2019年9月8日(日)逗子教会 主日・朝礼拝説教
●聖書 イザヤ書 43章 19節
      マタイによる福音書 9章14〜17節
●説教 「ふさわしい入れ物」

 
    断食
 
 本日の聖書箇所では、断食ということが話題となっています。ヨハネの弟子たちと書かれていますが、このヨハネは洗礼者ヨハネのことです。人々に悔い改めを説いた人であり、イエスさまに洗礼を授けた人です。その弟子たちが、イエスさまに尋ねた。「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食をしているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」
 断食というのは食事を断つことです。そしてここで言われている断食とは、もちろん健康法として断食をすることではなく、信仰上の断食のことです。
 旧約聖書を読んでおりますと、ときどき断食が出てきます。たとえば、サムエル記上7章では、指導者であったサムエルが、集まったイスラエルの民に向かって、偶像を捨てて主なる神さまのみに仕えるように語りました。そうすれば主が、イスラエル民をペリシテ人の侵略から救い出してくださる説きました。そしてこう書かれています。
(サムエル記上 7:6)"人々はミツパに集まると、水をくみ上げて主の御前に注ぎ、その日は断食し、その所で、「わたしたちは主に罪を犯しました」と言った。"
 また、ダビデが王となった後、あるときダビデが家臣であるヘト人ウリヤの妻バト・シェバを自分のものにしてしまいました。それは神様の怒りをかうこととなり、神様は、預言者ナタンを通して、ダビデとバト・シェバの間に生まれてくる子は死ぬと告げられました。それを聞いてダビデは自分の犯したあやまちを悟り、悔い改めて断食して祈りました。
(サムエル記下 12:16)"ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。"
 そのように、断食は、罪の悔い改めと共になされています。そしてそれは悲しみをも表しています。
 イエスさまの時代には、厳格な宗教家であるファリサイ派の人々が、週に二度、月曜日と木曜日に断食をしていました。モーセの律法には、そのように断食しろとは書かれていません。しかし彼らは率先して週に二度断食をしていました。そのように断食するようになったのは、バビロン捕囚の経験が大きかったと思われます。かつてイスラエルの国が、主なる神さまに背き続けた。預言者たちが悔い改めるよう警告し続けたのに、悔い改めなかった。それで国が滅びてしまいました。その反省から、このように断食をするようになったと言われています。
 ですから、断食をするという行為は、本来極めて敬虔な信仰の行為であると言えます。洗礼者ヨハネはファリサイ派ではありませんが、敬虔な宗教家ならば当然断食をするということで、ヨハネとその弟子たちも断食をしていたのでしょう。
 ところが、イエスさまの弟子たちは断食しない。イエスさまの弟子たちが断食しないということは、イエスさまも断食をしない。ただ、たしかにイエスさまは、世に出られる前、サタンの試みを受けるために荒れ野に行かれて40日間断食をしています。しかしそれは、悔い改めの断食ではなくてサタンの試みを受けるための断食であり、神の御心を求めて祈りに集中するための断食でした。ですから、ファリサイ派の人々や洗礼者ヨハネの弟子たちのように、日常的な宗教行為としての断食はなさらなかった。それで、ヨハネの弟子たちは不審に思ったのでしょう。なぜ断食をしないのだろうかと。
 神を信じない人から見たら、断食をするとかしないとか、そういうことはどうでもよいくだらない話しだと思われるかもしれません。しかし、真剣に神を求め始めると、どうしたら神に近づくことができるんだろうかと考えると思うんです。この日本でも、ふだんは神社仏閣にお参りなどしないような人でも、いざ困ったことが起きたり、どうしてもかなえてほしい願い事があったりすると、急に神社にお参りに行きだしたり、あるいは滝に打たれる業をしてみたり、あるいはまた装束を整えて四国に行ってお遍路さんをしてみたりする人がいます。
 そのように、どうしたら神さまに受け入れてもらえるのか、問題を解決してもらえるのかというようなことは、いつの時代、どこの国でも人間が考えることに違いありません。断食をするということも、言ってみればそのようなことの一つです。神の罰を受けないように、神に受け入れてもらえるように、断食をして敬虔にふるまったのです。
 
