2018年6月24日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 ヨブ記42章6節
    マタイによる福音書3章1〜12節
●説教 「まことの先駆者」
 



     洗礼者ヨハネ
 
 本日の聖書は「そのころ」という言葉で始まっています。しかし、実は時間的には、この前の箇所、すなわち幼子のイエスさまが両親に抱かれて避難先のエジプトから戻ってきて、ガリラヤのナザレの町に住んだということから、30年近い年月が経っています。ですから、この「そのころ」という言葉は、前の箇所とつながっているのではなくて、これから起きる出来事とつながっている言葉なんです。これから起きる出来事、それがイエス・キリストの登場です。
 しかし、いきなりイエスさまが登場するのではありません。今日登場するのは、洗礼者ヨハネという人です。昔は、バプテスマのヨハネと言われていました。バプテスマとはギリシャ語で洗礼のことです。イエスさまのことが語られる前に、洗礼者ヨハネのことがまず語られる。実はこれは、新約聖書の4つの福音書すべてに共通していることなんです。イエスさまの誕生のことについては、4つの福音書すべてで扱いが違っているのに、イエスさまが宣教を始められる前に洗礼者ヨハネがまず登場しているということは4つの福音書すべてが同じ。‥‥これは要するに、洗礼者ヨハネのことを語らないと、イエスさまのことは語れないということになります。
 ではその洗礼者ヨハネは何者かと言いますと、ひとことで言うとそれは、イエスさまがこの世に出られるための準備をした人であるということになります。大相撲で言うと、横綱の土俵入りのときに、横綱の前を歩く露払いのような人と言ったら良いでしょうか。どうしてそういう人が必要なのか。それはわたしたちがあれこれ考えるよりも前に、神さまがそのようにご計画なさったということが大切なところです。それで3節で、それが旧約聖書の預言者イザヤによって預言されているということを書いているんです。具体的に言うとイザヤ書40:3です。預言というのは神さまの言葉ですから、神さまがそのように、キリストが世に現れるための準備をさせた。それが洗礼者ヨハネであるということになります。
 その洗礼者ヨハネは、ユダヤの荒れ野で「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝えたと書かれています。
 ユダヤの荒れ野とはどこかというと、この地図のようになります。エルサレムからヨルダン川の方に向かって行く。そのあたりの殺伐とした乾燥地帯です。そしてヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていたと書かれています。この「野蜜」というのは、野生のミツバチの巣の蜜を採って食べていたというように思いますが、私が聖地に行きました時に、現地のガイドさんが、この野蜜というのは蜂蜜のことではなく、ナツメヤシの実のことだと言いました。ナツメヤシは乾燥地帯にも生えており、その実は甘くて栄養があるのだそうです。いずれにしても、らくだの毛衣を着、皮の帯を締めてそのような野生のものを食べて生きているというのは、なにやら野人のようでもあり、また修験者のようでもありますが、同じような出で立ちの人が他にも聖書に出てきます。それは旧約聖書の列王記に登場する有名な預言者エリヤです。このエリヤを連想させます。
 また、格好がエリヤに似ているというだけではなくて、実際に洗礼者ヨハネは神さまが再び地上に遣わすと約束なさったエリヤであることがのちに明らかになります。神さまが再び地上にエリヤを遣わすと預言なさったのは、旧約聖書の一番最後の書、マラキ書の3章の終わり、まさに旧約聖書の最後の言葉なのですが、そのマラキ書3:23〜24にこのように書かれています。「見よ、わたしは大いなる恐るべき主の日が来る前に、預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に、子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもってこの地を撃つことがないように。」
 神の裁きによって、この世を破滅させることがないように、預言者エリヤを遣わす。そのようにおっしゃっている。そのエリヤが、洗礼者ヨハネであるということです。神さまが、預言通りエリヤを遣わしてくださった。この世を救う、その準備をするために。ですから、洗礼者ヨハネの出で立ちもまた、そのエリヤを指し示していると言えるでしょう。
 
