2019年12月1日(日)逗子教会 主日礼拝説教/待降節第一主日
●聖書 ミカ書7章6〜7
    マタイによる福音書10章32〜39
●説教 「自分の十字架」

 
    アドベント
 
 リースが取り付けられ、夜にはイルミネーションがともり、教会の今年新しくしたツリーも飾られ、聖餐卓の上にはこのようにアドベントクランツが置かれました。今年もクリスマスを待つアドベントの季節を迎えました。
 子どもの頃は、クリスマスと聞くと、サンタクロースが来るのを楽しみにし、またごちそうを食べることができるのを楽しみに待っていたことを思い出します。ですから、ウキウキとした気分であったように思います。そのように、師走の忙しい中にもどこか楽しみがあるような、はなやいだ気分でこの12月を迎えている人もおられることと思います。
 しかし一方で、困難や苦しみの中、あるいは心配事のある重苦しい気分の中でこの時を迎えておられる方もいることと思います。とてもクリスマスの気分ではないという方もおられることでしょう。
 しかし、イエスさまがお生まれになった頃はどうだったか?‥‥それは今から考えると、たいへん厳しい時代であったと言わなくてはならないでしょう。多くの人々にとって、生きるために必死であった時代です。平均年齢は50歳以下。その短い人生を生きるために、貧しく、苦労の多い、多くの困難を乗り越えるために必死になっていました。そういうときにイエスさまは来られたんです。ですから、クリスマスは、困難と試練、そして絶望の中にともった光であるということができます。
 教会の暦はアドベントから一年が始まります。暗闇の中に来てくださるキリストを待望しつつ、信仰を新たにいたしたいと思います。
 
    平和ではなく剣をもたらす
 
 本日の聖書箇所の、マタイによる福音書10章の34節は衝撃的な言葉ではないでしょうか。‥‥「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」‥‥なにか、テロを連想させるような危険な教えのようにも聞こえてしまいます。これはイエスさまの教えと矛盾しているのではないでしょうか。
 たとえば、クリスマスの讃美歌「もろびとこぞりて」の3節では「平和の君なる御子を迎え」と歌っています。イエスさまは平和の君、王であると私たちは毎年歌っています。なのに「平和ではなく、剣をもたらすために来た」と言われると、それは正反対のことにしか聞こえません。そもそもイエスさまが今までおっしゃってきたことはどうでしょうか。たとえば‥‥
(マタイ 26:52)"そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。"
(マタイ 5:9)"平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。"
(マタイ 5:39)"しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。"
 そして、
(マタイ 26:52)"そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。"
‥‥他にもいくらでも挙げることができます。イエスさまは敵を愛することを教え、暴力を用いることを禁じられました。そうすると、きょうの聖書箇所でイエスさまが「平和ではなく剣をもたらすために来た」とおっしゃったのは、どういう意味でおっしゃったのかということを考えてみなければなりません。
 まずこの34節の「剣をもたらす」という言葉ですが、これは「剣を投じる」という言葉です。そして文字通りの剣ではなくて、争いが起きるという意味で使われています。しかも、こちらから剣を持って殴り込むのではなく、すなわち、こちらから争いを起こすのではなく、結果として争いが起きてしまうということをおっしゃっていると言えます。すなわち、イエス・キリストを信じた結果、敵対する人が出てきてしまうということです。
 なぜ、イエス・キリストを信じていこうとすると、それに反発したり、敵となる人々が現れるのか?イエス・キリストを信じるということは、神の御心であり、すばらしいことではないのか?‥‥しかし考えてみますと、良いことをしたからと言って、みんなから歓迎されるとは限らないということが世の中には多くあります。なぜなら、この世の中自体が罪の世の中だからです。アダムとイブの末裔であり、カインの末裔だからです。
 創世記のソドムの町は、悪い事ばかりをしている町で、ただ一人アブラハムの甥のロトだけが救い出されました。あとの人は滅ぼされてしまうほどの、神にそむく悪い人々であったことになります。
 人類の歴史を見ても、多くの人が、悪い事をしたからではなく、良いことをしたために暗殺されてきました。アメリカの第16代大統領であるリンカーンは、奴隷解放宣言をしたために暗殺されました。インド独立の父と呼ばれるマハトマ・ガンジーは非暴力抵抗運動を貫きましたが、ヒンズー教過激派の手によって暗殺されました。1950年代60年代のアメリカの人種差別撤廃運動、いわゆる非暴力の公民権運動を指導したマーティン・ルーサー・キング牧師も銃弾によって暗殺されました。彼らは良いことをしたために暗殺されたのです。言い換えれば、剣によって命を落としたわけです。剣を投じる結果になりました
 もしそのように剣が投じられることを望まないで、とにかく平和であるということだけを優先したならば、リンカーンには奴隷解放宣言をやめさせ、ガンジーにはインドのイギリスからの独立運動をさせず、キング牧師には人種差別を放置するように言わなければならないことになります。しかしそれはたしかに自分の命を守ることにはなりますし、争いがないということで表面的には平和であり続けたかもしれません。しかしそのことは同時に、奴隷制度はそのままでよいということになりますし、インドは独立せずにイギリスの植民地のままで良いということになり、また、人種差別は我慢しなさいということになります。しかしそれが本当の平和かと言えば、そうではないことは明らかです。それは、ある人々の犠牲によって成り立つ平和であり、偽りの平和であると言わなくてはならないでしょう。
 イエスさまが、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだと思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」とおっしゃったのは、そのようなことに似ています。イエスさまはこの世の人々を救うために来られた。しかしそれは、剣を投じるような状況を引き起こし、そしてイエスさまご自身が十字架につけられて死なれるに至りました。
 
