礼拝説教 2017年1月29日 主日礼拝

「幻の民」
 聖書 使徒言行録18章1〜11  (旧約 ヨナ書4:10〜11)

1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。
2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、
3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。
4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。
5 シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。
6 しかし、彼らが反抗し、口汚くののしったので、パウロは服の塵を振り払って、言った。「あなたたちの血は、あなたたちの頭に降りかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人の方へ行く。」
7 パウロはそこを去り、神をあがめるティティオ・ユストという人の家に移った。彼の家は会堂の隣にあった。
8 会堂長のクリスポは、一家をあげて主を信じるようになった。また、コリントの多くの人々も、パウロの言葉を聞いて信じ、洗礼を受けた。
9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
11 パウロは一年六か月の間ここにとどまって、人々に神の言葉を教えた。





     コリントという町

 本日の聖書個所で、パウロはギリシャのコリントという町に足を踏み入れます。コリントという町は、どこにあるのか。プロジェクターの画面を見てみます。
 (プロジェクターで地図を映す)
 今回のパウロの第2回世界伝道旅行で、パウロはこのように進んでいきました。そしてこのアジアで、聖霊に導かれてヨーロッパに渡ることとなりました。船でエーゲ海を渡って、ヨーロッパのマケドニア州に上陸し、フィリピの町で伝道し、そしてテサロニケ、ベレア、アテネと進んでいきました。そしてここがコリントです。(ポインターで示す。)ローマ帝国の首都、ローマはここです。
 次に拡大図を見てみましょう。
(プロジェクターで拡大図を映す)
 前回のアテネがここです。(ポインターで示す)コリントがここです。コリントは、こちらのエーゲ海とイオニア海の二つの海に挟まれた、幅8キロ足らずの狭い所にあります。両側に港があります。そして、ギリシャの北の方から南の方に行くには、必ずコリントを通らなければなりません。というわけで、交通の要衝でした。たいへん繁栄したようです。そしてまた、コリントは歓楽街として有名だったようです。コリントの丘の上には、アフロディーテという豊穣の女神の神殿がありました。そしてそこには多くの巫女さんがいて、それはいわゆる娼婦でした。それで、「コリントする」という言葉があって、それは「不品行を行う」という意味だったそうです。それぐらい、歓楽街で有名だったようです。
 パウロは前回、アテネで伝道しました。そちらは、当時のヨーロッパの文化と学問の中心地でした。パウロが福音を語り、キリストの復活を語り始めたところ、多くの人々はそれをあざ笑い、それ以上耳を傾けませんでした。要するに、インテリの知識やプライドが邪魔をして、イエス・キリストを信じられなかった。そういう人が多かった。そういう難しさがありました。
 今回のコリントは、逆にこの世の快楽と喧噪の町でした。静けさとはほど遠い町です。そういう世俗的な町のゆえの難しさがありました。対照的です。
 私自身の経験で言うと、私の伝道者としての初任地は能登の輪島でした。そこは、浄土真宗という確固とした仏教が生きている町でした。それとともに、神社の神事がさかんに行われていました。すなわち、確固たる宗教が根付き、生きているところでした。そういうところに伝道の難しさの一端がありました。そして現在の逗子、神奈川県ですが、こちらは北陸とは違って、逆に宗教が希薄な印象を受けています。多くの人々にとって、宗教は大事な生活の一部になっていない。むしろ宗教というと敬遠される面さえある。それゆえの難しさがあると思います。
 しかしわたしは思います。伝道の簡単な土地など、この世界のどこにもないのだと。キリスト教国と言われるアメリカでさえ、本当に主の御心を宣べ伝えようとしたら、やはり難しさがあるに違いありません。しかしいっぽうで、主は、どこにおいても必ず主に従う人、助け手を起こして下さるということが言えるのです。どこにおいても、主の働きを見ることが出来るのです。

     アキラとプリスキラ

 コリントに足を踏み入れたパウロ。そこでパウロは、アキラとプリスキラというユダヤ人夫婦に出会います。この二人はもともとローマ帝国の首都ローマに住んでいたようですが、皇帝がユダヤ人をローマから退去させるよう命令したので、彼ら夫妻はこのコリントに来ていたと書かれています。
 そしてこの出会いがパウロにとって、とても大切な出会いとなります。なぜなら、このアキラとプリスキラ夫妻は、パウロにとって非常に大きな助けとなり、またキリスト教会に献身的に仕える夫妻となるからです。しかも彼らはパウロと同じ職業であったと書かれています。それはテント造りでした。
 ここにパウロの職業が明らかにされています。テント造りというのは、テントだけを作っていたのではなく、ほかにカーテンであるとか、外套もつくっていたものと思われます。そしてパウロはおそらく腕のよい職人であったように思われます。というのは、たとえばテサロニケの町でも職人として働いて生活の糧を得ていたように推測できるからです。すぐに収入を得ることが出来るというのは、やはり腕のよい職人であったということでしょう。