     救いを求める人々
 
 その洗礼者ヨハネは、このように宣べ伝えたと書かれています。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」
 たいへん興味深い言い方だと思います。なぜなら、「天の国に近づきなさい」とヨハネは言ったんじゃないんです。「天の国は近づいた」と、天の国、すなわち神の国のほうからあなた方のところに近づいてきている、と。まことに変わった、不思議な言い方ではないでしょうか。神の国のほうからわたしたちのところに近づいてきたなんて、何を言っているのか分からないという方もいるかも知れません。しかし実はそれが、キリストの来られる準備となっているということです。神の国のほうから近づいている。それはイエスさまが近づいているということなんです。天の国、神の国の所有者であるイエスさまが近づいているということである。そのことがやがて明らかになります。
 ヨハネがそのように宣べ伝え始めると、人々は続々と荒れ野にいるヨハネのところに出て行って、罪を告白し、洗礼を受けたと書かれています。荒れ野というのは、砂漠のような乾燥地帯です。人が住んでいない所です。そんなところでヨハネは活動していたという。町の中ではなく、人がいない所で。来たければ来い、というような感じです。ところが人々が続々とその荒れ野のヨハネのところに出かけて行ったという。その中には、一部のファリサイ派やサドカイ派の人々、つまり宗教家である先生たちもいたという。‥‥なぜ、そんなにも、多くの人々が荒れ野のヨハネのところに出かけて行って、悔い改めて洗礼を受けたのでしょうか? この無一物の修験者のような出で立ちのヨハネのところに?
 それは、人々の間に、求める心が生じたということでしょう。救いを求める心が生じたのです。「悔い改め」とは、わかりやすく言えば、「自分は、このままではダメだ」と気がつくことです。ふだん人は、「これでいいのだ」と思っている。あるいは「しかたない」と思っている。しかし、同じ人が、「このままではダメだ」と気がつく時がある。しかし、どうしたらよいのか分からない。そんなときに、洗礼者ヨハネが悔い改めのバプテスマを宣べ伝え始めた。それで人々は、ヨハネのところに押し寄せた。‥‥そういうことがこのとき起こったのです。
 