    家族が敵に
 
 35節「人をその父に、娘を母に、嫁を姑に。こうして自分の家族の者が敵となる。」
 イエスさまを信じた結果、家族が敵となってしまう。もちろんそんなことは誰も望まないのだけれども、敵対する結果となる。
 私が前任地の教会に赴任した時、最初に洗礼を受けた人は、男性で、ある家に婿養子に入った人でした。その家は、奥様はじめ家族がある新興宗教の家でした。それで教会に来る時には、家族に内緒で来なければなりませんでした。ある時、教会から郵便を出したことがあったのですが、それを家族が見つけて「まだこんな所に行っているのか!」と言って怒られたと言っていました。教会では、同じく婿養子に入った人と仲良しで、お互いの境遇を慰め合い、いたわり合っていたようでした。
 そのようにして教会へ来る人が、今もいるということです。家族の反対にもかかわらずキリストを信じる人たちは、いずれも家族が憎いわけでは決してありません。それどころか、家族の救いを祈っているわけです。祈りというものは、愛するからこそ祈ります。にもかかわらず、反対される。
 けれども、親が年老いて、介護が必要となった時、最後まで面倒を見るのは誰でしょうか。たいていクリスチャンです。子どもの中のクリスチャン。大隅啓三先生が、どこの家でもたいていクリスチャンが最後は親の面倒を見るといっていましたが、その通りだと思います。だから、家族を見捨ててキリストを信じるのではありません。しかし、イエスさまを選ぶか、家族を選ぶかといったときに、イエスさまを選ぶことをここでは求めておられます。それは、家族を棄ててイエスさまを選ぶということではありません。イエスさまを選んで信じて従って行った結果、家族を愛することができるようになるんです。
 考えても見てください。イエスさまが、この罪人である私を救うためにいのちを投げ出してくださったイエスさまが、私たちが祈っている家族を見捨てるはずがないではありませんか。
 
    イエスの仲間
 
 ここで最初の32節33節のところに戻ります。とくに33節では、人々の前でイエスさまのことを知らないと言う人のことを、イエスさまもまた天の父なる神さまの前で、その人を知らないと言うと‥‥。
 しかし、私たちは知っています。イエスさまのこの言葉を目の前で聞いていた弟子の一人が、まさにイエスさまのことを知らないと、人々の前で言ったことを。しかも3度も言ったんです。それはペトロです。ペトロは、目の前でこのイエスさまの言葉を聞いていました。そして自分は絶対に、イエスさまのことを知らないなどとは言わないと思ったに違いありません。なぜならそのことは、この同じマタイによる福音書のあとのほうに書かれているからです。
(マタイ 26:35)"ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。"
 イエスさまと一緒に死ぬことになったとしても、自分はイエスさまのことを知らないなどとは決して言わない。そう信じていました。自信があったんです。でも人間の自信など、何も役に立たないことを、そのすぐあとペトロ自身が思い知ることになりました。ペトロは、その言葉を口にしたそのまさに同じ夜、捕らえられたイエスさまが尋問を受けている大祭司の邸宅で、イエスさまのことなど知らないと3度も言いました。それでペトロは、そのあとイエスさまがおっしゃった言葉を思い出して、はげしく泣きました。自分に絶望したと言ってもいいでしょう。そして、イエスさまはそのあと、ローマ帝国の総督ポンテオ・ピラトのもとで十字架の判決を受け、十字架にかけられました。
 そしてイエスさまは三日目によみがえられましたが、復活されたイエスさまは、ペトロのことを知らないと言ったでしょうか?‥‥そのようなことはおっしゃいませんでした。それどころか、ヨハネによる福音書の21章15節からのところを見てください。イエスさまはペトロに向かって、「ヨハネの子シモン、この人たち以上に私を愛しているか」と言われました。そしてペトロが、「はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです」と答えると、イエスさまは「私の羊を飼いなさい」と言われました。「私の羊を飼いなさい」‥‥これは、教会を守るようペトロに託した言葉だと言われます。このようなやり取りが3度ありました。
 きょうの聖書箇所33節で、イエスさまは「人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う」とおっしゃいました。ペトロはこの言葉を聞いていました。しかし、イエスさまのことを知らないと3度も言いました。そのペトロを、イエスさまは天の父なる神の前で知らないとおっしゃるどころか、赦し、愛され、教会を託されました。
 自分に絶望したペトロを、イエスさまは受け入れ、用いられたのです。自分を信じるのではなく、キリストを信じることを知ったペトロを用いられたのです。キリストの赦しを知ったペトロを用いられたのです。そういうキリストを信じるんです。
 アドベント、そしてクリスマス。それは、神を信じること、キリストを信じることへの招きの時です。


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