礼拝説教 2016年5月8日 主日礼拝

「七転び八起き」
 聖書 使徒言行録8章1〜8  (旧約 エゼキエル書34章16)

1 サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。
2 しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。
3 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。
4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。
5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
6 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。
7 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。
8 町の人々は大変喜んだ。




     母の日

 本日は母の日です。毎年のことですが、讃美歌第1編の510番を共に歌いました。私の母は、昨年9月に、静岡の家のそばの特別養護老人ホームに入りました。本当によく聖書を読み、祈る人でしたが、今はなにもしません。認知症が進み、会話もほとんどありません。黙っています。あれほど信仰第一だった人が、どうしたのかと思いますが、今度は祈る人から、祈られる人になったのだと思います。

     ステファノの祈り

 先週は、ステファノの殉教の個所を読みました。神を冒涜した罪によって石打の刑に付され、みなから石を投げつけられて命を落としたステファノ。彼の最後の言葉は、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」という、とりなしの祈りの言葉でした。自分に向かって石を投げつける人々への神の罰を願うのではなく、罪の赦しを願う‥‥。私たちは胸が打たれるような思いがいたします。
 そのそばには、のちにキリスト教会最初の世界宣教者と呼ばれるパウロ(この時はまだサウロという名)がいました。この若者は、ステファノを最高法院に訴えた者の一人でした。サウロはステファノのこの祈りを聞いて、何も感じるところはなかったのか?悔い改めなかったのか?‥‥そんなふうに思いますが、この時の彼にはステファノの言葉は全く届かなかったようです。なぜなら、サウロはこのあと、さらにキリスト信徒を迫害し始めたことが書かれているからです。
 ステファノの命と引き替えにした、とりなしの祈りは神さまによって聞かれたのか?それともむだだったのか?‥‥たしかにこの時は、何も起こりませんでした。しかしこの祈りがたしかに聞かれていたことは、のちにこの迫害者サウロがキリストに依って捕らえられ、回心を遂げるに至ることで分かります。この時はまだ祈りが聞かれたように思えない。しかしあとになって、たしかに神が祈りを聞き入れてくださったことが分かる。こういう祈りは多いように思います。すなわち、祈りはたしかに実を結ぶということです。先ほどの讃美歌のようにです。種を蒔かなければ芽も出ませんし、実も結びません。私たちは、隣人のためにとりなして祈ることを、あきらめずにし続けたいと思います。

     想定外ではない迫害

 今まで何回かに分けて学んできましたように、ユダヤ議会である最高法院でのステファノの演説によって、キリスト信仰の立場と、それまでのいわゆるユダヤ教の立場が違うことがはっきりいたしました。その結果、ステファノが死刑となった。このことによって、キリスト教会は、ユダヤ人の宗教と完全に分離することになりました。その根本は、旧約聖書が予言し神が約束なさってこられたキリストがイエスであることを認めるのか、認めないのかということです。
 今日の聖書では、ステファノが殉教したその日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こったと記されています。この大迫害が、どういう内容のどういうものであったのか、何も具体的なことが書かれていないので分かりません。ただ、大迫害と言っても、イエスをキリストであると信じる者すべてが捕らえられたというようなものではなかったでしょう。すでに数万人の信徒がいると思われますし、神殿に仕える祭司の中にも多くの信徒が存在しているわけですから、そのような根こそぎ捕らえられたということはあり得ません。おそらく、それまでに目をつけていたキリスト信徒の集まる家に踏み込んで、おもだった者を捕らえて牢に入れた、というようなものだったでしょう。その上でムチ打ちなどの刑が科されたものと思われます。中には命を落とした者もいたかも知れません。そしてその迫害の急先鋒に、サウロがいたのです。
 しかしこの所を読むと、その迫害がどんなにひどいものであったのか、使徒言行録の著者であるルカは何も書いていません。仮にムチ打ちの刑を科されたと言っても、ムチ打ち自体が残酷なものです。どれほどキリスト信徒が苦しめられたか、拷問を受けたか、苦労をしたか、どんな悲しみが信徒たちの間にあったか‥‥そういうことをルカは一切書いていない。迫害の悲惨さについて書いていないんです。
 これはいったいどういうことか。ふつうならば、自分たちを苦しめた者たちの悪行をあばいて、その罪を糾弾する、ということになるのでしょう。しかしそういうことを全然書かない。つまりこれは、ゆるしということの上に立って書いていると言えます。ステファノが、石を投げつけられながらも、石を投げる者の罪の赦しを願って息絶えたようにです。だからルカは、怒ったり、嘆いたりしていないのだと思います。
 そもそも、イエスさまを信じる者が迫害されるということは、イエスさまが予言なさっていたことです。たとえばルカ福音書21章7〜19節では、イエスさまが世の終わりの時のしるしについて語っておられますが、そこで迫害について予言されています。「しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張っていく」(ルカ21:12)というように。したがって、このような迫害が起きることは想定内のことであったと言えるでしょう。

