礼拝説教 2016年9月11日 主日礼拝

「主を頼みとする」
 聖書 使徒言行録14章1〜7  (旧約 列王記上17:2〜4)

1 イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシャ人が信仰に入った。
2 ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。
3 それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。
4 町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。
5 異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、
6 二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。
7 そして、そこでも福音を告げ知らせていた。





     迫害起きる

 パウロとバルナバの二人による、最初の伝道の旅。前回はピシディア州のアンティオキアという町でのこと、今回はイコニオンという町でのことが書かれています。
 いずれの町においても、二人に対する迫害が起こりました。いずれもユダヤ教徒による反発です。それは、二人が宣べ伝えているイエスを、聖書が約束した救い主メシアとは信じないというユダヤ教徒によるものです。彼らからすると、キリスト者は異端であり、ユダヤ教の破壊者ということになるのでした。それで二人に反対しました。
 しかし、ここは外国です。その町に住んでいるユダヤ人はあまり多くいません。それで現地の人を抱き込んで、二人を迫害し、町から追い出そうとしました。ユダヤ教徒はどうやってユダヤ教徒ではない町の人々を巻き込んだのでしょうか。おそらく、この先のテサロニケの町で中傷したのと同じように、「彼らはローマ皇帝とは別の王がいると言っている」とか言って、キリスト者を反政府運動をしているかのように中傷したのかも知れません。いずれにせよ、敵対者たちは、あることないことを言って、パウロとバルナバに対して悪意を抱かせようとしたのです。まったく不当な迫害です。まさに誹謗中傷です。
 私たちは二人が迫害をされているのを見て、二人は聖霊に導かれてこの伝道の旅に出たのではなかったか、と不審に思います。神さまに従って来たのに、迫害をされる。こんなことがあるのだろうか?と思います。
 しかし私たちは思い出さなければなりません。そのような迫害は、あらかじめイエスさまが予言されていたことを。例えば、イエスさまがご自分の代わりに悪霊を追い出し病気や患いを癒やすという働きをさせるために12使徒をお選びになった時、このようにおっしゃいました。(マタイ10:16)「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。」‥‥狼の群れの中に羊を送り込んだらどういう結果になるか、言うまでもありません。
 また何よりも、イエスさまご自身が迫害され、十字架につけられて死刑になったことを思い起こさなければなりません。
 日本においても徳川幕府による大きな迫害がありましたし、明治時代になって鎖国が解かれてからも迫害がありました。とくに私が今まで伝道牧会した北陸の地では、だいたいどこでも最初は迫害がありました。輪島では、明治36年(1903年)に金沢在住のカナダ・メソジスト教会の宣教師マッケンジーが劇場においてキリスト教演説会をしようとしましたが、拒絶されてむなしく帰って行きました。輪島に教会が建てられるには、それから10年を待たなければなりませんでした。富山市では、明治24年(1891年)3月8日にメソジスト教会によって富山講義所(今日で言う伝道所)が開設しました。ところがそれから3か月経って迫害が始まりました。講義所に暴徒が押しかけ、説教が妨害され、教会の器物が破壊されたりしました。
 そのように、キリストが宣べ伝えられるところ、そこには迫害が起きてきたのです。しかしパウロとバルナバもそうですが、教会はキリストを宣べ伝え続けてきたのです。それは、人間の救いがイエス・キリストに依るからです。すなわち、人々がキリストを信じて救われることを願って伝道してきたのです。したがって、伝道とは愛から出ているものです。
 前回、アンティオキアの町で迫害されて、パウロとバルナバは町を出て行く時に足の塵を払い落とした(13:51)。これはどういうことかというと、これもかつてイエスさまがおっしゃっていたことを実行したのです。‥‥(マタイ10:14)「あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行く時、足の埃を払い落としなさい。」
 キリストの福音を正しく宣べ伝えたのに、町の人々の多くが受け入れなかった。そうすると伝道者は、「自分が悪かったのだ」「失敗したのだ」と言って自分を責めるでしょう。しかしイエスさまは、そういうことを見越して足の塵を払い落とすようにおっしゃったと思います。すなわち、人々がキリストを信じなかったのは、あなたの責任ではないよ、あなたたちとは関係ない、あとは神さまにゆだねなさい‥‥足の塵を払うとは、そのような行為であると言えましょう。

