礼拝説教 2016年10月30日 主日礼拝

「別れても進む」
 聖書 使徒言行録15章36〜41  (旧約 ダニエル書7:13〜14)

36 数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」
37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。
38 しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。
39 そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、
40 一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
41 そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。





 本日は最初に悲しいお知らせをしなければなりません。昨日夕方、H警察署より電話があり、Y姉が亡くなったらしいというのです。「らしい」というのは、身内の方がおらず、遺体の確認ができないからのようでした。しかし、Y姉のアパートの部屋で遺体が見つかっているので、本人に間違いないものと思われます。なぜ逗子教会に電話してきたかというと、うちの教会との関係をうかがわせるものがあったということでした。おそらく、部屋に週報とか、そのようなものがあったのでしょう。
 本当に驚きました。わたしと家内は、Y姉のアパートに行きましたが、すでに警察が撤収したあとでした。それでH警察署に行きましたが、ご遺体は検死に回っているようでした。本人が当教会員であることを告げ、できればお祈りをしたいので、また連絡をくださいと伝えて戻って参りました。
 Y姉は独り暮らしでした。あまりにも突然のことでした。ちょうど、先ほど読んでいただきました旧約聖書ダニエル書7章13〜14節。これはダニエルが見た幻です。「人の子のような者」とは、イエスさまのことでしょう。その予言です。「日の老いたる者」とは、父なる神さまのことでしょう。天において、イエスさまが父なる神さまから権威、威光、王権を受けられた。なぜ王権を受けられたのでしょうか。それは十字架にかかられたからです。十字架でご自分の命をなげうって、私たちを救って下さった、その愛のゆえです。そして諸国の人々は彼を礼拝し、その支配、統治は永遠に続くと予言されています。
 Y姉は、このイエスさまのもとで、たしかな慰めと平安を得ていると信じます。祈りましょう。「父なる神さま、私たちは驚くべきことを聞きました。H警察から、Y姉と思われる遺体があったというのです。主よ、信じたくありませんが、もしそれが本当ならば、どうか姉妹の霊をあなたの御国に迎え入れてくださり、全き癒やしと平安とを与え、イエスさまの御許に引き寄せてください。主よ、私たちは、姉妹と同じ教会に加えられたことを感謝いたします。姉妹がイエスさまにまみえて、喜びにあふれていることを信じさせて下さい。姉妹の唯一の肉親である弟さんとは音信不通であると聞いていました。どうかこのことがそこに伝わりますように。そして、私たちがY姉妹の亡骸に遭うことを許されて、祈りをささげることができるように導いて下さい。主イエス・キリストの名によってお祈りいたします。アーメン」

     パウロとバルナバが決裂

 本日、パウロとバルナバは、第2回目の世界伝道の旅に出かけます。ところが、二人はマルコを連れて行くのかいかないのかで激しく対立します。そしてついに二人は決別し、別行動をとることとなってしまいます。バルナバはマルコを連れてキプロス島へ。そしてパウロは、シラスと共に北に行き、第一回目の伝道旅行で行った所へと向かいます。
 第1回目の伝道旅行で、二人は未知の場所へとイエス・キリストの福音を宣べ伝えていき、石を投げられたり迫害されながら、困難を共にしてきた、言わば戦友です。それが袂を分かつことになってします。原因は、マルコです。

     マルコ

 マルコについては以前も申し上げました。マルコは、ヨハネ・マルコという人で、パウロとバルナバによる第1回の世界伝道旅行の時、パウロとバルナバは助手としてマルコを連れて行きました。ところが、キプロス島伝道のあと、現在のトルコに上陸してからエルサレムに帰ってしまいました(13:13)。
 12:12を見ますと、使徒ペトロがヘロデ王によって捕らえられたとき、マルコの母マリアの家で、教会の信徒たちが集まって祈祷会をしていたことが書かれています。ですから、マルコの母マリアの家は比較的広い家で、信徒たちが集まりやすかったものと思われます。イエスさまの最後の晩餐もここでもたれたとも言われています。ですから、マルコの家はエルサレムにあったことが分かります。だからマルコは、自分の家に帰ってしまったのです。
 そもそもマルコとパウロらとの出会いは、使徒言行録11章28〜30節に書かれている、ユダヤ地方の大飢饉の時に、アンティオキア教会のパウロとバルナバが救援物資を持ってエルサレム教会に行ったときにさかのぼります。そのとき二人は、マルコを連れてアンティオキアに戻っていきました。そして第1回世界伝道旅行に連れて行ったのですが、トルコに渡ってから帰ってしまいました。なぜマルコが帰ってしまったのか、その理由はハッキリ書かれていないので分かりませんが、パウロがマルコのことを非難していることから推測するしかありません。すなわち、ホームシックになったか、あるいは伝道旅行の困難さにめげたのか‥‥。
 これも前に申し上げましたが、マルコによる福音書14章51で、イエスさまが捕らえられたゲッセマネの園で、裸で逃げていった若者のことが書かれています。これがマルコ自身のことであるといわれています。すなわち、マルコという人は、裸で逃げたり、途中で帰ってしまったりと‥‥どうも、人間の弱さが見える人のように思われます。

