2018年8月12日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 エレミヤ書3章22節
    マタイによる福音書4章23〜25節
●説教 「癒やし主キリスト」

 
    戦後73年
 
 今年は、太平洋戦争が終わってから73年目となります。そして今年は、その終戦の年1945年(昭和20年)と同じカレンダーだそうです。つまり、きょうは8月12日で日曜日ですが、昭和20年の8月12日も日曜日だったそうです。ですから、8月6日の広島原爆投下の日が同じ月曜日、長崎原爆投下の日が同じ木曜日、そして日本が連合国に降伏した終戦記念日15日が同じ水曜日となります。そして終戦から3年後の8月15日に、逗子教会は産声を上げたのです。
 73年経つわけですから、戦争経験世代も残り少なくなり、軍隊経験世代は90歳以上ということになりますから、もう本当に少なくなってきました。昭和から平成の時代となり、その平成も今年が最後の夏ということになりました。そういう中で、先日の読売新聞に、影絵作家の藤城清治さんの戦争経験が掲載されていました。藤城清治さんの影絵は、みなさんご存じと思いますが、戦後、雑誌の「暮しの手帖」に掲載されるようになって有名になりました。たいへん美しい、そして幻想的な影絵を作られます。そして藤城さんはクリスチャンで、聖書を題材にした影絵も数多く作られています。
 藤城さんは、慶応大学予科の学生の時に海軍の予備学生に志願し、滋賀航空隊に入隊したそうです。いざというときは特攻機に乗る覚悟だったそうですが、戦況の悪化と共に飛行機が足りなくなり、千葉県の九十九里浜の沿岸防衛についたそうです。そして8月15日の終戦を迎える。もともと人形劇が好きで、軍隊でも少年兵に見せたりしていたそうですが、戦後の物資不足となり、人形の材料が手に入らない。そのとき影絵のことを知る。そして影絵ならば紙と光があればできるということで始めたそうです。
 そして童話や聖書などを題材に、さまざまな影絵を制作してこられました。しかし、戦争物は作らなかったそうです。それは、自分は国に命を捧げるつもりで海軍に志願し、多くの友人が特攻に出撃するのを見送った、しかし自分は生き残った。申し訳ない。だから戦争物は作ってはいけないと、封印してきたそうです。
 ところが、2005年、広島の原爆ドームの前に立ったとき、戦争の悲惨さを80歳を超えた自分が影絵にしてそれを残し、次世代に語り継ごうと思ったそうです。そして、原爆を投下されても、樹木や生命が育ち、未来が生まれてくる。そういう思いを込めて、「悲しくも美しい平和への遺産」という影絵を制作されたそうです。
 そして次のように述べられて記事は終わっていました。「美しいものだけではない。戦争や災害で痛めつけられたものの中に素晴らしさがある。それを伝えるために僕の影絵は生まれてきたのかも知れません。」
 痛めつけられたものの中に美しさがある。私には、それはキリストの光が射し込むことによって生まれる罪の赦し、希望の美しさであると思われました。
 
    イエスという方がどういうお方であるかについて
 
 本日登場する人々は、病気や痛み、そして悪霊によって痛めつけられている人々、およびそれらの人を連れてきた人々です。
 23節にこのように書かれています。「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また民衆のありとあらゆる病気や患いを癒やされた。」 これは、このあとのイエスさまの働きについてまとめて述べているということが言えると思います。イエスさまは、そのように働かれたということです。
 イエスさまが世に出られて、宣教の働きを始められました。その第一声が17節に書かれていましたように「悔い改めよ。天の国は近づいた」でした。洗礼者ヨハネと同じく、そのように語るイエスさまを見て、当時の人々は「この人は何者か?何をしようというのか?」という好奇の目をもって見たのではないかと思います。
 わたしたちは、すでにイエスさまが何者であるかを知っているわけですが、あらためて考えてみますと、聖書が神の子であり救い主であると語るイエスさまは、いったいどんなお方なのか、何をなさるのか、ということは注目に値することです。いつまで経っても愚かなことを繰り返す人間を罰するために来られたのか? 裁くために来られたのか?‥‥いや、実際に人間はすぐに神を信じなくなり、罪を重ね、悪を重ねてきているわけですから、罰して裁かれても全然ふしぎではないはずです。ですから、神の子キリストであるというイエスさまが何をされるのかということは、やはり緊張感を伴って注目すべきことに違いありません。
 そのイエスさまがなされたことのまとめがここに記されているわけです。一つが、御国の福音を語られたということ、そしてもう一つは、人々の病気や患いを癒やされたということです。
 
    御国の福音を宣べ伝える
 
 まず「御国の福音を宣べ伝える」ということですが、諸会堂で教えられたと書かれています。この会堂というのは、シナゴーグと呼ばれる会堂で、安息日になりますとユダヤ人はそれぞれの町にある会堂に集まって、ここでみことばの礼拝をしました。みことばの礼拝というのは、聖書が読まれてそれについて説教がなされるという、今日の教会の礼拝に近い形です。いっぽう、羊や山羊など動物をささげて礼拝する礼拝は、エルサレムの神殿でなされました。それで安息日には、人々は神の言葉を聞くために会堂に集まりました。そして、説教は、会堂を管理している会堂長が指名すれば、だれでも説教できました。ですからイエスさまは、神の言葉を求めて来ている人々に語られたということになります。
 その「御国の福音を宣べ伝える」ですが、まず「御国」というのは王国という意味で、これは神の王国、つまり神の国のことを指しています。神の国、神さまの世界です。そして「福音」とは、うれしい知らせ、良いおとずれという意味です。したがって「御国の福音」とは、神の国、もしくは神の世界の喜ばしい知らせという意味になります。
 それはつまり、イエスさまは喜ばしい知らせを携えて来られたということになります。そうすると、17節に記されているイエスさまの言葉「悔い改めよ。天の国は近づいた」とは、すぐに神を信じなくなる愚かで罪深い私たち人間を裁いて罰する、脅かして悔い改めさせるという悔い改めではないということが分かります。この愚かで罪深い私たち人間に対して、主は、神の国の喜ばしい知らせを告げられたということです。
 
