2017年8月6日(日)逗子教会 主日礼拝説教・平和聖日
●聖書 ハガイ書2:4
    使徒言行録27:21〜26
●説教 「元気の出る言葉」
 
     讃美歌21-471番「勝利を望み」
 
 本日は「平和聖日」であり、また72年前に広島に原爆が投下された日です。あらためて平和の尊さを心に留めたいと思いますが、同時に、平和というものが主イエス・キリストの赦しと和解の福音なくして成り立たないということも心に留めたいと思います。
 先ほどご一緒に歌いました讃美歌「勝利を望み」は、原題は We shall over come という歌で、もともとは黒人霊歌です。1960年代にアメリカの公民権運動(人種差別撤廃運動)の指導者であったマルチン・ルーサー・キング牧師が好んだ歌として有名になり、ミュージシャンのジョーン・バエズが歌ったことでも有名になりました。また、ベトナム反戦運動でも歌われました。
 この歌詞は、誰かを非難したり攻撃したりしていません。そこがすばらしいと思います。神の国を目指して共に進もうという歌詞に聞こえます。
 
     絶望の人々
 
 さて、きょうの聖書の25節で、使徒パウロは「わたしは神を信じています」と語っています。「わたしは神を信じています」!
 クレタ島に停泊していた船。パウロは神の示しに従い、この港で冬を越すべきだと主張しましたが、しょせん一囚人の身。船長と船主の判断で船は港を出港しました。すると案の定、エウラキオンと呼ばれる暴風が吹き出しました。船は波風にほんろうされ、木の葉のようにもみくちゃにされながら漂流しました。そして20節に「ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」と記されています。これは、人間の目で見て助かる見込みはなくなったということです。航海のプロである船長、船員たちから見てもです。荒れ狂う暴風の中で十数日。もはやどうすることもできない。人々は絶望しました。海というものは恐ろしいものです。船の板一枚下は海です。船が沈没すれば死が待っているのみです。
 人々は、長い間食事を取っていなかったという。船に浸入する水を掻き出すことで食べる暇もなかったのか? あるいは、船が大波に揺れて食事どころではなかったのか? あるいはまた、食事ものどを通らないほどの不安と恐怖に包まれていたのか?
 
     パウロの言葉
 
 そういう中でパウロが立ち上がって語り始めます。「皆さん、わたしの言ったとおりに、クレタ島から船出していなければ、こんな危険や損失を避けられたに違いありません。」‥‥これは聞きようによっては、「だからいわんこっちゃない」という言葉のようにも聞こえます。つまり「後悔先立たず」あるいは「後の祭り」というような言葉にです。
 しかしこのパウロの言葉はそのような文句を言っている言葉ではありません。むしろ先のパウロによって語られた神の言葉に耳を傾けなかったことに対する、悔い改めを求める言葉であります。パウロを通して語られた神の言葉に耳を傾けなかった。そのことに対する警告です。もっとも、そのようなことを今さら言われてもしかたがない、今はそんな場合ではない、生きるか死ぬかなのだと言いたくなる人もいたでしょう。
 しかし続けてパウロが語ったのは、希望の言葉だったのです!裁きの言葉でもない、あきらめの言葉でもない、希望の言葉だったのです!
 「元気を出しなさい!」とパウロは語りました。この「元気を出しなさい」という言葉には、「元気を出して喜びなさい」という意味があります。そんなことを言われても、この絶望的な嵐の中で、どうして元気を出して喜ぶことができるというのか? その根拠は何か? するとパウロが言うには、昨夜、パウロの所に神の御使いが現れて語ったというのです。
 
     御使いの伝言
 
 それが24節です。そこで御使いが語った言葉は、「皇帝の前に出頭しなければならない」ということでした。「出頭しなければならない」という言葉は、「出頭することになっている」と日本語に訳すことができます。すなわち、あなたはローマ皇帝の前に出頭することになっている、神がそう決めておられるというのです。つまり、パウロはこの嵐から救われてローマの都に行くことができる、そういうことになっているというのです。
 そして御使いが言うには、「一緒に航海しているすべての者を、神はあなたに任せてくださった」。すなわち、パウロと同じ船に乗っている276人の人をどうするかはパウロの判断に任せられたというのです。
 
     神の言葉を聞く者
 
 こうして神がパウロをこの嵐から助け出し、ローマ皇帝の前に連れて行くという。そしてパウロにこの船の全乗員の運命がゆだねられたという。そしてパウロは、この船の全員が助かることを信じたのです。それが「わたしは神を信じています」(25節)という言葉です!神の言葉はその通りになると信じている。パウロは神の言葉を聞いたのです。
 こうして人々はすべての希望を失いましたが、パウロの言葉、すなわち神の言葉に希望をつなぐように導かれたのです。鎖につながれた一人の囚人に過ぎないパウロが、今や船長のような立場に立っている。人々に希望を与える者となっている。それは今見ましたように、パウロが神の言葉を聞いたからです。そのように、この嵐の中で神の言葉を聞いた者が頼りにされていきます。
 わたしたちも礼拝をし、また日々聖書を読み祈る生活をしております。聖書を通して神の言葉を聞いている。これは何か自分一人を養うために信仰生活をしているのではありません。何か嵐が訪れた時に、あるいは不安の中にいる人に、知らずのうちに希望を与え道を示すことができるのです。主はそのようにわたしたちを用いようとされています。パウロは人々を励まそうと思っていたわけではない。しかしパウロは神の言葉を聞いた。それが人々に希望を与え、何をなすべきかを教えることになったのです。
 わたしたちが日々おこなっている祈りの生活が、時にそのような力を発揮するものであることを感謝したいと思います。
 