    花婿と婚礼の客
 
 イエスさまの弟子たちはなぜ断食しないのか。それをイエスさまに尋ねるということは、「イエスさま、なぜあなたはご自分の弟子たちに断食をするように指導しないのですか?」と尋ねていることになります。それに対してイエスさまの答えは、「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか‥‥」というものでした。
 結婚というのは、当時は一大イベントでした。それは今日でもそうでしょう。しかしとくにこの2千年前の時代、貧しく、人の一生が50年ほどの時代、つまり人生が短い時代においては、結婚というのは一族のみならず村を挙げての喜ばしいイベントでした。婚礼は一週間も続きました。そしてそのときだけは皆で食べて飲んで楽しんだんです。そのような席に、断食というのはもっともふさわしくないことに違いありません。
 イエスさまは、今自分の弟子たちが断食をしないのは、まさにそのようなことなのだとおっしゃいます。婚礼の席で、花婿が一緒にいることにたとえられている。では花婿とは誰のことをおっしゃっているのか?‥‥それは紛れもなく、ここではイエスさまのことを指しています。イエスさまが来られたということは、そういうことなのだと。一生のうちの一度のような、それはもう喜ばしいことなのだと。だから弟子たちは断食しない。いや、弟子たちばかりではなく、あなたがたにとっても実はそういうことなんだと、主はおっしゃりたいのです。
 
    罪の赦し
 
 では、イエスさまが来られたということは、何がそんなに喜ばしいのでしょうか。
 マタイによる福音書を読み進めていますが、9章に入ってから「罪の赦し」に関連したことが書かれています。9章1節からのところでは、中風の人が床に寝かせられたままイエスさまのところに連れて来られました。イエスさまは、連れてきた人々の信仰を見て、中風の人に「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦された」とおっしゃいました。
 続く9節からのところでは、この福音書を書いたマタイ自身がイエスさまに声をかけられて、イエスさまに従ったことが書かれていました。そのとき、マタイがイエスさまと弟子たちを招待して開いた晩餐会で、イエスさまは「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」とおっしゃいました。
 そのように、罪の赦しを宣言されるイエスさま、そして罪人を招くためにこの世に来られたイエスさまということが浮かび上がるように書かれていました。そして聖書で言う罪とは、神様の御心に反していること、愛のないことが罪です神様に対して罪があるので、神さまに近づくことができません。神さまの祝福を受けることができません。。その罪の赦しを宣言するということは、神さまにしかできないことのはずです。
 しかしイエスさまは、罪の赦しを宣言されました。罪人を招くために来られたとおっしゃいました。神様に対する罪ですから神さましか赦すことはできないのに、イエスさまが罪を赦す権威を持っておられるということは、すなわち、イエスさまが神さまであるか、もしくは神の代理であるかのどちらかです。
 断食をしている人々は、神さまに受け入れられようと思って断食をしているわけです。しかし今、その神さまのところからイエスさまが来ておられる。しかも「わたしが来たのは罪人を招くためだ」とおっしゃっている。だから、本当に自分が罪人だと自覚しているのなら、素直に、手放しでイエスさまが来られたことを喜べばよいはずです。しかし喜べないということは、本当のことを言えば、じつは自分が罪人であるとは思っていないということになります。
 
    新しい布、新しいぶどう酒
 
 イエスさまは、「誰も織りたての布から布きれを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない」とおっしゃいました。古い服に穴が開いた時、新しい布きれで継ぎを当てますと、洗濯をした時に古い布と新しい布では縮み方が違う、新しい布きれは多く縮むので、古い服は破れてしまいます。
 さらに「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない」とおっしゃいました。これもたとえです。新しいぶどう酒は、まだ盛んに発酵しています。だから弾力のない古い革袋に入れておくと、発酵して発生した炭酸ガスが充満していって、革袋が膨張を支えきれなくなって、はぜてしまう。だから新しいぶどう酒は、弾力のある新しい革袋に入れないとならない。
 それとおなじように、今やイエスさまと共に全く新しいことが始まったということです。今までのように、悲しく深刻な顔をして、断食をしている時ではない。それはふさわしくない。あなたがたが求めていた神が、イエスさまと共に来られた。今は恵みの時、今は喜びの時であるということです。イエスさまが来られたことによって、全く新しいことが始まっているんです。
 
    私たちは?
 