     主の導き

 4節には、迫害によって散って行った人々がキリストの福音を告げ知らせながら巡り歩いたと書かれています。この「散って行った」と訳されている言葉ですが、原文どおり訳すと「散らされた」と受動態になっています。散って行ったのではなく、散らされた。そこには、迫害によって散らされたという意味と、もう一つ、神によって散らされたという響きが感じられます。もちろん、迫害は神がなさったことではなく、人間がしたことです。しかしそのことを通して、伝道者たちがエルサレムから他のところへ散らされた、神によって、というような意味です。
 教会の指導者である使徒たちはエルサレムにとどまった。それは危険なことではありますが、使徒たちは教会を守るために残った。しかしその他の、おそらくこれはおもだった人たち、あるいは伝道者たちが方々へ散らされた。そこに神の手があったということです。
 そもそもイエス・キリストの福音は、エルサレム、ユダヤだけではなく、全世界に宣べ伝えられなければならないものでした。たとえばこの使徒言行録の最初のほう、1章8節でイエスさまは「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と言っておられました。あるいはまた、マルコによる福音書の最後、16章15節でイエスさまは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」と弟子たちに命じておられます。
 ところが、この時に至るまで、弟子たちはイエス・キリストの福音を他のところに宣べ伝えにいっていません。依然としてユダヤのエルサレムにとどまっていた。しかしこの時、迫害が起こって、言わば強制的にキリストの伝道者がエルサレムから出て行かされた。それは、迫害という困難なことを通して、神がそのように導かれたとも言えるのです。いつまでもエルサレムにとどまっている教会に対して、神が強制的に出て行かせられ、福音を宣べ伝えさせたという結果になりました。

     サマリヤへ届いた福音

 そのうちの一人がフィリポです。フィリポは、ステファノと共に使徒を補佐する7人に選ばれた人です。フィリポはサマリア地方に行きました。
 サマリアというのは聖書にときどき出てくる地名です。もともとはユダヤと同じくイスラエルの国でした。しかしこの時からおよそ750年以上前に、アッシリアという大国によって滅ぼされ、多くの人々が移住させられました。代わりに、他のところから外国人が来て住まわされました。ですから、民族的にはイスラエル人と外国人の混血と言ってよいでしょう。しかし宗教的には、モーセの律法を守っていたようです。そして、メシア(キリスト)が来ることを信じていた。しかし礼拝する場所が、ユダヤ人がエルサレムの神殿であったのに対して、サマリア人はゲリジム山という所でした。
 そして、ユダヤ人とサマリア人は、お互いに反目し合っていました。お互いに交際しない。そのことはヨハネによる福音書4章9節で、イエスさまがサマリア人の女性と対話したところに書かれています。
 しかし福音書を見ると、何度かサマリア人が登場します。今申し上げた、ヨハネによる福音書に書かれている、イエスさまが弟子たちを連れてサマリア地方に行かれた時の、いわゆる「サマリアの女」の出来事。またルカによる福音書では「良きサマリア人」のたとえ話、そして、イエスさまが10人のハンセン病の人をおいやしになった時に一人だけイエスさまに御礼を申し上げに戻ってきたのがサマリア人でした。つまり、イエスさまによって、サマリアに福音が宣べ伝えられる準備がなされていました。そして伝道者であるフィリポは、エルサレムを出て、ユダヤから出て、北のとなりのサマリアに行って、福音を宣べ伝えました。そして、そのサマリアに伝道することが主の御心であることは、フィリポを通して奇跡が起きていること、すなわち穢れた霊が追い出され、癒やしが起こっていることで分かります。

     苦難を用いる神

 そのように、教会は迫害をされても福音を宣べ伝えていきました。(4節)「福音を告げ知らせながら巡り歩いた」と書かれています。ふつう、迫害のようなひどい出来事が起こったら、神さまを疑ったり、何か自分たちが悪いことをしたのではないか?、御心ではなかったのではないか?、などと迷ったりするのではないかと思います。また、家も出て行くわけです。仕事はどうする?どうやって生きて行けば良いのか?‥‥と考え出したらたいへんなことであることが分かります。
 ところが、フィリポたちは、エルサレムを去って異国の地へと進んでいくのですが、「福音を告げ知らせながら巡り歩いた」。全然へこたれていない。疑いも迷いもない。イエスさまのことを宣べ伝えるということにおいては、何の迷いもないんです。挫折していない。これはすごいことだと思います。迫害されようが、苦しめられようが、神さまを疑いたくなったり、自分自身迷うような状況にあっても、イエス・キリストの福音を語り伝えるという点では、完全に吹っ切れている。
 まさに七転び八起きです。ところで、七転び八起きというのは日本のことわざだと思っていましたが、語源を調べると何も書かれていないんですね。それで私は、ひょっとしたら旧約聖書の箴言が出典ではないかと思うようになりました。(箴言24:16)「神に従う人は七度倒れても起き上がる。」
 いかがでしょうか。七転び八起きとは、神を信じる者に与えられている御言葉であると思えてきませんか? 起き上がる、ということは、その前に倒れるということです。神を信じるならば倒れないと言っているのではありません。神を信じていても倒れることがあるんです。しかしそれで終わりではない。神を信じる者は、倒れても起き上がる。七度倒れても起き上がることができる。神さまが、イエスさまがいて下さるからです。
 それゆえ、倒れても、迫害されても、失敗しても、苦しんでも、進んでいくことが神さまによって許されている。テモテへの第二の手紙4:2で、使徒パウロはこのように述べています。「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」
 どんな状況であっても、主のみことばを宣べ伝えることにおいてはなんの曇りもない。迷いもない。進んでいくことができる。今年度も、キリストの福音を宣べ伝える教会でありたいと思います。

(2016年5月8日)



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