2018年11月4日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 列王記下2章11節
    マタイによる福音書5章10〜12節
●説教 「迫害を喜ぶ人」

 
    8つの幸いの最後
 
 「心の貧しい人々は幸いである」とのイエスさまの言葉から始まった山上の説教。きょうはその一番最後、8番目の幸いの言葉です。
 10節に言われている8番目の幸いの言葉には、11節12節と続きがあります。10節の「義のために迫害される」という言葉の「義」とは何かと言えば、これは6節でも解説いたしましたが、人間の義・正しさではなく、神の義・神の正しさです。もう少し平たく言えば、「神さまから見て正しいこと」ということにもなるでしょう。人間の正しさではありません。人間から見て正しいことと、神さまから見て正しいことはしばしば違っています。ここでは、神さまから見て正しいことです。
 そして11節では、「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき」と言われています。「わたし」というのはイエスさまのことですから、イエスさまのために迫害されたり悪口を言われたりすることという意味になります。わかりやすく言えば、イエスさまを信じたために迫害される、あるいはイエスさまの言葉に従ったために迫害されるということになります。
 そうしますと、10節で言われていた「義」、神さまから見て正しいことの中には、当然イエスさまを信じることを含みます。神の独り子である方を信じることは、神さまから見て第一に正しいことであると言えるでしょう。そうすると、10節と11節を1つのこととして扱っても差し支えないと言うことになります。それできょうは、10節と共に11節12節をひとくくりにして扱いたいと思います。
 
    迫害が幸い?喜べ?
 
 そうすると、今日の箇所では、神さまから見て正しいことをしたために迫害される、あるいはイエスさまを信じたために迫害される、そのことは幸いなことであり、喜ぶべきことだと主がおっしゃっていることになります。これはたいへん不思議な言葉です。首をかしげたくなるような言葉です。なぜなら、誰も迫害されたくなんかないし、だれも悪口を言われたくありません。なのにイエスさまは、「幸いである」とおっしゃり、「喜びなさい。大いに喜びなさい」とおっしゃる。
 いったいなぜ迫害が幸いなことなのか?‥‥続くイエスさまの言葉がすべてを表しています。「天の国はその人たちのものである」。つまり、天国を見ているからです。天国、神の国を見ている。神さまのほうを見ているんです。そうした時に迫害が幸いなことだと言われている。天の国では大きな報い、祝福があると言われる。私たちは、ともするとこの世のことばかり見ている。しかしこの言葉は、その私たちの目を天に向けさせているんです。神さまのほうに向けさせている。そのときに事情が一変いたします。
 「天の国はその人たちのものである」‥‥これと同じ言葉が、この8つの祝福の最初にも出てきました。3節です。「心の貧しい人々は、幸いである。」
 心の貧しい人というのは、罪人のことであり、それはつまり私たち自身のことであると3節の説教の時に申し上げました。言葉を換えて言えば、神さまから見て正しいことを行うことができない人であると言うこともできます。ところがきょうの10節では、神さまから見て正しいことをおこない、迫害される人のことを言っています。ですから、3節と10節では、ちょうど真逆の人のことを言っているように聞こえます。なのに両方とも幸いであると言われ、「天の国はその人たちのものである」と、同じ祝福が語られている。これはいったいどういうことか?
 
