礼拝説教 2016年8月14日 主日礼拝

「苦しみが喜びへ」
 聖書 使徒言行録13章13〜25  (旧約 ヨナ書4:2)

13 パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。
14 パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。
15 律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください」と言わせた。
16 そこでパウロは立ち上がり、手で人を制して言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々、聞いてください。
17 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び出し、民がエジプトの地に住んでいる間に、これを強大なものとし、高く上げた御腕をもってそこから導き出してくださいました。
18 神はおよそ四十年の間、荒れ野で彼らの行いを耐え忍び、
19 カナンの地では七つの民族を滅ぼし、その土地を彼らに相続させてくださったのです。
20 これは、約四百五十年にわたることでした。その後、神は預言者サムエルの時代まで、裁く者たちを任命なさいました。
21 後に人々が王を求めたので、神は四十年の間、ベニヤミン族の者で、キシュの子サウルをお与えになり、
22 それからまた、サウルを退けてダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う。』
23 神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです。
24 ヨハネは、イエスがおいでになる前に、イスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。
25 その生涯を終えようとするとき、ヨハネはこう言いました。『わたしを何者だと思っているのか。わたしは、あなたたちが期待しているような者ではない。その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打ちもない。』




     サウロからパウロへ

 本日の聖書の最初で「パウロ」の名前が出てきます。これまでは「サウロ」と言う名前で出てきました。そして前回の9節で「パウロとも呼ばれていたサウロ」と書かれていました。サウロというのは、ユダヤ人としての名前です。そしてパウロというのはローマ名であると一般に言われます。また、ローマの市民としての家系の名前、言わば苗字のようなものであると言う人もいます。
 いずれにしても、今後はもっぱらパウロという名前で記されています。その理由は、このあとパウロが、広くローマ帝国の中で異邦人に向かってキリストの福音を宣べ伝えていきますので、ローマ世界で通用する名前を使っていると言えます。そしてこの13章から使徒言行録は後半に移りますが、そこではパウロを中心とした伝道の歩みが記されます。パウロの伝道の歩みを通して聖霊の働きが証しされていきます。

     小アジアへ

 バルナバとパウロは、キプロス島のパフォスから船で出発して、パンフィリア州、現在のトルコの国に上陸しました。しかしそこで二人が助手として連れてきていたヨハネがエルサレムに帰ってしまったと書かれています。
 聖書にはヨハネという名前の人が何人か出てきますが、このヨハネはヨハネ・マルコという人で、マルコという名前でも出てきます。またこの人は、マルコによる福音書を書いたマルコであるとされています。そして彼はバルナバのいとこでもありました。
 その彼がパウロとバルナバと別れてエルサレムに帰ってしまった。これは何か急用ができて帰ったのか、病気で帰ったのか、などといろいろ推測できますが、そういうことではなさそうです。使徒言行録15:37〜39を見ますと、そこではパウロが第2回目の伝道旅行に出かけるときに、マルコを連れて行くか行かないかでバルナバと対立したことが書かれています。そこでパウロは、「前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教にいっしょに行かなかったような者は、連れて行くべきではない」と言っています。ということは、このときマルコは自分の勝手な理由で帰ってしまったのではないかと思われます。困難なことがあって脱落したのでしょうか? あるいはホームシックのようなもので帰ってしまったのでしょうか?
 実は以前にもマルコには、逃げ帰ったようなできごとがあったようです。それはイエスさまが十字架にかけられる前の晩、最後の晩餐のあとゲッセマネの園に行かれましたが、そこでイエスさまは捕らえられました。そのとき、マルコによる福音書14:51では、一人の若者が裸で逃げていったということが短く書き留められています。その前後を読んでいて、なぜここに無名の若者が逃げていったことがわざわざ書かれているのかと不思議に思えます。
 それは実は、その福音書を書いたマルコ本人が、自分のことをそこに書いているのだといわれているのです。そのときマルコは12弟子の一人ではありませんでした。まだ少年であったとも言われています。そのマルコが、最後の晩餐のあと、月明かりをたよりに寝床から起きて、こっそりイエスさまと弟子たちの後についていき、イエスさまが逮捕されるやいなや一目散にイエスさまを見捨てて逃げて行ってしまった。恥ずかしくも身にまとっていた布を捨てて裸で。
 そしてきょうは、はじめての世界宣教旅行に同行したのは良いけれども、そのたびの初めのほうで母親のいるエルサレムに帰ってしまった。そしてそんな弱い自分を赦し、愛してくださったイエスさまの感謝をして、マルコによる福音書を書いたのだと推測されています。

     ピシディア州のアンティオキアにて

 さて、バルナバとパウロは、ピシディア州のアンティオキアという町に行きました。これは二人が送り出されたアンティオキアとは違う町ですのでご注意ください。聖書の後ろの地図の7「パウロの宣教旅行1」を見てご確認くださればと思います。
 二人はどこでどうやって、キリストの福音を宣べ伝え始めたか。14節には、安息日に会堂に入ったと書かれています。会堂というのは、ユダヤ人の会堂です。安息日には礼拝をしていました。この町にユダヤ人会堂が建てられていたということは、この町にユダヤ人が多く住んでいたことが分かります。外国に行っても、ユダヤ人は安息日に集まって礼拝を守ります。これがユダヤ人が歴史を超えて生き残る理由になっています。
 パウロとバルナバはなぜユダヤ人会堂へ行ったのでしょうか? そしてそこからキリストの福音を宣べ伝え始めたのでしょうか? それは、ユダヤ人が旧約聖書の民であり、旧約聖書が予言しているメシア=キリストの現れるのを待っている人々だったからです。まずメシアの来るのを待っている人に真っ先に伝える。メシア、すなわちキリストは神さまの予言どおり来ましたよ、そのキリストとはイエスさまのことですよ、とまさに良き知らせ、すなわち福音を伝えるためであると言えるでしょう。
 そして会堂での安息日の礼拝では、旅の人に奨励の話しをお願いすることはよくあったようです。それで会堂長は、二人に奨励をお願いし、パウロが講壇に立ちました。