     シラスとテモテ

 そしてこの町で再び、シラスおよびテモテと合流します。二人はマケドニア州にいたと書かれています。おそらく、フィリピの教会などを教会として整えるために奉仕していたのでしょう。そして二人は、フィリピ教会からの献金を持ってきたようです。それでパウロは、自ら働いて生活の糧を得ることなく、伝道に専念できるようになったのです。こうして伝道者の働きを、教会が支えるという形が次第にできていきました。
 そしていつものように、ユダヤ人の会堂に行って、メシアはイエスさまであると力強く証しをしました。コリントにも大勢のユダヤ人が住んでいて、ユダヤ人会堂があったのです。しかし彼らの多くは、それを聞き入れなかった。それでパウロは、ユダヤ人会堂を出て、異邦人、ここではギリシャ人ですが、そちらに伝道すると宣言しています。
 ユダヤ人会堂を出てどこに行ったかというと、それは「神をあがめるティティオ・ユスト」という人の家でした。「神をあがめる」という言い方は、ユダヤ人ではなく、異邦人からユダヤ教に改宗した人のことで、その人がパウロたちのために自分の家を提供したということは、キリスト信徒になったということになります。しかも彼の家は、ユダヤ人の会堂の隣でありました。このユダヤ人たちにしてみれば、パウロたちを追い出したと思ったら隣でまた伝道を始めたのですから、おもしろくなかったでしょう。
 しかも、そこにユダヤ人の会堂の会堂長だった、クリスポという人が、一家を挙げて主イエスを信じるようになったと書かれています。そういう思わぬ神の働きを見ることが出来ました。

     主の幻

 さて、ある夜、主は幻の中でパウロに語られました。それが9〜10節です。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたとともにいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
 主がこのように語られた。なぜでしょうか? 主がこのようにわざわざ語られたということは、パウロ自身に恐れや迷いがあったのではないかと思います。だから主は、「恐れるな、語り続けよ」と語られた。
 パウロは何を恐れ、迷っていたのか? なかなかパウロが思ったようには、伝道が進まない、続々と人々がイエス・キリストを信じるというほどにはならない。そういうことがあったのかもしれません。前回のアテネでは、少数の人々がイエス・キリストを信じただけで終わった。今回のコリントでも、ユダヤ人会堂の会堂長や、隣に住んでいたユストはイエス・キリストを信じたものの、パウロはもっと続々と人々がイエスさまを信じることを期待していたのかも知れません。しかし、そうでもなかった。そういうところに、パウロの迷いや、不安が生じていたのかも知れません。
 こういうとき、世間では「自信を失う」というような言い方をするのですが、キリスト信仰では「自信」というような言葉を使いませんから、もしかしたら信仰が揺らいだ、あるいは、伝道者として本当に自分が召されていたのだろうかという不信仰が首をもたげたのかも知れません。まさにそのような時に主がパウロに語られたのです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな」と。そして「この町には、わたしの民が大勢いる」と。
 私はこの御言葉には、たいへん思い出があります。それは先ほど述べた、私の初任地であった輪島でのことです。教会はメソジスト教会が大正時代に伝道して出来た教会でしたが、先ほど述べたような事情があり、また、人口が減少している土地でしたので、教会の規模は小さいままで、私が赴任した時は礼拝出席者が10人でした。人間の目から見たら、伝道は不可能で、教会はどんどん人が減っていくように思われたことでしょう。
 しかし、輪島で伝道者としてスタートしてしばらくして、わたしが神学校時代在籍した三鷹教会の婦人会が、バナー(旗)を作って送ってくれました。そこには、この御言葉、当時の口語訳聖書の言葉ですが、「この町には、わたしの民が大ぜいいる」という言葉がデザインされて縫い付けられていました。そして羊が縫い付けられてました。私はそれを教会の玄関に飾りました。それを見ていると、主が私たちを励まして下さっているように見えました。
 「この町には、わたしの民が大勢いる」。神さまの民、イエスさまの民が大勢いると言われるのです。今はわずかの人しか教会に来ていない。人間の目にはそれしか見えない。しかし、主なる神さまは、実は多くの人を信仰に導こうとされている。すでに神さまのご計画では、多くの民を教会に加えようとされている。ただそれが、私たちには見えないだけだということです。
 主はパウロに「わたしがあなたと共にいる」とおっしゃいました。私たちはひとりぼっちでは、心細くて不安になります。私たちは、誰といっしょに行くかで、ぜんぜん違ってきます。そのとき、主が、イエスさまがわたしといっしょに行ってくださるのであるならば、これ以上心強いことはありません。私たちには先を見ることが出来ません。しかし主はご存知です。その主が「あなたと共にいる」と語ってくださる。本当に心強く思います。

(2017年1月29日)


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