礼拝説教 2016年5月1日 主日礼拝

「開けた天」
 聖書 使徒言行録7章54〜60  (旧約 創世記5:24)

54 人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。
55 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、
56 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。
57 人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、
58 都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。
59 人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。
60 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。




     ステファノ門

 現在のエルサレムの東側にあるオリーブ山を降っていくと、エルサレムの旧市街地を囲む城壁が見えてきます。そして、旧市街地の中に道が続いていきますが、城壁に門があります。その門が「ステファノ門」と呼ばれる門です。別名はライオン門と呼ばれます。
 門のところには、銃を持ったイスラエルの兵士が仲間と談笑し、市民や観光客が行き交っていました。銃を持った兵士がいると聞くと、日本人は何か物騒な感じがしますが、そのお陰でエルサレムの町は夜でも一人で歩くことができるほど治安が良いのです。ですから、その門のところの光景は、人々が生活している日常風景そのものです。
 しかし、今から約二千年前、この門の近くでステファノは人々から石を投げつけられて死んだ。そのことを想像した時、私は胸が熱くなる思いがいたしました。今日の聖書の出来事の時も、この門を人々が生活のために行き交っていたことでしょう。そしてステファノは、その中を怒り狂った人々の手によってこの門から外に引きずり出され、殺されたのです。
 ステファノ。それは最初にイエスさまに命をささげた人です。このあと、キリスト教会は迫害をされていくことになります。最初はユダヤ教徒からの迫害、そしてやがてローマ帝国による迫害へと移っていきます。ローマ帝国時代の約250年間に、キリストを信じる信仰によって命を落とした殉教者の数は、10万人とも20万人とも言われています。日本でも、徳川時代に殉教したキリシタンの数は10万人とも20万人とも言われます。その最初の殉教者が、本日のステファノです。

     渾身の訴え

 ユダヤ議会である最高法院の被告席に立たされたステファノ。かれは、ユダヤ人が最も大切にしていたエルサレム神殿とモーセの律法をけがした罪で訴えられました。そしてステファノがそこで語った大弁論について、私たちは学んできました。
 ステファノは、この弁論において、キリスト教会としての神殿と律法に関する見解を初めて打ち出しました。これまでのキリスト教会は、イエスさまを旧約聖書の予言するメシアであると信じる他は、それまでのユダヤ教と何も変わらないという信仰でした。エルサレムの神殿に行って礼拝をし、モーセの律法をきちんと守るということは何も変わらなかった。
 しかし、この数回の説教で申し上げたように、だんだんと疑問が生じてきました。イエスさまが十字架にかかって我々の罪をゆるして下さったのに、まだ神殿で罪をゆるしていただくための動物のいけにえを献げる礼拝をする必要があるのか? イエスさまを信じることによって救われるのなら、モーセの律法によって救われるのではないのではないか?‥‥それらの疑問について、ステファノは明確にしようとしているのがこの弁論です。
 神殿よりも神さまが大切であること、その神さまは神殿に縛られているのではないこと、そしてモーセの律法が予言していた方は、名前は出していませんが、イエスさまであること。その意味で神の御心を踏みにじったのは誰なのか? あなたがたではないか‥‥ステファノは、自分を裁いている最高法院の議員たちを「兄弟であり父である皆さん」と親しく呼びかけ、心から彼らに悔い改めを迫っているのです。したがって、52節の「今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった」という言葉は、彼らを非難して攻撃している言葉ではなく、神の前に悔い改めを求める渾身の訴えです。
 同じような悔い改めを迫る出来事は、使徒言行録2章のペンテコステの物音を聞きつけて集まった群衆に対して、ペトロが語った説教にもあります。ペトロは説教の最後に、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさいました」(使徒2:36)。その時集まった群衆は、直接イエスさまを十字架につけたわけではありません。しかしその時の群衆は、自分たちが神にそむいたのであり、その結果自分たちが神の子イエスさまを十字架につけたのだと悟ったのです。そしてその時の群衆は、心を打たれて回心し、3千人の人々が悔い改めて洗礼を受けました。
 そして今日の最高法院に対してステファノは、同様の悔い改めを迫った。最高法院は、まさにイエスさまに死刑を宣告した人々でありました。

     逆上した人々

 しかし彼らは悔い改めなかった。かえって激しく怒った。逆上したのです。主イエスを殺したという罪を指摘されて、悔い改めて洗礼を受けた人たちと、この悔い改めずに逆上した人たちとの違いは何でしょうか?
 ペンテコステの時の聞いていた人々は民衆でした。それに対して、今回はトップの大祭司ほか最高法院の議員たちです。やはり高慢であったと言えないでしょうか。自分たちは偉い、という高慢。ステファノのような、どこの馬の骨とも分からないやつに言われる筋はない。そういう高ぶった思いがあったと言えるでしょう。そして、自分たちが判決を下したイエスの死刑。それを正当化するということが第一になっていて、悔い改めに至らない。57節に、「人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ」と書かれていますが、まさに「聞く耳持たぬ」ということです。そのことがよくあらわれています。

