2017年5月14日(日)逗子教会 主日礼拝説教
●聖書 民数記22章31
    使徒言行録22章6〜16
●説教 「あの日の出来事」
 
     母の日
 
 本日は母の日です。
 ただ今使徒言行録で、パウロの働きを通して神の恵みを学んでいますが、パウロにも母はいたに違いありませんが、そのことはどこにも書かれていません。あるいは、もう亡くなっていたとも考えられます。
 ただ、一個所、パウロが母と呼んでいる個所があります。それはローマの信徒への手紙16章13節です。こう書かれています。‥‥「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです。」‥‥ローマの教会の一員にルフォスという人がいて、その母親について「彼女は私にとっても母なのです」と書いています。パウロはルフォスの母親を自分の母のように慕っている。
 さて、このルフォスという人ですが、聖書にはこの人の名前がもう一個所登場するところがあります。それはイエスさまの十字架についての記述である、マルコによる福音書15章21節です。イエスさまが総督であるポンテオ・ピラトによって十字架刑の判決を受け、その十字架を担いで歩くところです。‥‥「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。」
 イエスさまはすでに激しくムチで打たれていたので、とても処刑場まで十字架を担いで行くことのできる状態ではありませんでした。そこにたまたま、北アフリカのキレネからやって来ていたシモンという人が通りかかったので、ローマ兵の隊長がイエスさまの十字架を彼に無理やり背負わせたと。そのシモンについて、「アレクサンドロとルフォスとの父」と紹介しているのです。すなわち、イエスさまの十字架を無理やり担がされたキレネ人シモンの息子がルフォスです。
 福音書が、わざわざ「アレクサンドロとルフォスの父でシモン」と実名を書いているのは、この人たちがのちにキリスト信徒となったことを暗示していると言えます。そしてそれは確かであった。先ほど述べましたとおり、パウロが「主に結ばれている選ばれた者ルフォス」と非常に信頼している人としてルフォスの名前を挙げている。そしてその母を、私にとっても母だと言っている。そしてそのルフォスの母は、つまり、イエスさまの十字架を無理やり担がされたシモンの妻であるということです。
 皆さん。私はとても感動するのです。かつてイエスさまが十字架につけられる時、たまたま通りかかったというだけで、無理やりイエスさまの十字架を担がされたシモン。十字架を担がされた時は、なぜ自分が死刑囚の十字架を担がなければならないのかという怒りと不満でいっぱいだったことでしょう。しかしシモンは、イエスさまの十字架の一部始終を見ていて、何か心動かされるものがあったのだと思います。
 そして彼はその後どういう導きかはどこにも書かれていないので分かりませんが、イエス・キリストを信じるようになった。そして、その息子たち、つまりアレクサンドロとルフォスも信徒となった。妻もです。その妻と息子のルフォスが、どこでの出来事かも全く分かりませんが、パウロと出会い、同じキリスト信徒として親しくなった。妻は、パウロを我が子のように大切にした。パウロも、彼女を自分の母と呼ぶようになった。‥‥
 まさに神の導きです。そして、この麗しい関係の始まりは、キレネ人シモンが無理やりイエスさまの十字架を担がされた時にあったのです。すなわち、シモンにとってはそれが「あの日の出来事」であったことになります。
 
     語るパウロ
 
 さて、パウロはエルサレムの神殿の境内で誤解を受けて捕らえられ、群衆から暴行を受け、殺されるところでした。そこに暴動に発展することを恐れたローマ軍の千人隊長が部隊を率いて出動し、パウロの身柄を確保しました。そしてパウロを連行する時に、パウロが群衆に向かって話したいというと、隊長はそれを認めました。そしてパウロは、自分を殺そうとしているユダヤ人たちに向かって語り始めました。
 このような場合、ふつう何を語るでしょうか。おそらく、自分は無実である、今回のことは誤解であると、自分の無実を晴らすために事実をいっしょうけんめい語ることでしょう。実際、パウロがかけられた嫌疑は無実なのですから。
 ところがパウロは、そのように自分の身を守ることを何も語らないのです。それどころか、自分がいかにしてキリスト信徒となったかという証しを語り始めたのです!すなわち、ここに集まった敵意を持った群衆に対して伝道する。伝道というのは「道を伝える」と書きます。4節で「この道」と言っていますが、それが救いの道、イエス・キリストの道です。
 前回の個所、1節から語り始めたのはそういうことでした。パウロを告発する群衆に、かつての自分の姿を重ね合わせていました。かつてパウロが、キリスト教徒を憎み、激しく迫害していた頃の自分をです。
 
