礼拝説教 2017年3月5日 主日礼拝

「主日礼拝の出来事」
 聖書 使徒言行録20章1〜12  (旧約 創世記1:3〜5)

1 この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。
2 そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、
3 そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。
4 同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。
5 この人たちは、先に出発してトロアスでわたしたちを待っていたが、
6 わたしたちは、除酵祭の後フィリピから船出し、五日でトロアスに来て彼らと落ち合い、七日間そこに滞在した。
7 週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。
8 わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。
9 エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。
10 パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」
11 そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。
12 人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。





     東日本大震災6周年

 東日本大震災から6年が経過しました。このことを覚え、先ほど聖歌397番をご一緒に歌いました。今なお、被災地では仮設住宅に多くの人々が住んでいます。また、町は復興途上です。昨年末、有志で福島県と宮城県の被災教会のいくつかにうかがいました。すでに教会報でご報告したとおりです。たしかに町も教会も、建物や道路などは次第に修理され、あるいは建築がなされつつあります。しかし、たとえば福島第一原子力発電所に近く、まだ避難指示が解除されていない所に建っています当教団の浪江伝道所の建物の前に立った時、まだ震災は終わっていないという気持ちを強くさせられました。どんなに人口が減少している地域にあったとしても、どんなに小さな教会であったとしても、そこで主日礼拝が行われている限り、そこは主の教会なのです。
 また、いわゆる「復興」とは何かということを考えずにはおれません。町の道路や建物は復興したとしても、心はどうだろうかと考えずにはおれません。そうしたときに、イエス・キリストの福音、喜ばしい救いの知らせを宣べ伝える教会を守り抜かなければならないと思うのです。

     パウロの旅程

 さて、きょうの使徒言行録ですが、エフェソの町で発生した、神棚製造業者によって引き起こされたキリスト教大糾弾集会が収まり、パウロはエフェソを去ることにいたしました。あとは「弟子たち」、すなわち信徒たちに教会を任せ、マケドニア州に出発しました。
(プロジェクター投影/第3回世界伝道旅行の図)
 マケドニア州からギリシャ、すなわちアカイア州へと進んでいきました。これらの地域は、前回の第2回世界伝道旅行のときに伝道して誕生した教会がある地域です。マケドニア州には、フィリピやテサロニケがありますし、アカイア州にはアテネやコリントがあります。そのように、前回の伝道旅行で誕生した教会の群れを巡回し、それらの教会の群れを励まし、教え、牧会して回ったと思われます。そしてコリントにて、ローマの信徒への手紙を書いたものと思われます。
 このあたりのことは使徒言行録にはくわしく書かれておりませんので、どこをどう回ったか、はっきりとは分かりませんが、だいたいそういうことが考えられるわけです。そしてパウロは、船でシリア州へ渡り、エルサレムへ行こうとしました。しかし3節に書かれているように、ユダヤ教徒による「陰謀」、おそらくはパウロの暗殺計画があることが分かったため、海路をあきらめ陸路をとることにしたのでした。そうして、トロアスに来た。そこがきょうの出来事の起こった場所です。トロアスは、アジア州の北部沿岸にある町です。7人の仲間がパウロと同行したことが書かれています。
 そして6節で再び「わたしたち」という言葉が主語になります。つまりこの使徒言行録を書いたルカが、再びここで合流いたします。ルカはフィリピから船でここまで来ていました。

     トロアスの主日礼拝にて

 そのトロアスで起きた出来事が7節からの所に記されています。「週の初めの日」とありますが、これはもちろん日曜日のことです。最近は何かテレビも間違うようになってきて、土曜日日曜日のことを「週末」と言ったりしています。そしてあろうことか、カレンダーも日曜日からはじまるのではなく、月曜日からはじまるカレンダーがあったりします。これは完全な間違いであって、週の初めの日は日曜日です。
 7節では、その週の初めの日に、「私たちがパンを裂くために集まっていると」と書かれています。「パンを裂く」というのは聖餐式のことです。聖餐式は、言い換えればキリスト教会の礼拝のことでした。すなわち、キリスト教会が「週の初めの日」すなわち日曜日に礼拝をしていたことがここで分かるのです。それまでは、土曜日が「安息日」と呼ばれていました。そして旧約聖書に書かれているように、安息日には仕事を休みました。そして集まって聖会、これは礼拝のようなものですが、それをおこなっていました。しかしキリスト教会は、きょうの使徒言行録を読むと分かるように、かなり早い時期から土曜日ではなく日曜日に集まってパン裂き、すなわち礼拝をしていたのです。
 それは、イエスさまが日曜日によみがえられたからです。そしてまた、今日もう一個所読んだ旧約聖書の創世記の一章に記されているように、神が天地を創造された第一日目、それが日曜日です。こうして教会は、イエス・キリストがよみがえられた日、復活の日、新しい創造の日として、日曜日を礼拝の日とするようになりました。喜ばしい日としてです。

