礼拝説教 2016年12月18日 主日礼拝

「別の王」
 聖書 使徒言行録17章1−9  (旧約 詩編24:9−10)

1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。
2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、
3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
4 それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。
5 しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。
6 しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。
7 ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」
8 これを聞いた群衆と町の当局者たちは動揺した。
9 当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。





     テサロニケ伝道

 フィリピを去ったパウロとシラスは、次にテサロニケの町に向かいました。なお、前のフィリピの町では、主語が「わたしたちは」となっていましたが、ここからまた「パウロとシラスは」となっています。つまり、この使徒言行録を書いたルカそしてテモテがここではいなくなっている。おそらく、ルカとテモテは引き続きフィリピに残り、パウロとシラスが町を追い出され、しかしやり残したことがあった。それをしているものと思われます。たとえば、できたばかりの教会を整えるといったようなことです。
 さて、パウロとシラスは2節で、3回の安息日に渡ってユダヤ人の会堂で、聖書に予言されているメシアはイエスさまのことだと語ったと書かれています。つまり、テサロニケにいた期間は3週間であるように読めます。
 しかし、実際は3週間ではなく、もう少し長い期間テサロニケにいたものと思われます。なぜなら、たとえばのちにパウロが書いたテサロニケの信徒への第一の手紙1:5〜10を読みますと、かなり長い間テサロニケで伝道したことが想像されます。また、フィリピの信徒への手紙4:15〜16を読むと、パウロがテサロニケにいる間に、フィリピの教会の信徒たちが何度もパウロに物を送ってくれたと書かれています。そういうわけですから、3週間というのは、たとえばユダヤ人会堂で説教したのが3週間ということであって、ユダヤ人会堂を追い出されてからも、引き続きテサロニケの町で伝道していたと考えられます。
 そして、最初はいつものようにユダヤ人の会堂で伝道し、ユダヤ人と、ギリシャ人でありつつ旧約聖書を信じてユダヤ人の会堂に集って礼拝している人々の中から、イエス・キリストを信じる人々があらわれました。そしてそこから次第に信じる人が広がっていって、ギリシャ人であり異教徒である人々の中からも、次々とイエス・キリストを信じる、すなわち、宗旨替えをする人々があらわれていったようです。
 そしてその中から、たとえばきょうの聖書個所の最後で、パウロとシラスの代わりに迫害されたヤソンのような、献身的に教会に奉仕する人が出てきたのです。ヤソンは、フィリピに於ける女性商人であるリディアのように、自分の家を教会として提供していたのかも知れません。そういう人が現れてきたのです。

     別の王

 しかし、伝道が前進すると、同時にそれに反対する勢力も現れるのが常です。ここでは、ユダヤ教徒がねたみを抱いて、反対運動をしました。彼らは、パウロたちが「イエスという別の王がいる」と言って、ローマの皇帝に対して反乱をもくろんでいる、革命を起こそうとしていると、反逆罪で告発しました。もちろんこれは不当な告発です。
 さて、「王」という言葉を聞いて、現代人は、とくに若者は、どのようなイメージを抱くでしょうか。「王」と聞いてもピンとこないでしょう。民主主義の中で生きていますから。私も本当のところは実感がありません。日本では、「天皇」ということになるのでしょうが、天皇陛下は、ご自分の隠退も自由にできないという不自由な身分です。また、英国のエリザベス女王にしても、「君臨すれども統治せず」という有名な言葉がありますように、日本の天皇と同じように、実質的に国を支配しているわけではありません。だから「王」と言われてもピンとこないでしょう。
 しかし、聖書の当時の皇帝であるとか王というのは、国によって違いはあるものの、基本的には実際の国の統治者であり、支配者であり、その多くは独裁的な権力者と言っていいでしょう。わかりやすく言えば、逆らえば死刑となるということです。洗礼者ヨハネが首を切られたのもそうです。だから従わざるを得ないのです。それが「王」です。ですから、パウロたちを告発する人たちは、パウロらキリスト信徒が皇帝に対して反逆をたくらんでいると危機感をあおっているのです。
 しかし念のために言っておくならば、キリスト信仰は、政治支配者に対して反逆など企てることはありません。むしろ支配者への服従を説いています。たとえば、有名な聖書個所では、(ローマ13:1)「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」と言われています。また、(テトス3:1)「支配者や権威者に服し、これに従い‥‥」と書かれています。ですからキリスト信徒は、この世の国の王に対して反乱など起こさない。だから、きょうヤソンを捕らえて訴えている人々は、全く不当なことを言っているのであり、単にキリスト信徒にねたみを感じて、迫害しようとしているだけです。
 しかし、では彼らの言っていることが、全くデタラメかと言えば、そうでもありません。いや、彼らがキリスト信徒に対して言っている「イエスという別の王」がいるという告発の言葉は、本当のところを言えば、本当にホントだと言えるものです。たしかに私たちは、イエスという王がいると信じています。それは、信仰の世界に於ける王であり、霊的世界に於ける王です。

