礼拝説教 2016年7月17日 主日礼拝

「それはキリスト者」
 聖書 使徒言行録11章19〜30  (旧約 イザヤ書43:11)

19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。
20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。
21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。
22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。
23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。
24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。
25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、
26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
27 そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。
28 その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると”霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。
29 そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。
30 そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。




     アンティオキアの宣教

 本日の聖書個所で、はじめて「キリスト者」という呼び方が出てきます。舞台は、アンティオキアという町に移ります。アンティオキアは現在はトルコ領ですが、当時はローマ帝国シリア州の州都でした。これは当時としてはたいへん大きな町で、人口50万人を擁し、それはイタリアのローマ、エジプトのアレキサンドリアについで世界第3の都市であったと言われます。
 19節に、「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は」と書かれていますが、これは7章のステファノの殉教を引き金に起こった迫害です。この迫害によって、使徒たちを除く多くのキリスト信徒がエルサレムから逃げていきました。逃げるというと何か人聞きが悪いように思いますが、イエスさまはマタイによる福音書10章23節で、このようにおっしゃっています。「一つの町で迫害された時は、他の町へ逃げて行きなさい。」
 逃げなさいとおっしゃっている。だから逃げていったんです。しかし読むと分かりますように、ただ逃げていったんじゃない。御言葉を語りつつ、すなわちイエス・キリストの福音を語り伝えつつ逃げていったのです。その逃げた先の一つがアンティオキアでした。こうしてイエス・キリストの福音が、世界へと広められていったのです。すると迫害という不幸なできごとも、また用いられたと言うことができるでしょう。

     サウロふたたび

 しかしそこで、「ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった」と書かれています。このときはまだ、前回の18節の「それでは神は、異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」という結論の前ですから、異邦人が異邦人のままで救われるということがまだ信じられていない時のことです。
 しかしアンティオキアには、キプロス島やキレネから来た信徒たちがいたと書かれています。キプロス島は、地中海に浮かぶ島でギリシャ人が多く住んでいます。またキレネは、北アフリカの今のリビアです。それらのところに住んでいたユダヤ人キリスト信徒はギリシャ語を話すユダヤ人であり、異邦人の中に住んでいましたので、異邦人にキリストの福音を語り伝えるということに何の抵抗感もなかった。それで、彼らはアンティオキアに来た時に、ギリシャ語を話す人々、すなわち異邦人にキリストの福音を語った。そうすると、主がこの人たちを用いて、多くの異邦人がイエス・キリストを信じるに至ったということが書かれているのです。
 そういう時に、前回のペトロを通して異邦人が救われ、エルサレムの教会も異邦人が異邦人のままで救われることが分かった。それでエルサレム教会は、アンティオキアで成長していく教会を支えるために、バルナバを派遣したということです。そうしてますますアンティオキアの教会は成長していった。それでバルナバは、サウロを捜して連れてきたというのです。要するに信徒が多くなったので、牧師不足になったということです。
 ここに久しぶりにサウロが再び登場いたします。9章30節でサウロが出身地のタルソスに帰ってから、およそ8年が経っていました。バルナバはなぜサウロを求めたのか。それはサウロが生けるキリストの証人であり、またキリストの福音をよく理解している人だからでしょう。もとはキリスト教会を迫害していたサウロが、天から現れたイエス・キリストによって、キリストを信じる者となった。そのサウロは、イエス・キリストによって罪が赦されて救われることの生き証人だからです。

     キリスト者

 さて、26節に注目してください。その後半のところに、「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」と書かれています。弟子とは、イエス・キリストを信じる者のことです。それがここで「キリスト者」と呼ばれるようになったという。英語で言えばクリスチャンです。今では普通の呼び名になっている言葉ですが、少しこの言葉を考えてみましょう。
 この「キリスト者」と日本語に訳されている言葉は、ギリシャ語では「クリスティアノス」という言葉です。この言葉をていねいに日本語にすると、「キリストに所属する者」とか「キリストの人」というようなものになります。これは、言わばあだ名です。しかしそれは当たっていると言うことができます。我々キリスト信徒は、キリスト者である。すなわち、キリストの者である。これは何よりも的を射ていると言えます。キリスト信徒は、何かイエス・キリストの生き方に共鳴してイエス・キリストを信じるようになった、というのではありません。キリスト教の主義主張、あるいはキリスト教の思想に共鳴してキリスト者になったというのでもありません。
 私たちは、キリストのものとしていただいた。それまで悪魔の奴隷であり、罪の奴隷であったのに、それをイエスさまが救ってくださって、イエスさまのものとしてくださった。だからキリスト者であるからです。

