2019年1月6日(日)逗子教会 主日礼拝説教/公現日・顕現祭
●聖書 列王記上17章13〜14節
    マタイによる福音書5章38〜42節
●説教 「どこを見て歩むか」

 
    右の頬を打たれたら
 
 「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」このみことばは、教会の外の人にも知られているような有名な言葉です。この言葉は、その直前の「悪人に手向かってはならない」というみことばによって、悪人に対して非暴力、無抵抗を教えた言葉として受け止められることがあります。しかしここの文脈から考えると、これは無抵抗、つまり、されるがままにせよということを教えている言葉ではなく、復讐や仕返しをしないことを言っているものであると言えます。
 それにしても、「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」という言葉は、実行するのに非常に難しい教えです。なぜなら、私たちはふつう、誰かに右の頬を打たれたら、直ちにやり返すだろうからです。やられたら、やりかえす。悪口を言われたら、その10倍の悪口を言い返す。非道な目に遭ったら、ちゃんと仕返しをする。‥‥それが普通ではないでしょうか。
 日本人の国民的な物語である「忠臣蔵」などは、まさにその仕返し、復讐をテーマにした物語です。もちろんこれは日本だけのことではありません。ハリウッド映画を見ても、愛する家族を殺した悪党たちに対して命がけで復讐するというような映画はいくらでもあります。
 そのように、やられたら、やり返すというのは人間の自然な考えです。それに対してイエスさまは、「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」とおっしゃる。これを私たちは簡単に受け入れることができないんです。
 
    目には目を
 
 最初の38節で言われている「目には目を、歯には歯を」は、さらに有名な言葉です。目をやられたら相手の目をやり返せ、歯をやられたら歯をやり返せ‥‥というように、復讐の言葉として受け止められています。
 ただ、少し解説いたしますと、この言葉は本来はモーセの律法において、裁判の時の原則を述べた言葉です。例えば旧約聖書のレビ記24:19-20に「人に傷害を加えた者は、それと同一の傷害を受けねばならない。骨折には骨折を、目には目を、歯には歯をもって人に与えたと同じ傷害を受けねばならない。」と記されています。人を殺した者は自分の命をもって償わねばならず、人に障害を与えた者は、それと同一の障害をもって償わなければならないという原則です。そういう法律上の、刑法の規定です。しかしそれがやがて、復讐の言葉として使われるようになったのだと思われます。
 
    悪を野放しにせよという教えではない
 
 そういう復讐しようとすることに対して、「しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」とイエスさまがおっしゃっているわけです。ですからこの言葉は、悪を放置しておけ、ということではありません。右の頬を打つような悪党をのさばらせておきなさいということではないんです。ただ今見てきましたように、これは復讐をするなと言われているんです。私たちが復讐しようとするのはなぜでしょうか?それは怒りがあるからです。憎しみです。そのような憎しみと復讐心に捕らわれるなとおっしゃっているんです。
 右の頬を打たれたら左の頬をも向けてやるというのは、何か大げさのようにも聞こえます。単に憎しみを抱くな、復讐しようとするなということであれば、左の頬まで向けてやる必要はないはずです。しかしそれを、左の頬まで差し出してやれというのは、全く憎しみや復讐心がないことを強調している言い方だと言えるでしょう。何の憎しみも、復讐心もない。怒りもない。だから左の頬を差し出すことだってできるということです。
 40節の「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」という言葉。「下着」を取るというのは何か変な感じがしますが、ここで言う下着というのは、今日私たちが身につけている下着とは違います。今日でいえば下着の上に着る服になります。そして「上着」というのは、長い丈の外套です。これも不当な訴えに対して、憎しみや復讐心を持つなということの強調した言い方です。単に復讐するなということだけならば、「下着を取られても我慢しなさい」で終わっても良いはずです。しかし「上着をも取らせなさい」ということになると、もうこれは完全に復讐心を放棄している上に、憎しみさえも抱いていないということになります。すなわち、これらの言い方は、復讐心のかけらもない、憎しみなんかまるでない、そういう感情から完全に解放されている‥‥ということになります。
 41節の「だれかが1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい」。1ミリオンというのは、約1.5qです。「だれかが」と言っていますが、これはローマ帝国の軍隊のことでしょう。占領軍であるローマ軍は、ユダヤ人を見下して、道行くユダヤ人に自由に労役を課しました。物を運ばせたんですね。例えば、イエスさまの十字架を、たまたまそこにいたキレネ人シモンに担がせたことが聖書に書かれていますが、あれです。占領軍によって、その権力を背景に、勝手に物を運ばせる。全く理不尽で腹の立つことです。とくにユダヤ人はプライドが高く、民族意識が強いですから、憎しみがわいてくることでしょう。しかし、我慢しろというのではない。さらに2ミリオン行けと言うんです。これは完全に復讐心や憎しみという物から解放された姿です。
 42節の「求める者には与えなさい」も、憎んでいるひとに対してどうして与えることができるかと思いますが、復讐や憎しみから超越している姿がそこにある。
 