     主を頼みとする

 さてこのイコニオンの町でも、迫害が起きました。イエス・キリストを信じる人々が多くありました。するとユダヤ教徒がそれに反発し、対立しました。そして、現地の人々を扇動して、パウロとバルナバに対して悪意を抱かせました。しかし、二人は長くそこにとどまったと記されています。迫害があるのに、なぜそこに長くとどまることができたのでしょうか?
 それは3節に書かれています。「主を頼みとして勇敢に語った。」そこに秘訣があったと言えます。この「主を頼みとして」と訳されている言葉ですが、ほかの日本語の聖書は「主によって」と訳しています。そちらのほうが直訳です。しかし「主によって」というと、なんとなく分かったようで分からないような言葉になるのではないでしょうか。それをこの新共同訳聖書は、「主を頼みとして」と訳しました。これは名訳だと思います。すなわち、パウロとバルナバはこの困難な状況において、主を頼みとして歩んだ、主を頼みとしてイエス・キリストのことを語り続けたのです。
 自分たちの力に頼るのではなく、この世の人の助けを借りるというのでもなく、主を頼みとした。それで彼らは、敵意やいやがらせがあっても長くとどまって語り続けることができました。そして主は、しるしと不思議な業をおこなって下さり、彼らを助けて下さいました。彼らの語る言葉が真実であることを証しして下さったのです。
 このことは、私たちが困難なことに遭ってもなにを頼ったら良いかを教えてくれます。それは主に頼りなさい、ということです。

     トマス・ウィンの高岡伝道

 先ほど、北陸伝道の最初の頃、各地で迫害があったことを述べましたが、富山県第2の都市、高岡でも迫害が起こりました。1879年(明治12年)、金沢に来たアメリカ人宣教師トマス・ウィンは、金沢教会を建てた人ですが、高岡でも伝道を開始し、1882年(明治15年)に演説会を開きました。すると最期の夜になって多くの暴徒が現れ、小石を投げつけました。なおも演説を続けていると、暴徒が増加して、邪教、国賊、毛唐、ヤソ坊主などと罵詈雑言を浴びせ、殺せと叫びつつ竹槍を振るって迫ってきたそうです。それでも彼は予定のプログラムを終わり、日本人伝道者と共に出かける用意をしました。群衆はなお竹槍を持って、ウィンたちの行動を見守っていました。ウィンは、心の中で神のご加護を祈りました。そして会場を出ると、暴徒が「やつを殺せ!」と叫びながら追いかけてきました。しかしいっしょうけんめいかけていくうちに、追いかけるのを辞めた様子でした。(梅染信夫編『北陸のキリスト教』)
 そのようにして、日本に来た宣教師たちも主に依り頼んで伝道していったのです。そして主のお守りを経験しました。

     中高生キャンプでの証し

 先月の北陸の中高生キャンプの報告をしていませんでした。今年も若者を連れて、8月15日(月)から2泊3日でYMCA妙高高原ロッジで開催された北陸の中高生キャンプに参加してきました。その中で一人の若者が証しをしましたのでご紹介いたします。
 その女性は、クリスチャンホームで育ちました。ですから子どもの頃から教会に通っていました。しかし大きくなって、教会の大人を見て疑問に思うようになったそうです。そしてお父さんのお仕事で、家族ともどもフィリピンに行くことになったそうです。そしてそのフィリピンで、彼女の弟が生まれることになったそうです。ところがお母さんが出産のとき大量の出血をした。しかしフィリピンでは輸血の血液が不足していました。それで彼女は、真剣に神さまに祈ったそうです。「母を助けて下さい。そうしたら神さまを信じます」と。教会の人も祈ってくれました。すると奇跡的にお母さんは助かったそうです。それで神さまを信じるようになったのだそうです。
 そして教会の人から、洗礼を受けてみないかと言われました。なにも分かっていなかったけれども、洗礼はゴールではなくスタートであると知って、中学2年生のときに洗礼を受けたそうです。
 この証しも、困難な時、ピンチのとき、誰に頼んだらよいか、誰にすがったら良いかを教えてくれます。それは、イエス・キリストの父なる神さまに助けを求めればよいということです。主を頼みとするのです。

     苦難を通して主の働きを見る

 パウロとバルナバは、人々が扇動されて誤解をし、悪意と敵意が取り巻く中でも主を頼みとして、イエス・キリストの福音を語り続けることができました。
 最後には、敵対する人々が二人に石を投げつけて殺そうとしたのを察して、イコニオンの町から逃れることができました。そのような迫害から逃げていくことは、いけないことではありません。先ほどのマタイ福音書10章で、イエスさまが「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」(マタイ10:23)とおっしゃっています。ですから、パウロとバルナバが、暴徒が自分たちに石を投げつけて殺そうとしているのを察知したのも、主の働きであると言えましょう
 主を頼みとする。私たちも、日々祈ることによって、主を頼みとして歩んでまいりたいと思います。そして主の働きをまた見ることができますように!

(2016年9月11日)


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