     まわりから呼ばれる

 このアンティオキアという外国の町で、イエス・キリストを信じるものが増え続け、そしてイエス・キリストを信じる者が「キリスト者」と呼ばれるようになった。それまではキリスト教徒は、ユダヤ教の一派であると考えられていました。そもそもユダヤ人の宗教でした。そしてそのユダヤ教の中の、イエスをキリスト、救い主であると信じるグループだと見られていた。
 しかしここで、ユダヤ人以外の人々、つまりアンティオキアに住んでいるシリア人や現地の民族、ギリシャ人など民族を超えだした。そして「キリスト者」という言い方が、教会の中でそう言うようになったのではなく、周りの人々からそう呼ばれるようになったと言うことに注目したいと思います。それは外から見て、周りの人々とは違っているからそういうあだ名がついたということになります。
 あだ名が、正式な呼び名になったという例は他にもあります。たとえば、メソジスト。18世紀、ジョン・ウェスレーとチャールズ・ウェスレー兄弟によって始められたメソジスト運動ですが、この「メソジスト」という呼び名も、最初はあだ名でした。彼らが毎日規則正しく聖書を読み祈る、そして規則正しい信仰生活を送る。周りの人々がそのことを揶揄して「あいつらはメソジストだ」、つまり「几帳面屋だ」と言ったことから始まっています。
 「キリスト者」もそのように、教会の周りの人々からつけられたあだ名でした。ということは、周りの人々とは何か違っていたことになります。何が違っていたのでしょうか? もちろん、日曜日に集まってなにやら神を賛美して礼拝している。聖餐式というものをしているらしい‥‥。これはたしかに目に見える違っている点です。さらに、わざわざ「キリスト者」=キリストの人たち、と呼ばれているくらいですから、キリストという言葉そのものも口にしていたのでしょう。もっと言えば、何かというと「イエスさま」とか、「イエス・キリスト」と言っていたのだと思います。
 「イエス・キリストのお陰です」とか、「キリストはすばらしい」とかです。またお祈りもよくし、「イエス・キリスト」と口にする。それで人々は、「キリスト者」と言うようになったのだと思います。

     異邦人教会、エルサレム教会を助ける

 そのようにしてアンティオキアに、多くの異邦人の加わった教会ができました。そしてそのころ、大飢饉が起きました。中でもエルサレムを含むユダヤ地方はひどかったようです。そこでアンティオキアの教会は、その信徒たちが「それぞれの力に応じて」救援の物資を募り、バルナバとサウロに持たせて届けさせたと述べられています。
 これはアンティオキアの教会がたいへん大きくなったことを示しています。そしてこのことを通して、異邦人中心の教会と、ユダヤ人中心の教会が一つとなったことが分かります。

     クリスチャン

 さて、キリスト者は英語で言えばクリスチャンですが、クリスチャンというと日本でもやはり一つのイメージがあるように思います。
 私は大学生時代のことを思い出します。親元を離れて岡山の大学の学生寮に入りました。私は大学の1回生の時はクリスマスごろまで、それでも1ヶ月に一回ぐらいは教会に行きました。すると仲の良い友人が、「小宮山はエセクリスチャンだな」と。なぜならタバコも吸い、酒も飲んでいたからです。クリスチャンというと、当時はまだ品行方正で酒もタバコもやらないまじめな人たちというイメージがありました。まあ、たしかにその後教会を全く離れて信仰もなくなってしまったので、エセクリスチャンには違いないのですが。そんなことを思い出します。
 しかしその後私はさらにめちゃくちゃな人生を送っていった。そして全く神を離れていきました。ところがそんな私を、イエス・キリストはお見捨てにならず、捕まえてくださった。キリストの者にして下さったのです。キリストの者としていただく資格がないのに、キリストの者としていただいた。この恵みを思いますと、感謝と言うほかはないのです。
 それは今も同じです。私たちは、救っていただく資格があるという者は一人もいないはずです。神の国に入れていただく資格などない。しかしそんな私たちを信仰に導き、救って下さった。キリストのものとしてくださった。それが「キリスト者」という言葉です。ただただ感謝と言うほかはありません。

(2016年7月17日)


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