    十字架の主の姿
 
 実際にそのような姿に生きた方がいます。それがイエスさまです。やがてイエスさまが十字架にかけられる。その十字架上でイエスさまが父なる神に祈った言葉が、ルカによる福音書23:34に記されています。‥‥「父よ、彼らをおゆるし下さい。自分が何をしているか知らないのです。」
 理不尽にも、罪をでっち上げてイエスさまを十字架にかけた人たち。その人たちをゆるして下さいと、父なる神に祈っておられる姿がそこにあります。そこには、敵に対する愛が見えてきます。そうしてきょうの聖書箇所は、次の43節からの「敵を愛せよ」というみことばにつながっていきます。
 
    主の救いと愛を知って
 
 今は亡き、榎本保郎牧師の「チイロバ牧師のキリスト教入門@」(シャローム・コーポレーション)の説教テープの中で語られていた証しをご紹介したいと思います。
 もう今から数十年前のことになるわけですが、ある時榎本先生が牧会している教会に、一人のご婦人が訪ねて来たそうです。そして涙ながらに身の上話を語られたそうです。その話とは、その婦人は因習の強い農家に嫁に行ったそうです。しかし舅・姑・小姑に冷たく扱われ、そのいじめに耐えかねて子どもを巻き添えにした無理心中を図ったそうです。ところが気がついてみれば、自分は助かり子どもだけが死んでしまった。裁判所は事情を考慮して、無罪となったそうですが、ただでさえその嫁を意地悪く扱っていた家の者たちは、無理心中したその嫁を全く赦さない。それで家を出て、榎本先生の教会がある町に来て働きながら生活をしていた。早くなくなった子どもの所へ行きたくて、毎日死に場所を求めて当てもなく歩いていたそうです。すると教会を見つけて、ふらふらと教会の中に入ってきたということだったそうです。
 そして彼女は榎本先生に質問しました。「どうしたらよいでしょうか?」。しかしそう質問されても、先生もそんな深刻な話しは初めてだった。それで返答に困ったそうです。それで、「とにかく教会にいらっしゃい」と答えたそうです。するとそのご婦人は、「どれぐらい来たら良いでしょうか?」と尋ねた。「どれぐらい」と聞かれても困ったそうですが、榎本先生は「3ヶ月ぐらい来てご覧なさい」と何の根拠もなく言ったそうです。すると彼女は「3ヶ月来たらなんとかなりますか?」と聞いた。これもまた変更に困ったそうですが、先生は「なるでしょう」と答えたそうです。
 それから彼女は、毎週せっせと教会の集会に通うようになったそうです。そして3ヶ月が経った。しかし何も起こらない。彼女は先生に「3ヶ月経ちました」と言ったそうです。それで榎本先生は「もう1ヶ月がんばって来てご覧なさい」と告げたそうです。そしてさらに1ヶ月が経ちました。しかし何も起こらない。彼女は「先生、1ヶ月経ちました」と、失望したように言ったそうです。榎本先生はさらに困りましたが、最初に「3ヶ月」と言って次に「1ヶ月」と言ったので、あと残るのは「2ヶ月」しかない。それで先生は「もう2ヶ月がんばって」と答えたそうです。
 それでコトが起こらなかったらどうするのか‥‥。ところが、それから2ヶ月経たないうちにコトが起きたのです。彼女が榎本先生の牧師館に走り込んできて言うには、「主人が来てくれました」と。そして泣いたそうです。それは考えてもいなかったことだったそうです。ご主人も、我が子を殺してしまった妻を絶対に赦さないだろうと。しかしそのご主人が彼女のところに来た。それから2ヶ月ほどして、ご主人は両親の反対を押し切って彼女のところに引っ越してきたそうです。