    癒やし
 
 そして、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れてきたので、これらの人々を癒やされた。病気。これは、昔は人間の大きな敵でした。今は病気になればお医者さんにかかりますが、当時は人生50年に満たない時代。病気にかかれば、ほとんどなすすべはなかった時代です。
 それをイエスさまは癒やされた。奇跡です。ただ、奇跡と言うと、「イエスさまは神の子だからそんなこと朝メシ前でしょう」と思われるかも知れません。なにか、切れた二本のロープをさっと1本につないでみせるマジックのような、あるいは超能力のように思われるかも知れません。しかし24節に書かれている「いやされた」という言葉は、病気を癒やすという意味の他に、「仕える」という意味がある言葉です。つまり何かマジックのように、ワン・ツー・スリーで苦もなく病気を治してみせるというようなものではなく、心がこもっているんです。
 仕える。仕えるというのはなかなかたいへんなことです。何か理由がないと、他人に仕えるということにはならないのがふつうでしょう。人が人に仕えるというのは、どういう場合でしょうか。損得勘定で仕えるという場合があります。会社や組織で上司に仕えるという場合は、そういう場合が多いでしょう。仕えないと、自分や家族が不利になるからです。あるいは、義務感で仕えるということもあります。義務だから仕方なく仕える。もっと他にはどういう場合があるでしょうか。愛して仕えるということがあるでしょう。その人を愛するから喜んで仕える。これはたいへん美しいことです。
 イエスさまの場合はどれでしょう。損得勘定ではないことは明らかでしょう。そもそも神の子である方が、こんな罪深い人間に仕えることが得になるはずもありません。また義務感からでもないことも明らかです。ではなぜイエスさまは人々に仕えられたのか? それはもう愛しかありません。ヨハネによる福音書3章16節で書かれているとおりです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」
 ここでイエスさまは、正しくて立派な人の病気を癒やされたとは書かれていません。神を信じる敬虔な人の病気を癒やされたとも書かれていません。まず愛されたのです。まず仕えられた。そして同時に、神の国の福音、喜ばしい知らせを告げられた。まさにイエスさまの語られる福音、喜ばしい知らせが喜ばしいものであることを、この癒やしは証ししていることになります。
 
    多くの人々が来る
 
 その結果、イエスさまの評判(うわさ)が、シリア中に広がったと書かれています。シリアというのはローマ帝国のシリア州のことを指しますが、ここではもっと広い地域を指しているようです。そうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側の地域と、各地から大勢の群衆が来て、イエスさまに従ったと書かれています。
 イエスさまが喜ばしい知らせ、神の国の福音を携えて来られたことが、口コミで広がっていった。現代でしたら、インターネットで一気に世界に広がっていったでしょうが、当時は口コミです。しかし現代でも、キリストの福音はインターネットで宣べ伝えられています。けれども人々が教会に押し寄せるということにはならない。それはなぜでしょうか?
 一つには、いろいろな情報が多すぎるということがあるでしょう。インターネットのおかげで、キリストのことも、逗子教会のことも、世界中の人が知ることができるようになりました。しかしそれは他の情報にとっても同じです。仏教も、神社も、イスラム教も、ヒンズー教も、創価学会も、新興宗教も、またカルト宗教も、みな同じようにインターネットに存在していて、どれも同じようにならんで見えるわけです。しかもどこも自分たちのところはすばらしいことを教えていると書いている。インターネットを見ている側は、どれが本当なのか、正しいのか、救われるのか、それだけでは判断できないということになります。
 町を歩いていると、スマホを持っていろいろ調べているような人をよく見かけます。そして食べ物屋さんに入っていったりします。美味しい食事処はどこかとインターネットで調べているのでしょう。そしてインターネットのサイトの口コミで、評判の良い店を選ぶ。そうして選んで入ったつもりが、全然良くなかったなどということは私も経験したことがあります。ですから、結局は自分の舌で確かめるしかない。
 
    近づきたもうキリスト
 
 これはイエスさまについても同じだろうと思います。25節に、各地から来た人々が、イエスさまに従ったと書かれています。この「従った」という言葉は「ついて行く」という意味があります。イエスさまについて行く。
 23節に「イエスはガリラヤ中を回って」と書かれていますが、この「回って」という言葉のギリシャ語は、「歩き回る」とか「巡り歩く」という意味の言葉です。
 ここが洗礼者ヨハネとイエスさまの違いです。洗礼者ヨハネは、人里から離れた荒れ野で教えを説きました。人々は、その荒れ野にいるヨハネのところに出かけて行って、洗礼を受けました。しかしイエスさまは、そうではありませんでした。イエスさまのほうから、歩き回って人々のところに近づいて来られたのです。これは考えてみれば驚くべきことです。なぜ神の子のほうから歩き回って人々のところに近づいて来られる必要があるのでしょうか? 本来ならば、人間のほうから神の子のほうに伺うべきではないのでしょうか?
 しかしイエスさまは、イエスさまのほうから歩き回って、巡り歩かれて、人々のほうへ近づいて来られました。神の国の福音、喜ばしい知らせを携えて。そこに神の愛が証しされているのです。
 そのイエスさまは今日もまた、イエスさまのほうから歩き回ってわたしたちのところに近づいて来られています。聖霊によって。そのイエスさまを受け入れて、従って行く、すなわちついて行くことへと招かれています。


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