     歴史を語る

 ここに、異邦人の使徒と呼ばれることになったパウロのまとまった説教が、はじめて記されます。
 まずパウロは、「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」と語り始めています。イスラエルはユダヤ人ともヘブライ人とも言います。「神を畏れる方々」というのは、ユダヤ人以外の人、すなわち異邦人だけれども、聖書に記されている真の神を信じてユダヤ教に改宗した人たち、あるいは道を求めてユダヤ教の会堂に集っている異邦人のことです。
 そしてパウロが語り始めたのは、イスラエルの歴史でした。このときからさかのぼること千数百年前、モーセを先頭にしてエジプトの国を脱出したことから始まって、約束の地に入り、士師時代、サムエルの時代、そしてサウル、ダビデに始まるイスラエルの王国時代のこと、そしてそのダビデの子孫から約束どおり神が救い主を地上に送られたこと、それがイエスであること、そのことは洗礼者ヨハネも証ししていたこと‥‥を語ります。そのようにイスラエルの歴史をひもといてイエス・キリストに至ることを語る。神の約束は、イエスにおいて果たされたと。
 なぜ歴史を語るのかと思うでしょうか? そのような退屈なことには興味がないと言うでしょうか? 遠い国の昔話でしょうか? しかし歴史を語るという時には、そこにわたしたちに通じる意味があるということに他なりません。
 聖書に記されている歴史は、神を離れ、神を信じなくなった人間、勝手なことをする人間をどう救うかという歴史です。そういう罪人である人間を滅ぼすのではなく、神さまはどうやってお救いになるかという歴史です。滅ぼすのではなく救うために神さまが働かれる。それで時間がかかる、歴史の時間が必要となる。なぜなら、人間を滅ぼすのでしたら、神さまには簡単に滅ぼすことがおできになるのですから、一瞬で終わってしまい、歴史も何もありません。しかし、勝手なことばかりしている人間を救おうとされるわけですから、時間がかかる。人間自身が悔い改めて神を信じるようにならないといけないわけですから、時間がかかる。それが歴史となっていきます。
 そしてイエス・キリストをこの世に送るタイミングを神は待たれる。神が待つというのも、滅ぼすためではなく救うためにだからです。
 例えばこの私は、キリストの存在に気がつくまで20数年かかりました。その間、神にそむき、罪を重ねた私を滅ぼさないで、神は待たれたのです。そして紆余曲折があって、今の自分がある。これは人生の歴史であり、神のあわれみの証しです。それはわたしたちひとりひとりのそのような、私たちを救うための神の歴史というものがあるはずです。
 18節でパウロは、神が荒れ野でイスラエルの行いを耐え忍ばれたと述べています。神が耐え忍ぶというのは、意外なことに思われます。イスラエルの民はエジプトを出たあと、何もない荒れ野の中で40年間過ごしました。それは人間が荒れ野の40年間を耐え忍んだように見えます。しかしそうではない。神さまのほうが、人間のことを40年間耐え忍んだというのです。神は、人間を滅ぼさずに耐え忍ばれる。
 そしてイエス・キリストに至る。そういう神の救い、神の愛の証しを語っています。そしてそれはイスラエルの民だけにあるのではない。今、わたしにも、あなたにも、そういう神の導きの歴史があるということです。神はわたしたちひとりひとりを救うために、私たちの不信仰を耐え忍んでこられたということです。ここに神の愛があります。

     神が主語

 もう一つ、きょうのパウロの説教で注目したいことがあります。それは「神は」という言葉をひんぱんに使っていることです。17節で「この民イスラエルの神は」、18節「神は」、20節「神は預言者サムエルの時代まで」‥‥といった具合です。すなわち、神が主語になっている。神がイスラエルの民に対して、こうされた、このようになさった‥‥と。
 私たちはどうでしょうか。私たちの人生の歩みはどうでしょうか。‥‥私はこうした、私はこんなことを言った、私はこんなことをされた‥‥。そのように言うのは普通でしょう。しかし私たちの人生について、神を主語にして振り返ってみたらどうでしょうか。‥‥すなわち、神はわたしをこの世に生まれさせてくださった。神は私をいくつもの危険から守ってくださった、神は今日まで私が飢え死にすることのないように養い、守り、食べさせてくださった。そして神は、あのとき私をキリストへ導いて下さった。教会へ導いて下さった。神は今日も生きるようにして下さった。‥‥
 いかがでしょうか。神さまを主語にしたら、私たちの歩みもまた全然違って見えてくるのではないでしょうか。そして実際神は、わたしたちひとりひとりに命を与え、導いてこられたのです。神の忍耐と恵みが、私たちにもあったのです。

(2016年8月14日)


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