 わたしたちはどうでしょうか。悲しく深刻な顔をして断食をしなければならないのでしょうか?
 チイロバ牧師こと榎本保郎先生の『ちいろば余滴』という本を読んでいたら、こんなことが書かれていました。‥‥ある時、ある教会に新任の牧師が赴任してくることになったそうです。教会の役員さんたちは、駅まで迎えに出ました。ところが、役員さんたちは誰も新しい牧師の顔を知らない。「どうしよう」と言っているうちに、列車がホームに着いた。役員さんたちは、降りてくる人を一人一人注意深く見て、牧師らしい人を探したそうです。やがて「あの人に違いない」という人を見つけたので、彼らは走り寄って、「牧師先生でいらっしゃいますか?」とききました。するとその人はけげんそうな顔をして、「いや、わたしは長い間胃を患って入院している者ですが、ちょっと用事があって家にもどってきたところです」と答えたというのです。彼らは慢性の胃病の人を牧師と間違えた。‥‥牧師というと、何か深刻な顔をして、罪を嘆いているようなイメージがあるんでしょうか。それはそのままクリスチャンのイメージになっているのかもしれません。
 だとしたらそれは間違っていると言わなければなりません。たしかにきょうの聖書で、イエスさまは「しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる」とおっしゃっています。イエスさまはたしかに十字架につけられ、死んで墓に葬られました。しかしよみがえられたんです。そして天にお帰りになりましたが、代わりに聖霊が来られて、その聖霊なる神さまが私たちのところに来られたということは、聖霊によってイエスさまが来られているということです。今年の逗子教会の主題聖句、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28:20)の通りです。そしてテサロニケの信徒への手紙5章16〜18に書かれているとおりです。すなわち、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
 
 「こころの友」の7月号に載っていた九段教会の田名先生の証しは皆さんお読みになったでしょうか。田名先生は、牧師になる前はサラリーマンをしていたそうです。奥さんがクリスチャンだったけれども、キリスト教には何の興味もなかったそうです。仕事が忙しく、子どもの教育は妻に任せきりで、運動会などの学校行事にも出たことはなかったそうです。そんなとき、高校生の息子さんが電車にひかれて亡くなってしまったそうです。息子さんは、アルバイトで買ったオートバイで深夜に乗り回すようになっていた。そんな矢先の事故だったそうです。田名先生は神さまを呪ったそうです。不注意だった息子もゆるせなかったそうです。
 やがて仕事で配置転換となり、そこで知り合った職場の先輩と約束して聖書を読み始めたそうです。するとそこに人間の裏表の営みのすべてが表現されてることに驚いて、夢中で読んだ。すると、息子に対する怒りに捕らわれていた自分が変化していったそうです。父親としても夫としても失格だった自分に気がつき、申し訳ない思いでいっぱいになった。息子の行動についても、妻からサインが出されていたのに、なぜもっと息子に寄り添えなかったのかと思った。また事故のあと、どうしてもっと妻を支えなかったのか、わが子を亡くした妻がどんなつらさを抱えていたのか、後悔したそうです。そして教会の礼拝に出席するようになった。これまでの怒り、無関心、無責任など、すべての思いが神を信じる心に置き換えられていったそうです。自分の傲慢さにあきれ、「神さまどうか赦して下さい」と祈った。息子さんの事故から7年目に洗礼を受けたそうです。そして次の大きな変化は、神さまへの感謝にあふれるようになったことだそうです。「こんな私でも神さまは救って下さる」。神さまの憐れみ深さに涙を抑えきれず、礼拝が終わってもしばらく立ち上がれないことが何度もあったそうです。そのような中で、牧師を目指す決心をしたそうです。
 
 こんな私でも神さまは救って下さる。イエスさまがおられるからこそです。私も同じ思いです。こんな私でも、イエスさまは招いて下さる。「あなたの罪は赦された」と宣言して下さる。感謝しかありません。


[説教の見出しページに戻る]