     イエスが迎える

 議会の人々が激しく怒り、歯ぎしりをすると、ステファノは神の栄光と神の右に立っておられるイエスさまを見ました。
 56節でステファノは、「天が開いて、人の子(イエス)が神の右に立っておられるのが見える」と言っています。実はその冒頭に、もう一つ言葉があるのです。それは、「見よ」とか「ほら」と日本語に訳せることががついています。すなわち、「見なさい、天が開いて人の子イエスが神の右に立っておられるのが見える」と言っているのです。つまり、たしかに見えるということが強調されているのです。
 天が開けたと言っています。‥‥余談ですが、よく、聖書では天国というのは空の上の方にあると信じられていたと言われます。そのような言い方が間違いであることが、ここからよく分かります。天国は4次元か5次元世界か分かりませんが、この世界とは別の次元の世界であることが。この3次元世界の空間が開けて、本来見ることのできない天の国が見えたということです。それはステファノが聖霊に満たされて見えたのです。
 そしてその天国のイエスさまは、神の右に立っておられた。‥‥ここで、「おや?」と思われた方がいると思います。なぜなら「使徒信条」では、「三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」と書かれているからです。父なる神の右に座られた、と。しかしここでステファノが見たイエスさまは、神の右に立っておられた。
 私はむかしここを読んで、「おや?」と気がつきました。細かいことと言えば細かいことに違いありませんが、聖書にはむだな言葉はないはずです。そこでいろいろ黙想して、気がつきました。イエスさまは使徒信条の言うように、神の右に座られた。しかしこの時、立ち上がられたのだということを。なぜ立ち上がられたのか。それは、ステファノを天に迎え入れるためだと。
 このことを示されて、私は大いに心を打たれたことを思い出します。今やイエスさまは、ステファノを天に迎え入れるよう立ち上がられ、手を差し伸べておられる。「なぜ主は、ステファノが殺されるのを奇跡によって阻止なさらなかったのか?」と思う。しかし代わりに主は、永遠の天の国にステファノを引き上げなさるのです。

     石打の刑

 これを聞いて人々は、一斉にステファノに襲いかかりました。そしてステファノを捕らえ、表に引きずり出し、最初に述べた門から都の外に引きずっていきました。今やステファノは神を冒涜した罪を着せられ、石打の死刑にされます。旧約聖書の律法、レビ記24:16ほかに、神を冒涜した者は石で打たれて殺されることに定められています。
 石打の刑は、最初に証人から石を投げつけることになっていました。それで証人たちは、ステファノに石を投げつけるために長い上着を脱いで、サウロという若者の足もとに置いた。ここに「サウロ」の名前が初めて出てきます。サウロはのちのパウロです。使徒言行録の3分の2は、パウロを通しての主の働きを記している。そのサウロが登場します。サウロは、おそらくステファノが属していたのと同じユダヤ人会堂に属しており、ステファノを最高法院に訴え出たメンバーの一人だったのでしょう。
 ちなみに、ステファノ弁明と、処刑の一部始終を記録したのは誰だったでしょうか?‥‥考えられるのは、最高法院の議員でありつつひそかにイエスさまの弟子となっていた、アリマタヤのヨセフかもしれません。彼はイエスさまを十字架から取り下ろし、自分の墓に葬った人です。彼はイエスさまの時もそうだったが、今回のステファノの時も、同僚の議員たちの行動を止めることができなかった。そのような痛みをもってこれを書き記したのかも知れません。あるいは、のちにキリストの伝道者となったサウロ、つまりこの時はまだキリスト教とを迫害する側だったパウロが、自分の罪の告白の思いを込めてこれを書き記したのかも知れません。
 ともかく、ステファノは怒り狂う人々によって石打に刑に処せられました。大きな石が次々とステファノめがけて投げつけられる。残虐な刑罰です。体の骨は折れ、頭蓋骨が砕け、目をそむけるしかない残酷な姿になって死ぬ。

     ステファノの祈り

 ステファノの最後はどうだったか。彼は石を投げつけられている間、天の国で神の右に立たれて自分を迎え入れようとしておられるイエスさまに向かって、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」と言いました。そして最後に、「主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい」と大声で叫び、息絶えました。ルカによる福音書の書き留めたイエスさまの十字架の場面と似ています。イエスさまは十字架の上で父なる神に向かって、「父よ、彼らをおゆるし下さい。自分が何をしているのか知らないのです」と祈られました(ルカ23:34)。ステファノも、自分に向かって石を投げつけている者のために、赦してくださるよう神に取り成して祈って絶命しました。私たちの胸を打つ祈りであります。
 これがステファノの最後の姿です。
 私たちは、迫害によって死ぬのではないかも知れません。しかしこのステファノの最後の姿は、私たちキリストを信じる者がみな心に留めるべき姿だと言えるでしょう。私たちは、いつ地上の命を終えるか分かりません。今日かも知れません。ですから、いつも自分が最後に行く所がどこであるのかをはっきりとさせておく必要があります。ステファノを迎え入れてくださったイエスさまが、この私も、この罪人の私もまた、イエスさまが天の御国に迎え入れてくださるのだと。
 そして、私たちに罪や過ちを犯した人を赦して床に就く毎日であるように。そうして眠りに就く毎日であるように、私たちの信仰を聖霊なる神さまが守ってくださるように祈ることです。

(2016年5月1日)



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