     対立

 さて、パウロとバルナバの対立は、深刻な対立となりました。これは二人の考え方が、妥協できないほどに抜き差しならないものとなったことを示しています。そしてついには決別してしまう。お互いに譲らなかった。
 バルナバという人ですが、バルナバというのはニックネームであり、本名はヨセフであるということが使徒言行録4:36に書かれています。そしてそこには、バルナバというニックネームは「慰めの子」という意味であると書かれています。そしてまた、バルナバは自分の畑を売って教会に献げたことが書かれています。そうするとバルナバは、まさに献身的な人でした。そして「慰めの子」というあだ名が付けられるほどですから、やさしい人であったと思われます。マルコが、前回途中で帰ってしまったこともかばい、またチャンスを与えようと言ったのではないか。またバルナバはマルコといとこ同士でもありました。
 それに対してパウロは、この前途中で帰ってしまったような人はダメだという。たいへんきびしい感じがします。しかしこれは、世界伝道の旅にいくということを考えると、伝道者にはやはり伝道者としての覚悟がいるということを言いたかったのではないかと思います。マルコがキリスト信徒としてダメだというのではない。そうではなく、伝道者としてふさわしくないということを言いたいのでしょう。
 たとえば、伝道者養成機関である神学校には、クリスチャンなら誰でも入れるというわけではありません。伝道者としての献身が求められます。それと同じように、やはり伝道者には伝道者としての覚悟が必要です。パウロはそういうことを言いたかったのではないか。
 これはパウロとバルナバのどちらが正しくて、どちらが間違っているかという問題ではありません。パウロのように叱ってくれる人も大切であり、またバルナバのようにかばってくれる人も大切であるということだと思います。問題は愛です。マルコを愛すればこそ、今の彼は連れて行くときではないと考えるパウロ。愛すればこそ、一緒に連れて行こうというバルナバ。どちらも間違っていないのです。
 結果として、二人は別れて別々のほうへ向かって伝道していくことになりました。しかしそれは考え方によっては、二人が別々のほうへ向かったのですから、キリストの福音がそれぞれ違うほうへ広がっていくきっかけとなったとも言えるわけです。このようにして、別れても福音伝道は前進していく結果となりました。神さまが用いたとも言えます。

     悔い改めへ

 本日は教会の暦で、宗教改革主日です。そして明日10月31日は、宗教改革記念日です。今から499年前の1517年10月31日、マルチン・ルターが、ドイツのヴィッテンベルグ大学の聖堂の扉に「95箇条の提題」という紙を貼り付けたことが、宗教改革の始まりとされています。その「95箇条の提題」の第1条は、「わたしたちの主であるイエス・キリストが『悔い改めよ』と言われた時、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。」‥‥というものです。
 キリスト信徒の全生涯は悔い改めであるべきだと。毎日悔い改めです。悔い改めとは、自分が罪人であることの自覚と、その自分を救うためにイエス・キリストが十字架で命を投げ出して下さったことを信じることです。つまり心を救い主イエスさまに向けることです。

     その後のマルコ

 マルコにとって、この時のパウロの厳しい態度が悔い改めになったでしょうか。その後のマルコはどうなったのでしょうか?
 聖書からヒントが出てきます。まず、パウロが書きましたコロサイの信徒への手紙4:10にこのように書かれています。‥‥「 わたしと一緒に捕らわれの身となっているアリスタルコが、そしてバルナバのいとこマルコが、あなたがたによろしくと言っています。このマルコについては、もしそちらに行ったら迎えるようにとの指示を、あなたがたは受けているはずです。」
 コロサイの信徒への手紙を書いたとき、パウロはローマにおいて囚われの身でした。そういうつらい所に置かれているパウロのそばに、マルコがいたことが分かります。そしてパウロはマルコを自分の代わりに、コロサイの教会へ送ろうとしているようです。またもう一個所、テモテへの手紙二の4:11で、パウロはテモテに宛ててこのように書いています。‥‥「 ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。」
 テモテへの手紙二は、やはりパウロがローマの獄中にいるときに書かれたものですが、パウロには死刑の危機が迫っているようにも感じられる手紙です。つまりパウロは非常にきびしい状況に置かれていました。その牢獄のパウロのそばに、ルカだけがいた。この使徒言行録を書いたルカです。そしてテモテに宛てて、マルコを連れてきてほしいと頼んでいます。「彼はわたしの務めを良く助けてくれる」と。処刑の日も迫っていると思われるパウロは、テモテと共にマルコに来てほしいと願っているのです。つまりパウロは、最後にはマルコを非常に信頼し、心強く思っている。
 きょうの個所でパウロから叱られ、パウロと決別したマルコは、やがてパウロを支える存在となっていたことが分かります。
 かつて、イエスさま逮捕の夜にはまとっていた亜麻布を捨てて裸で逃げていき、伝道旅行では途中で脱落したマルコ。そのマルコが、やがて、牢獄に囚われの身となっているパウロのそばで助け手となっている。囚人であるパウロのそばにいるということは、同じキリストの伝道者として自分にも危険が及ぶかも知れないということです。しかしあの弱いマルコは、変えられたのです。神さまによって、聖霊によって変えられた。人間は変わることができるのです。主の働きです。

(2016年10月30日)


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