      日本にも
 
 日本でも、多くの人々がキリストを求めた時代が、今までにおもに2回ありました。一つは戦国時代です。もう一つは先の戦争が終わった後、だいたい終戦後10数年までです。逗子教会もその時期に創立となりました。日本の教会では、この終戦後に洗礼を受けてクリスチャンとなられた方が一番多いのです。私の両親もそうでした。
 それでこの時期は一般に「キリスト教ブーム」の時代と呼ばれています。しかし、ある時、北陸学院の院長を務めた井上良彦先生が「キリスト教ブームという呼び方はおかしい」とおっしゃいました。「ブームとか流行で自分たちは教会へ行ったわけじゃない。本当に魂が飢え渇いていた。救いを求めて教会へ行ったんだ」と、ちょっと怒ったようにおっしゃったことを思い出します。日本が戦争で負けて、人々の魂が救いを求めて飢え渇いていた。そういう時代が訪れたということでしょう。
 このことは、作家の三浦綾子さんの自伝を読んでも分かります。早いものですね。もう三浦綾子さんが亡くなってから19年も経つんですね。
−−−−−−−−−−−−−−−−
 三浦綾子さんは太平洋戦争前、女学校を卒業して16歳で小学校の教師になります。そしてそれは熱心に、子供たちの教育に情熱を傾けたそうです。生徒たちには厳しく思われたかも知れないけれど、愛情を持って教えた。たとえば、クラスの生徒ひとりひとりについて日記をつけていたそうです。それで生徒の人数分の日記をつけていたといいますから、そこまで先生に思われている生徒たちは幸せだと思います。
 当時は、「人間である前に国民であれ」と教える時代であった。国粋主義、軍国主義ですね。日本国民として、お国のために自分を捧げることが当然であるという時代です。そういうことを何の疑問もなく、熱心に生徒に教えた。ところがその日本が戦争で負けて、終戦となりました。そうするとアメリカに占領され、今度はガラッと変わって民主主義教育をしろということになる。今までの教育は間違っていたと。しかし生徒が使う教科書は、すぐには新しいものができません。それでアメリカの指示で、今まで使っていた教科書のあちこちを墨で黒く塗ることになりました。それを先生の指示で、生徒に筆を持たせて墨で塗らせる。「何ページの何行目から何ページの何行目まで墨で塗りつぶしてください」と言って塗らせる。
 三浦綾子さんは、自分は今まで間違っていたことを教えていたのだろうかと、生徒に申し訳ないと思って涙が出たそうです。何が正しくて、何が間違っているのかが分からなくなった。それで、こんなことで教師を続けていくことはできないと思って、終戦の翌年、昭和21年3月をもって小学校の教師を辞めるんです。そうすると、ちょうどと言いますか、肺結核にかかってしまう。そして療養所で生活することになったのです。そういう病気のことと、生徒たちに対してすまなかったという思いとで、「自分はなんのために生きるのか?」という疑問にぶつかります。そしてそういう療養生活のなかで、幼なじみの前川正に再会する。その前川正はクリスチャンでした。そして彼を通してキリスト信仰に導かれるのです。
−−−−−−−−−−−−−−
 当時の人の話を聞くと、この三浦綾子さんのように、戦争に負けてそれまで正しいと信じてきたことが崩壊してどうしたらよいのか分からなくなった、そういう魂の飢え渇きが生じたと言うことをよく聞ききました。そういう時代に、多くの人が救いを求めて教会の門をたたいたというのが真相であったというのは本当のことだと思います。洗礼者ヨハネが現れた時代、多くの人々が魂の飢え渇きを生じて、救いを求め始めた。それで、荒れ野のヨハネのところに出て行ったのだと思います。
 今はどうか。現在は、日本では宗教心が低下し、人々はなかなか魂の救いを求めようとしないと言われます。しかし、人間が救われる必要があるという事実は、時代が違おうがなんだろうが変わることはありません。ただそれを現代は、テレビやインターネットや娯楽で紛らわせているだけです。蓋をしているだけです。いつの時代であろうが、わたしたちはキリストによって救われなければならない存在なのです。
 
     来られるキリスト
 
 しかしヨハネ自身は、自分はキリスト=メシアではないということを言います。「わたしの後から来る方は」と、これから来るキリストのための準備をしているという。
 ヨハネは、ヨルダン川で人々に洗礼を授けていました。ヨハネの授けていた洗礼。旧約聖書では洗礼という言葉は出てきませんが、水で身を清めるということは律法に記されています。例えば、自分が穢れた場合、水で身を洗って清めるんです。また神殿で仕える祭司たちは、聖所に入る前に身を洗って清めました。
 これは日本人にとっては理解しやすいことでしょう。日本の神社の境内にも手水舎(ちょうずや・てみずや)という、参拝者が口をすすいで手を洗って清める場所があるのと似ています。また、みそぎをする、水垢離をとるというのもこれです。ですから、洗礼者ヨハネが施していた洗礼は、みそぎであると言っても良いでしょう。
 しかしヨハネは言いました。「悔い改めにふさわしい実を結べ」と。たしかに、みそぎをして身が清まるといっても、中身の自分は何も変わっていないわけです。だからそういう意味では、みそぎをしただけでは何の意味もないわけです。そういう意味ではヨハネの授けていた洗礼は、しるしに過ぎない。しかしその洗礼が指し示していたしるしは、ヨハネの後から来られる方、すなわちイエス・キリストを指し示す洗礼であったという点で、特別なものとなったのです。
 ヨハネは言いました。「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」。これがキリストの洗礼です。洗礼者ヨハネの行っていた洗礼、すなわちみそぎは、その人を清めるという外面的なしるしにすぎません。しかし、キリストが授ける洗礼は、聖霊を与える洗礼であり、それは火が脱穀した後の殻を焼くように、私たちの中の罪穢れを焼いてくださる。そして私たちを、聖霊と共に生きる新しい人へと実際に変えてくださる。このどうすることもできない自分という人間を清め、天の国、神の国の住人にしてくださる。‥‥ここに本当の救いがあり、希望があります。


[説教の見出しページに戻る]