    正反対と見えることが
 
 ちょっと違う話になりますが、お許し下さい。それは私が中学生の時のことでした。クラスに、いじめられている女の子がいました。その子は、「汚い」とか「気持ち悪い」というようなことを言われていじめられていました。名前すら本名で呼んでもらえず、ひどいあだ名で呼ばれていました。私もその子の本名を思い出すことができないほどです。その子はいつもひとりぼっちでした。その子の悲しそうな顔しか思い出すことができません。当時私は、直接その子をいじめはしなかった。しかし助けもしなかった。いじめをやめさせることをしなかったんです。私は教会に通っていたんです。しかし傍観していた。
 のちにキリストを信じるようになって、そのときのことを思い出しました。そして心が痛みました。そして、なんと自分は罪人なんだろうと思いました。そしてさらに後になって、それが心が貧しいということなんだと気がついた。自分が心が貧しい存在であることに気がついた。そのときに、3節のイエスさまの言葉が響いてきました。「天の国はその人たちのものである」。この心の貧しい罪人である自分さえも赦して、神の国に迎えて下さるイエスさまのありがたさが身に染みるようでした。
 さて、仮にその中学2年生の時、誰かがその子をいじめているときに、「やめろ!」と言って止めていたらどうなっていたか? おそらく、止めた私もいじめを受ける側になっていたことでしょう。しかしいじめを止めることは神さまから見て正しいことに違いありません。そうすると、それは「義のために迫害される」ことになるわけです。そうするとやはり10節に書かれているように、同じイエスさまの言葉が聞こえてくることになる。「天の国はその人たちのものである。」
 この2つは、反対の人のことをいっているように見える。いったい天の国はどっちの人のものなのか、と分からなくなるような思いがしないでしょうか。しかし、よく考えてみると、そこに共通することがあるということが分かってきます。
 それは、心が貧しい人、言い換えれば、自分の罪に気がついて打ちのめされる人、そのような人はキリストによって救っていただくしか道がありません。また、神さまから見て正しいことをして迫害される人、つまり義のために迫害される人も、キリストによって救っていただくしかありません。つまり、イエス・キリストは、この両方の人とも救うことがおできになる。心の貧しい人も、義のために迫害される人も、イエスさまは救うことができる。「天の国はその人たちのものである」と、おっしゃって下さるんです。神さまは、この両方とも喜んで迎え入れて下さる、祝福して下さるんです。そこに本当の幸いがあります。
 