     あの日の出来事
 
 私たちにも、「あの日」というものがあるのではないでしょうか。すなわち、私の人生において決定的な日のことです。ここで言うのは、信仰において決定的な日です。「あの日があったから、自分はキリストのもとに導かれた」という日です。
 パウロは、その自分にとっての「あの日の出来事」を語り始めます。いわゆるパウロの回心の出来事です。パウロの回心の出来事は、使徒言行録に3回繰り返して出てきます。きょうは2回目です。パウロ自身の口によって語られます。殺気立つ群衆の前で。
 パウロがまだユダヤ名のサウルと呼ばれていた頃、パウロは誕生して間もないキリスト教会を激しく迫害していました。同じユダヤ人でありながら、イエスをメシアと信じる者は異端であり神を冒涜する者であると断罪し、迫害したのです。そして、その迫害の手を国外にも伸ばし、シリアのダマスコに逃れたユダヤ人キリスト信徒を迫害するために、ダマスコに向かっていた時のことでした。突然天からの光に照らされ、パウロは地面に倒されました。そして自分に向かって語りかける声を聞いた。「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」。‥‥それは、自分が神の敵であると思っていたイエスの声だったのです。
 パウロはその声の主に向かって問うた。「主よ、あなたはどなたですか?」すると「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」との声‥‥。
 パウロにとってこれはどんなにか大きな驚きだったことでしょうか。パウロにとっては、イエスとは、まさに憎むべき偽メシアでありました。その偽メシアを、キリスト教徒たちは、イエスはよみがえって天に昇られたといって信じている。怪しからんことこの上ない存在であったでしょう。だからイエスを信じるキリスト教とを迫害していた。しかし、あの日あの時、自分に語りかけた声はそのように名乗ったのです。
 しかもそのイエスは、パウロを罰するために現れたのではなく、パウロを救い、罪を赦して世界に向かってイエス・キリストを宣べ伝えるために来られた!
 まさに、天から現れたキリストと出会って、パウロはイエスさまを信じたのです。パウロは何か自分の頭で考えて、イエス・キリストを信じるようになったのではありません。本当にイエス・キリストと出会ったから信じたのです。しかも、イエスさまのほうから自分のところに近づいてきてくださった。イエス・キリストを信じる者を迫害したので、救われる値打ちのない自分のところに。そのキリストの愛を体験して、信じたのです。それは事実だったのです。
 
     私のあの日の出来事
 
 私にも「あの日の出来事」がありました。続けて当教会に来ておられる方は、ご存知の通りです。
 大学を卒業して就職した会社を、病気をして退職し、郷里の静岡県の町に戻った私。挫折感から、しばらくぶらぶらしていました。隣町のS市に、暇をつぶすにはちょうどよい喫茶店を見つけ、そこのマスターと仲良くなった。その日も、その喫茶店で暇をつぶし、夕方になったので店を出て、街角をバス停まで歩いて行く途中のことでした。ふいにうしろから、「小宮山じゃないか」と声をかけられた。挫折していた私は、知り合いと会いたくなかったので、だれだろうと困った気持ちで振り向くと、それは幼なじみでした。ちょうど仕事帰りの様子で、自転車から降りて近づいてきました。そして、ふつうなら「ひさしぶりだな」と言うのでしょうが、彼は突然「お前むかし教会に通っていたな。キリスト教について教えてほしいから、今晩おれの家に来いよ。じゃあ」と言って、また自転車に乗っていってしまいました。
 私はその間、たぶん何もしゃべっていない。今何が起こったのかも分からず、夜、近所に住む彼の家に、本当に久しぶりに行きました。私は教会を5年間も離れているし、今や神もキリストも信じていない。彼に何も話すことなどないと思いながら。
 彼の部屋に上がって、驚きました。彼の本棚には、聖書は讃美歌、キリスト教の入門書などが並んでいる。昔の彼を知っている私は、どうしても彼とキリスト教が結びつかない。こういっては失礼だが、彼はキリスト教は全く縁のないような人物にしか見えなかった。ところがそのような本が並び、キリスト教について教えてくれと言う。彼は、教会に行くこともなく、ラジオのFEBCキリスト教放送を一人で聞いてきたというのです。
 私は、挫折して静岡に戻ってから、初めて自分の心の内を他人に伝えました。自分は挫折したこと、そしてどうして良いかも分からないこと、教会から遠ざかっており、君に教えることは何もないということなど‥‥。すると彼は、「じゃあ、祈ろう」と言って、私のために祈り始めました。私は、またまた驚きました。彼が祈るなどということが、どうしても信じられないのです。しかし彼は私のために祈ってくれました。すると私の心があたたかくなり、まるで光が射したかのように感じました。
 それが私にとっての、新しい始まりでした。「あの日の出来事」です。そこから、たたみかけるように、次々と私へのキリスト包囲網が敷かれていったのでした。
 本当に不思議でした。あの日、あの時の出来事がなかったら、私はどうなっていただろうと思います。おそらく、大学時代を過ごした岡山へ行っていたのではないかと思います。そして引き続き神なき世界で生きていったのかも知れない。‥‥そう思うと、あの日、S市の街角での幼なじみとの出会いは、偶然などではなく、主が、イエス・キリストがなさった出来事であったのだと信じることができるのです。あの日があったからこそ、私は再び教会へと戻り、信仰への道を歩くことができた。
 
     あの日の出来事は今日の出来事
 
 皆さまにも、あの日の出来事というものがあるはずです。それはパウロの回心のような劇的な出来事ではなかったかも知れない。誰かに誘われて教会へ初めて足を踏み入れた、というだけのことように思っておられるかも知れません。しかし、そこに確実に、主イエス・キリストの導きがあったと言えるのです。なぜなら、主の導きでなければ、だれも教会の礼拝に来ることはできないからです。
 そして「あの日の出来事」は、「あの日」だけで終わるのではありません。あの日、私たちに近づきたまいて、導かれた主は、きょうも今も同じように近づいてくださり、導いていてくださっているのですから。ゆえに、「あの日の出来事」は、「今日の出来事」となるのです。今週も、主の導き、主の働きを知ることができますように。


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