2017年7月30日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 エレミヤ書13:15
    使徒言行録27:1〜20
●説教 「人の知恵と神の言葉」
 
     シリア難民の証し
 
 シリア、イラクはアブラハムの出身地であり聖書でもなじみが深い場所ですが、ご承知のようにイスラム国が国家樹立を宣言した場所であり、血みどろの戦争が続いています。
 そういう中で、シリアから多くの人々が難民となって隣国のトルコに逃れました。そして、クリスチャントゥデイというキリスト教のインターネット新聞によりますと、その避難民の中で証しが生まれているそうです。
 シリア北部のラッカからトルコに避難してきた70代の男性は、熱心なイスラム教徒で、コーランこそ「神の最後の言葉」であり、イスラム教は「それ以前のすべての宗教をしのぐ」と考えていました。その男性は、難民キャンプを訪れる人たちが、難民の写真や動画を撮るだけで何も助けてくれないことに失望していたそうです。その難民キャンプに、イギリスのキリスト教救援団体「クリスチャン・エイド・ミッション」が関わるようになりました。彼は、クリスチャン・エイド・ミッションの人にも、「あなたも二度と戻ってこない」と言って怒りをぶつけたそうです。しかしエイド・ミッションの責任者は2週間後再びキャンプを訪れ、食べ物や水や救援物資を届けたそうです。それでその男性は、「本当にありがとう、過去2年間で約束を守ったのはあなただけだ」と叫んで感謝したそうです。
 しかし彼は、イエスさまの話に耳を傾けることはしなかったそうです。しかしその男性は数ヶ月後に重い病にかかってしまったそうです。すると死を意識する中で、男性は自分のために祈ってほしいと頼んだそうです。彼が言うには、「明日は生きていられるかどうか分からない。でも、あなたが話してくれたことがいつも頭の中にある。わたしは天国に行きたいが、その方法が分からない」と言ったそうです。それに対してエイド・ミッションの責任者は、イエス・キリストを救い主として受け入れるなら、神はあなたの罪を赦し神のいる天国に入れてくださると話したそうです。
 1週間後彼のところを訪れると、彼の病気は癒やされていて、何ごともなかったように元気になっていました。そして完全にキリストを受け入れ、家族に新しい信仰を教えているそうです。そして、このような事例は、この地域で数多く報告されているそうです。彼は、キリストを信じるようになった多くのイスラム教徒の一人にすぎないそうです。
 クリスチャンにとっては、彼らも兄弟姉妹です。シリア、イラクのために祈り続けたいと思います。
 
     同行者
 
 さて、自分の裁判についてローマ皇帝に上訴したパウロは、いよいよローマへ護送されることとなりました。ここで1節の冒頭ですが、「わたしたちが」と書かれています。わたしたちとはだれのことか。まずこの使徒言行録を書いたルカであることは分かります。それから2節にありますようにアリスタルコです。少なくともこの二人がパウロに同行しています。
 まずルカです。ルカはなぜ同行することができたのか。おそらくルカは医者ですから、持病を持っていたパウロの主治医として同行が許可されたものと思われます。また護衛責任者である百人隊長にしても、医者が同行することは他の人が病気になった場合も助かるということがあったでしょう。ルカはユダヤ人ではありません。シリア人であるといわれています。今までのパウロの伝道旅行でも、しばしば同行いたしました。
 次にアリスタルコです。彼は2節に書かれているようにテサロニケ出身のマケドニア人、つまりヨーロッパの人です。この人が使徒言行録で最初に出てくるのは19章です。パウロがエフェソで伝道していて、多くの人がイエス・キリストを信じるようになりました。そうすると、今までエフェソの町の守護神であったアルテミスという偶像神の銀細工の神棚を作っていた人々の商売がうまくいかなくなってきた。それでその銀細工職人たちがキリスト教に反対して暴動を起こしました。そのときガイオと共に暴徒に捕らえられたのがアリスタルコでした。今回、アリスタルコはテサロニケ教会を代表して、パウロのエルサレムへの旅に同行してきたと思われます。パウロが書いた手紙の中に、「フィレモンへの手紙」というたいへん短い手紙がありますが、その手紙はこのカイサリアかローマで書かれたものと推測されますが、その中でパウロはパウロの協力者としてマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカの名前を挙げています。目立たないけれども、アリスタルコは本当にパウロを支えた人であると言えます。
 そのアリスタルコが、なぜ今回護送されるパウロに同行することが許されたのか? おそらく、アリスタルコはパウロの奴隷であるといって同行が許可されたのでしょう。もちろんそんなことをパウロが求めたとは考えられません。アリスタルコ自らが、自分で申し出たのでしょう。そうすると奴隷は主人の所有物ですし、またパウロはローマの市民権を持っていまし、まだ裁判中の未決勾留囚ですから、奴隷同行が認められたと考えられます。そのことが察せられるのは、コロサイの信徒への手紙4:10です。そこでアリスタルコがパウロと一緒に囚われの身となっていると書いています。アリスタルコがパウロと同じ罪で捕らえられたということはありませんから、これはパウロの奴隷ということを指していると推測できるのです。
 自分を奴隷として登録し、パウロのローマへの護送の旅に同行する。ここに本当に献身的に仕える人の姿があります。アリスタルコには、もはや自分の身の安全がどうであるとか、身分がどうだとか、名誉がどうであるとかいうことは全く関心がありません。ただ使徒パウロのためを考えてのみ行動している。いやそれは使徒パウロのためというよりも、使徒パウロを用いておられるキリストのために我が身を完全に献げている姿がそこにあります。このパウロの裁判は、キリスト教会がどのように裁かれるかの裁判であり、そのために自分には何ができるのか。何もできないが、せめて使徒のそばにいて、その手足となって仕えることはできる。‥‥そういう思いであったのではないでしょうか。
 いつの時代も、教会はそのような献身者によって支えられてきました。
 