 彼女はその後も教会に通い続け、やがて洗礼を受けて信徒になりました。そして信仰が進んでくるに従って、夫の両親のことが気になり、「ゆるしていただきたい」と思うようになったそうです。それで夫の両親の家に出かけましたが、何度訪ねていっても玄関にも入れてくれない。当然と言えば当然かもしれません。しかし彼女はある年、田植えの手伝いに行くことにしたのでした。今でこそ田植えは機械でいたしますが、昔はたしかに家族総出で手作業でしたものです。苗代から稲の苗を取って、ならした田んぼに均等に植えていくんですね。私は裏の田んぼで農家の人たちが総出でそれらの作業をするのを、家の窓からじーっと眺めていたものです。それは重労働です。彼女はそれを手伝うことにした。しかしお義父さんお義母さんは「人殺しに田を穢されては困る。帰ってくれ」と言って追い返したそうです。しかし彼女は帰らずに、苗代に入って手伝い始めたそうです。すると、お義父さんが追いかけてきて、ドンと彼女の背中を押した。彼女はつんのめって、田んぼの泥の中に倒れたそうです。それでも彼女は、泥まみれになり「すみませんでした」と言いながら、あっちで小突かれこっちで小突かれしながら、とうとう一週間田植えを手伝った。
 すると最後の日、お母さんが近づいてきて「今になって、遺産目当てに来てるんやろ。お前なんかに何一つやるもんか」と言ったそうです。‥‥
 彼女の報告を聞いて、榎本先生は「あなたは偉いなあ」と言った。すると彼女はそれを否定して「先生、私のような大きな罪を犯した者が、イエスさまの十字架によって赦されていると思うと、人の心も、人の仕草も心に刺さらなくなりました」と言ったそうです。毎日神さまの言葉を聞き、神さまの心に触れていく時に、彼女の心は柔らかく変えられたと榎本先生は語っています。
 それからまた時間が経過し、榎本先生が転任してからのことだと思うんですが、先生はその後彼女からもらった手紙を、説教の中で紹介しておられました。こういう手紙です。‥‥「先日、突然主人の母が私たちの家に来ました。本当に突然のことだったので、母もなにか照れくさそうに怒ったような顔をして家の中を見て回って帰って行きました。13年前すべてに恵まれ、優越感に浸っていた母を、どん底に突き落とし、一家の不幸を招いた私を、母は憎み続け恨み続けておりました。あの頃より長い歳月、数々の屈辱を共に耐えてくださり、涙を拭って今日の日を与えてくださいました神さまに、感謝せずにはおれませんでした。もしあのとき私が教会の門をくぐっていなかったなら、私は神さまの愛も知らず、救われないまま人を恨み、運命を呪って惨めな人生を送っていたことと思います。主を仰いでこそ与えられた現在の幸せと感謝しながらも、私は神さまにすがることしか知らない者であります。でも、こんな私をもなお愛してくださる神さまの愛に応え、もっともっと自分を耕して行きたいと思います。」‥‥そういう手紙でした。
 
 「目には目を、歯には歯を」ならば、私たちは神の裁きにあっているはずです。しかし、イエスさまは、右の頬を打たれてなお左の頬を向けられる方であった。そのイエスさまが私たちの罪を背負って、十字架にかかって下さった。一身に引き受けて下さったんです。そのイエスさまの愛がきょうの聖書にも表れている。私たちに対してイエスさまがまさにこのような方であるということです。そして私たちをゆるして下さっている。その主の愛を心に留めたいと思います。


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