    杉原千畝
 
 エルサレムに「ヤドバシェム」という場所があります。ヤドバシェムは、別名「ホロコースト記念館」とも呼ばれます。第二次世界大戦のときに、ナチス・ドイツによって虐殺されたユダヤ人を記念する施設です。そしてその施設の建っている敷地内に、「諸国民の中の正義の人」を記念するイナゴ豆の木がたくさん植えられていました。それは、迫害されるユダヤ人を守った非ユダヤ人を記念し顕彰してひとりひとりのために一本一本の木が植えられ、その木の根元のところに、その人の名を刻んだプレートが設置されているという場所です。その中に、日本人の名を刻んだものがあります。その日本人が、杉原千畝(すぎはらちうね)です。
 杉原千畝は、1940年(昭和15年)、ヨーロッパの「リトアニア」という小さな国の領事館の領事代理として勤務していました。当時のヨーロッパは、すでに戦争に突入し、ヒトラー率いるドイツがヨーロッパの国々を次々に侵略していました。リトアニアの南にあるポーランドはソ連とドイツが分割し、滅亡していました。そしてリトアニアにもソ連の軍隊が進駐してきて、リトアニアの国はソ連に占領されつつありました。そういう時に、杉原はリトアニアの日本領事館の領事代理として働いていたのです。
 ヒトラーは、ご存じのように、「ユダヤ人の抹殺」という恐ろしい政策を実行しつつありました。ユダヤ人であるというだけで逮捕され収容所に送られ、殺される。杉原のいるリトアニアにも、ポーランドから多くのユダヤ人が逃げてきました。東の大国ソ連も、ユダヤ人を好ましくない民族とみるスターリンが支配していました。ですからユダヤ人には、もう逃げるところがなくなってきたのです。そのいわば最後の逃げ場所の一つがリトアニアだったのです。しかしそのリトアニアにも、すでにソ連の軍隊が進駐し、早く第3国に出て行かなくてはなりませんでした。アメリカに行くか、当時イギリス領のイスラエルに行くしかありません。
 しかしそのためには、まず東のソ連を通って船で日本に行き、そしてそこからアメリカに渡らなくてはならないのです。リトアニアに命からがら逃げてきたユダヤ人たちが、いちるの望みを託して、ある日、杉原のいるリトアニアの日本領事館の門の外に集まってきたのです。ソ連を通って日本に行くには、日本政府の発行するビザ(入国査証)が必要でした。そのビザを発行してもらうために、日本領事館の前に、あてもなく並んだのです。
 杉原は、すぐに本国である日本の外務省に、彼らにビザを発行する許可を得るために問い合わせましたが、返ってきた答えは「だめ」でした。杉原は悩みました。今自分のいる日本領事館の前に集まっているユダヤ人たち、着の身着のまま逃げてきている人たちです。ドイツに送り返されれば、殺されることが分かっている。ビザを発行すれば、彼らはソ連を通って日本に行き、そこからアメリカに渡ることができる。考えたあげく、杉原は意を決して、日本政府の決定に背いて自分の独断でビザを発行することにしたのです。
 領事館の前に集まっていたユダヤ人たちは歓声を上げました。それから毎日、杉原は、自分の万年筆で、手書きのビザを書き続けたのです。名前を間違えないように、しかしなるべく早く書かないとなりません。何千枚というビザを。夜になると、手が痛くなって、夫人が手をマッサージするとそのまま寝てしまうという毎日が続きました。
 しかしリトアニアは、すでにソ連に占領され、日本領事館に退去勧告を出してきたのです。杉原は、一刻も早くリトアニアを退去しなければなりませんでした。しかしまだまだ多くのユダヤ人が、日本の領事・杉原がビザを発行してくると聞いて次から次へと集まってきて、ビザの発行を待っています。
 ソ連から退去勧告が何度も来て、8月28日についに杉原は領事館を閉鎖して、ホテルに移らなければなりませんでした。そしてそこにもユダヤ人が来ました。杉原は、あり合わせの紙で、ビザを書き続けました。9月1日の朝、退去期限が切れて、杉原はベルリン行きの汽車に乗りました。しかし駅にまでユダヤ人たちがビザを求めてやってきました。杉原は汽車の窓から身を乗り出して、ビザを書き続けました。しかしついに汽車は動き出しました。
 その時の様子を、幸子夫人はこのように書いています。‥‥“「許してください、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています。」夫は苦しそうに言うと、ホームに立つユダヤ人たちに深ぶかと頭を下げました。茫然と立ち尽くす人々の顔が、目に焼き付いています。‥‥「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」。列車と並んで泣きながら走ってきた人が、私たちの姿が見えなくなるまで何度も叫び続けていました。”
 このようにして杉原が救ったユダヤ人は、6千人〜1万人にのぼると言うことです。
 その後ヨーロッパ各地を外交官として歴任して、戦後日本に戻った杉原は、外務省を辞めさせられます。リトアニアで杉原がユダヤ人にビザを書いたことについて、ユダヤ人からお金をもらって儲けていたという事実無根の心ない噂も広まったそうです。その後は家族の不幸に見舞われるなど、不遇の人生となりました。それから時がたち、1969年(昭和43年)、杉原に救われたユダヤ人のひとりであるニシュリという、在日イスラエル大使館の参事官が、ついに命の恩人である杉原を見つけだしたのです。ユダヤ人たちは28年間も杉原を捜していたのです。ニシュリは、杉原に会うと、一枚のぼろぼろになった紙を見せた。それは杉原からもらったビザだったそうです。彼は、あの日、駅のホームで‥「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」と叫んだ人だったそうです。
 さて、杉原はキリスト教ロシア正教の洗礼を受けたクリスチャンでした。ある時に、こう言ったということです、「あれは神の指がわたしになさしめたこと」だったと。神さまが杉原を動かしたと言ったのです。また杉原の次男・千暁さんが、あるときこのように語ったことが報道されました。「政府にそむくことはできても神にそむくことはできない、とクリスチャンの父は話していました」と。

 「義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。」地上のことばかり考えている私たちが、天の国のほう、神さまのほうを見つめたときに、幸いな世界が見えてきます。


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