリストのもとへ導かれました。それは聖霊なる神様の働きです。そして今や、キリストに支えられ、キリストと共に歩んでおられることが分かります。
 笛吹けど踊らない私たちのために、ご自分の独り子を十字架へと送られた神は、今日も私たちを招いておられます。笛を吹いても踊らない者たちのために、なおも笛を吹き続けるというのは、人間が見たら滑稽なことかもしれません。しかし滑稽とも思われるほどに笛を吹き続け、御子を十字架におかけになり、なおも笛を吹き続けておられるのが、いったい何のためであるのか。それはこの私たちを救うためであることを知った時、感謝というほかないのです。


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