     船旅
 
 さて、パウロたちはカイサリアから海路で、他の囚人たちと共にローマへ連行されることとなりました。ローマの軍船ではなく商船に他の乗客らと相乗りです。パウロら囚人たちの護衛兵は、「皇帝直属部隊」の百人隊長ユリウスという人が率いる部隊でした。皇帝直属部隊というのは要するに近衛隊のことです。そしてこのユリウスという人は親切な人であったようです。シドンに船が立ち寄った時には、パウロの下船を許可し、もちろん護衛兵をつけてでしょうが、教会の友人たちの所に行かせてくれました。
【プロジェクター】
 さて、この船の針路ですが、カイサリアから出発して北上してシドンに寄港し、キプロス島付近を通ってミラに着きました。この船はローマまで行かないので、ここで船を乗り換えました。乗り換えた船はちょうどイタリアに行く船でした。しかも大きな船で、37節にはこのとき船に乗っていた人は276人いたことが書かれています。もちろん帆船です。
 そこからクニドスという所に近づくも、風に阻まれてクレタ島の南を行き、「良い港」と呼ばれる港に入港しました。
 
     分かれる意見
 
 しかしここで、この先どうするかをめぐってパウロの意見と、船長および船主の意見が合わないということになりました。季節は「断食日」を過ぎていたという。これはユダヤ教の大贖罪日のことで、9月下旬から10月上旬となります。季節はこれから冬に向かう。そうすると地中海は強風が吹くようになって、航海に不向きな季節となる。
 それでパウロは、この航海では大きな危険と損失をもたらすことになると述べました。もちろんパウロは船乗りではありません。しかし今までの伝道旅行を見ても、何度も船旅を経験してきました。しかも次のように述べている個所があります。(2コリント11:25)「難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。」‥‥そんなまさに地獄を見るような経験をしてきたということがありました。
 いっぽう船長と船主は、この「良い港」という港は良い港ではなく冬を過ごすのに適していないという。それが具体的にどういうことを指しているのか分かりませんが、もう少し先のフェニクス港まで行ったほうが、快適に冬を過ごせるということでしょう。こうして意見が分かれました。
 
     神の言葉
 
 さて、パウロの意見ですが、これはパウロの経験から言っているだけでしょうか? それは神がパウロに示されたことではないかと思うのです。なぜなら、今船が停泊している「良い港」から、船長船主の希望するフェニクス港まではそれほど遠い距離ではなく、いくらこれから海の荒れる季節であると言っても、決して無謀な航海とは言えないからです。なのにパウロは、ここにとどまったほうが良いということを言っています。
 たしかにパウロは、神がそのように言ったとは述べていません。しかし、神さまがわたしたちに御心を伝える方法には、いくつかの方法があります。
 まず、直接神の言葉が与えられるというものがあります。これは聖書では「預言」と呼ばれます。次に、例えばマタイ福音書1章で、イエスさまの父となったヨセフに天使が夢の中で告げるような場合、すなわち夢や幻の中で示されるということがあります。さらに他には、状況を通して神の御心が示されるということがあります。例えば旧約聖書のヨナ書で、神様の命令から逃げたヨナが乗った船が、嵐に遭遇するというような場合です。
 また他には、神さまがその人に確信を与えることによって御心を示されるということもあります。たとえば、使徒言行録19:21で、パウロが強くエルサレム行きを決心している個所があります。これは主がパウロにエルサレムへ行くのが主の御心であると確信させたということであると思います。そのように神を信じ、常に神の御心を求めて祈る人に、主は御心を示し、確信を与え、導いてくださる。そういうことです。パウロはそのような形で主に示され、ここから出航するとたいへんな嵐に遭遇し、甚大な被害を受けると警告したのです。
 
     人の言葉と神の言葉
 
 しかし大多数の人々は、船長と船主の言う意見に賛成し、船は「良い港」を出港してフェニクス港を目指すこととなりました。パウロの言うことよりも、船長の言うことに賛成する。それはむしろ当然のことでしょう。船長は航海のプロフェッショナルです。一方パウロは素人です。しかも囚人です。誰がそんなパウロの言うことを支持するでしょうか。当然と言えば当然の結果でしょう。ところが実は、こうして出航した結果、とんでもない災難に導くこととなるのです。
 ひるがえって、現代はどうでしょう。日本では神を信じる人が少なくなり、人々はこの世のこと、お金のことばかりを考えています。聖書の言葉、神の言葉を語っても、興味を示す人は少ない。それは多くの人々の関心事ではない。神の言葉に何の力があるかと思っている。
 しかしパウロの語った言葉がムダであったかと言えばそうではありません。確かにこのあと船はたいへんな嵐に遭遇し、命の危機にさらされます。そのとき、人々はパウロの言葉に耳を傾け始めるのです。
 教会が語る言葉も、今は多くの人々の関心を得るに至らないかもしれない。ではなぜ教会は主の言葉を語り続けるのか。それは主がわたしたちにそのように望んでおられるからです。やがて日が落ちて闇が訪れる。そのときに備えて語り続けるのです。


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