     若者の蘇生

 そのトロアスの、ある信徒の家に集まって日曜日の礼拝が行われました。「階上の部屋」とありますが、ここでは3階建ての家だったようで、3階のことです。「たくさんのともし火」がともされていたと書かれていますように、これは夜の礼拝、すなわち夕礼拝でした。というのは、当時は日曜日が休みではありませんから、日中の仕事が終わり、一段落してから信徒の家に集まって礼拝をしていたのです。だから、最初教会の礼拝は夕礼拝であったのです。私たちの教会も4月から夕礼拝を開始いたしますが、その意味でも原点に立ち帰る思いがいたします。
 「たくさんのともし火」ということばは、それが夕礼拝であったと言うことをいうためにわざわざ書かれているのではなく、次の出来事の伏線になっていると思われます。それは何かというと、ある若者が部屋の窓から下の地面に転落してしまうという事件が起きたことです。その若者は礼拝が行われ、パウロが説教している3階の部屋の窓に腰をかけていました。「たくさんのともし火」とありますから、かなり広い部屋だったことが分かります。そして多くの人々が集まっていた様子がうかがえます。しかし、たくさんのともし火がともされていたということは、だんだん空気が悪くなって、言わば酸欠状態になっていった。そういうことを言いたいのだと思います。
 そういう中で、パウロの話しが長く夜中まで続いた。これは説教だと言っていいと思います。なぜ長く説教をしたかということですが、以前パウロがここで伝道をしたということはどこにも書かれていません。しかしここに教会の群れができていた。パウロがここの教会で話しをするのは、たいへん珍しいことであったかもしれません。それでパウロも、イエス・キリストの救いについて教えたいことがたくさんあったことでしょう。そういうわけで、話しが長くなっていったものと思われます。
 しかし先ほど言いましたように、人々は昼間の労働を終えて、夜集まっています。さらに、たくさんのともし火がともされていて人も大勢集まっていて、換気が悪かった。この若者は、まだ外気が入る窓の所に腰掛けていましたが、それでもそういうことが重なって居眠りをしてしまった。そうして外に転落してしまったのです。教会のみんなはびっくりしたことでしょう。1階に降りて、駆けつけると、若者はもう死んでいたと書かれています。
 するとパウロが続いて降りてきて、若者を抱きかかえると、「騒ぐな。まだ生きている」と言ったと書かれています。「まだ生きている」と訳されていますが、それは死んだと思ったが実は死んでいなかったという印象を与えてしまいます。ここはギリシャ語を直訳すると「彼の中に彼の命がある」という言葉になります。わかりやすく言うと、「命がある」と言っているのです。そしてその前後を読むと、9節では「もう死んでいた」。また12節では「生き返った青年」と書かれていますので、やはり一度たしかに死んだ。しかし生き返った、ということがはっきりします。
 そもそもこの使徒言行録を書いたのはルカという人であり、医者であります。そして7節を読むと、「わたしたちが」と書いていますように、ルカがこの現場にいたのです。医者であるルカが、3階から転落したこの若者がたしかに死んだことを確認した。しかしそのあとパウロが降りてきて、若者を抱きかかえると生き返った‥‥そういうことを言っているのです。パウロが若者を抱きかかえた時、言うまでもないことですが、パウロは彼の蘇生を主に祈ったに違いありません。そして主が、若者を蘇生させて下さったということです。そういう奇跡が起きたのだ、とルカは書いているのです。

     生まれ変わった私たち

 さて、若者が生き返ったというこの出来事ですが、昔の奇跡の話しということで終わらせてしまってはなりません。むしろ、わたしたち自身と密接に関係することとして読みたいのです。もちろん、私たちもやがて死にます。そして主によって復活いたします。しかしそれだけではありません。イエスさまを信じている私たちに起こった出来事であるということです。というのも、私たちも一度死んだ者だからです。たとえば、パウロが書いたガラテヤの信徒への手紙に次のように書かれています。
(ガラテヤ2:19〜20)「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」
 これから死ぬのではなく、もうすでに死んだ、と。キリストと共に十字架にかけられて死んだと述べています。このことは、ローマの信徒への手紙で具体的に書かれています。
(ローマ 6:3〜5)「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。」
 そのように、私たちキリストを信じる者は、すでにキリストと共に死んだのです。違う言い方をすれば、イエス・キリストが、十字架にかかられて、わたしに代わって死んで下さったのです。そのキリストを信じることによって、私たちもすでに死んだのです。そしてキリストがその死からよみがえられたことによって、私たちはそのキリストの新しい命を与えられているのです。イエスさまがわたしに代わって死んで下さった。だからわたしもすでに死んだ。しかしそのイエスさまが、復活なさった。そのイエスさまによって新しい命を与えられている。
 古い罪の自分は死んでいる。イエスさまが十字架にかかられて、わたしとなって下さって死んで下さった。もう神の罰は受けて下さったのです。それによって、私たちは、キリストと共に新しい命に生きているのです。この恵みを、きょうの聖書は思い起こさせてくれます。
 私たちは、キリストによって新しい命をいただいている。新しく生きることが出来る。であるのに、そのことを忘れて、古い自分のまま、喜びもないまま歩んでいないでしょうか。主の復活を喜ぶこの礼拝から、私たちは新しく造られた者として感謝をもって歩み始めたいと思います。

(2017年3月5日)


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