     王なるキリスト

 聖書においては、イエスさまが王であるとは、どのように言われているでしょうか。  たとえば、マタイ福音書2:2には、ベツレヘムに生まれたイエスさまを訪ねてやって来た、 東方の博士たちの言葉があります。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
 また、ヨハネ福音書 1:49には、 ナタナエルがイエスさまの弟子となった時の言葉が書かれています。は答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」
 このように、イエスさまが王とされています。それは信仰の世界の王、霊的世界の王です。そして実は、信仰の世界、霊的世界のほうが本当であり、その意味で言うならば、イエスさまこそ真の王、真の支配者であるということになります。この世の目で見ると、地上の国々の王や皇帝が世界を支配しているように見える。しかし、信仰の目をもって見るならば、実は父なる神がイエスさまと共に支配し、導いておられるのです。そのことを信じているのです。
 イエスさまは真の王です。しかも暴力と脅迫で王になっているのではありません。
 マタイ福音書21:5では、イエスのエルサレム入城・ゼカリヤ書9:9預言の成就として、「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」と記されています。また、マタイ福音書27:37には、十字架の イエスの頭の上に「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げたことが記されています。
 イエスさまという王は、十字架という王座に着かれたのです。十字架という死刑台、それがこの方の王座となりました。それは、私たちを救うために、ただそれだけのために十字架にかかられたのです。自らの命を捨ててくださったのです。私たちのために命を投げ打ってくださったのです。それは愛の王です。
 そしてヨハネの黙示録1:4 -5には、こう書かれています。‥‥「ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、‥‥」。
 私たちを救うために十字架にかかって死んでくださり、私たちの命を与えるために、復活なさった。私たちに命を与えてくださる王です。私たちを脅迫し、抑圧する王ではありません。私たちを愛し、救ってくださる王、仕えてくださる王です。その方のため、私たちは、強制されてではなく、自ら進んでイエスさまを私の王として仰ぎ、従っていくのです。

     イエスは真の王

 戦国時代に、キリスト教は急速に布教しましたが、秀吉が天下をほぼ手中に収めた時代になると雲行きが怪しくなってきました。秀吉は、バテレン(宣教師)追放令を出します。宣教師は国外退去し、教会は破壊され、信徒は改宗を迫られることとなりました。その時、秀吉に従って九州征伐に同行していた、キリシタン大名高山右近も、キリスト教信仰を捨てることを迫られます。小説家の浅田晃彦さんによれば、右近への使者としてそれを伝えに来たのが、千利休でした。高山右近は利休七哲呼ばれる、利休の七人の高弟のひとりでした。利休は秀吉からの伝言として、右近の領地没収と追放を伝えます。ただし、右近が改宗するならば、武士としての身分は保証し、佐々成政に仕えることを許すというものでした。
 このとき高山右近は、利休に対してこのように答えたとあります。「そんな予感もしておりましたので、わたくしの回答は決まっております。キリシタンを邪教とは思っておりませんので、改宗のつもりはありませぬ。謹んで追放令をお受けいたします。」‥‥そうして高山右近は、領地を没収され、大名の地位を剥奪されました。しかし、主君の秀吉が命じようとも、茶道の師匠である利休からそれを伝えられようとも、信仰を捨てることはありませんでした。言い換えれば、イエス・キリストを自分の王とし続けたのです。
 この世の王・主君に従う。しかし、主君がキリスト信仰を捨てよと命じた時には、迷わずキリストのほうを選んだのが高山右近でした。そこには、自分を救ってくださったイエス・キリストに対する感謝があったに違いありません。そのキリスト・イエスさまこそ、真の王であるということです。
 その少し前、戦国時代、キリスト信仰が人々の間に広まっていた時のことでした。当時の商業の中心地の一つ、大阪の堺の町で、松永久秀と三好三人衆が対立していました。しかしそれぞれの陣営の中にかなりキリシタンの武士がいました。そのキリシタンの武士たち70名が、クリスマスの時に、敵味方関係なく一堂に集まって、クリスマスのミサにあずかりました。そしてミサのあと、持ち寄った料理を仲良く食べあったということです。それをおおぜいの庶民が詰めかけて見ていたそうです。敵同士が、イエスさまの誕生を祝うクリスマスに仲良く集まっている。どんなに人々は驚いたことでしょうか。
 ここにも、まことの主君、真の王がどなたであるかと言うことが証しされています。敵同士であっても、真の王は同じ方、イエス・キリストであると。私たちは、その真の王イエス・キリストに、進んでお仕えするのです。

(2016年12月18日)


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