     大切なものは何か
 
 暴風が続き、18〜19節を読むと、船を軽くするために、人々はまず積み荷を海に投げ捨てた。次に船具を海に投げ捨てた。そして次回の個所である38節では、穀物を海に投げ捨てて船を軽くしました。この捨てていった物の順番には興味深いものがあります。海に捨てた物はいずれも大切なものに違いありません。しかし船が沈没を免れるためには船を軽くしなければならず、何かを捨てなければならない。そうすると、大切なものの中でも、生き延びるためにどうしても無くてはならないというものではないものから順に捨てることとなります。
 積み荷を捨てたら荷物の依頼主から損害賠償で訴えられるでしょう。しかし積み荷が無くても死ぬわけではない。次に、船具。それが無くては船を運航するのに支障を来します。しかしその中でも、どうしても無くてはならないものを除いて捨てざるを得なくなった。そして最後に穀物。これは食料です。食べ物が無くては生きて行くことができない。しかしそれさえも捨てざるを得なくなった。ただしそれは、パウロの言葉を信じてから捨てました。食べ物を捨てたら、残るは命しかありません。しかしその命が助かるとパウロは言った。それを信じたから捨てることができたのです。つまり、最後に残ったのは「命」です。命がもっとも尊いものであることがよく表れています。
 パウロは、22節で「船は失うが、皆さんのうち誰一人として命を失う者などないのです」と語りました。船さえも失うという。しかし命だけは失われないと。
 現代の日本。戦後の日本は経済成長し、多くの物があふれ、平均寿命も大きく伸びました。それと反比例するかのように、人々は神と信仰にあまり関心を示さなくなりました。しかしきょうの個所は、なくてはならないものが何かを教えています。本当に大切なものは何か、他のすべてのものを失ったとしても、かけがえのないものは何か?‥‥それが命であることを明らかにしています。
 教会は神の言葉を語り続けます。それは命の言葉です。人々が本当に大切なものを見出すように、そういう言葉をこれからも語り続けます。人々が暴風に襲われ、世の中を闇が覆い、絶望した時にも教会は語る言葉があります。「元気を出しなさい」「わたしは神を信じています」イエス・キリストを信じなさい、と。そのように語ることができます。
 
     讃美歌21-474「我が身の望みは」
 
 この讃美歌を歌いながら天に召されていった一人の牧師がいます。石井忠善という石神井教会の牧師さんが1966年に癌で亡くなりました。結婚してわずか半年しか経っていませんでした。ある日、お風呂に入っていたら、いきなり腰が抜けたそうです。お医者さんに診てもらったら脊椎に癌ができている。何時かは分からないが,やがて呼吸困難になって死ぬだろうという診断でした。奥さんはそのことを夫に知らせるべきか否か悩んだあげく,神に祈りました。そして,やっぱり知らせるべきだと考えて知らせました。彼は「よく言ってくれた」と奥さんにお礼を言って,それではと,病院から教会の牧師館に自分を移してもらい,それからはベッドに横たわって,死ぬまで牧師の仕事をし続けたのです。心にかけている教会員を呼んで話しました。病床で3組もの結婚式の司式をつとめました。何度か説教もしました。そして遂に天に召される日が来たのです。
 日曜日に呼吸困難が起こり,みながあわてて近くの病院に入れて酸素吸入などをやって貰っていた。そうしたら,「お母さん抱いてください」と言ったそうです。息がとても苦しそうだった。お母さんが胸にだきとめて,急いで使いの者をやって,看病疲れで交替で眠っていた奥さんを呼んだのです。奥さんがかけつけて来た。お母さんと奥さんが体をささえて,背中をさすってあげた。そしたら彼は静かに歌を歌い始めた。彼の一番好きだった、この讃美歌です。奥さんも,お母さんも,まわりの者もみんな一緒になって,その讃美歌を歌ったのです。そして,1番を歌い,2番を歌い,3番を歌ううちに,段々と彼の声がかすれてきて,どうしたのかなと思ったら眠るように最後が来たのだそうです。(梅染信夫著『栄光、神にあれ 讃美歌物語』新教出版社、より)
 この讃美歌の4節、「終わりの知らせのラッパの音(ね)聞く時、主の義をまといて、みまえにわれ立たん」‥‥「主の義」とは、キリストが十字架にかかってわたしたちに与えてくださる義です。イエス・キリストによって、わたしたちは神の国において神の御前に立つことをゆるされている。キリストにあっては命を失うものはない。「元気を出しなさい」と語ることのできる幸いを感謝いたします。


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