礼拝説教 2015年9月27日 主日礼拝

「対処する秘訣」
 聖書 フィリピの信徒への手紙4章10〜14  

10 さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。
11 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。
12 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物があり余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。
13 わたしを強めてくださる方のお蔭で、わたしにはすべてが可能です。
14 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。




     フィリピ教会からの献金

 使徒パウロは、10節で「あなたがたが私への心遣いをついにまた表してくれた」と述べています。この「心遣い」というのは、献金のことを言っていると思われます。おそらく2章25節に出てきた、フィリピ教会のエパフロディトという人が、フィリピ教会からの献金を、ローマで囚人となっているパウロの所に届けたことを指していると思われます。
 10節でパウロは「非常に喜びました」と述べています。ところが続く11節12節を読むと、どんな境遇にも満足することを習い覚えた、貧しくても大丈夫なのだ、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっているからだと言っています。
 そうすると、何かせっかくの献金は要らなかったかのように思えます。フィリピの教会の信徒たちは、遠いローマでパウロ先生が困っているだろうからと献金を集めて送ったのだと思いますが、しかしそれを受け取ったパウロは、喜んでいると言いつつも、別に貧しくても大丈夫だと言っている。これはいったいどういうことでしょうか?

     感謝ではないのか

 さてもう一度この時のパウロの状況を振り返ってみましょう。パウロはこの時、ローマ帝国の首都であるローマの都で、裁判を待つ囚人となっていたと考えられます。この時が、使徒言行録に記録されている一番最後の個所で書かれている時のことだとすれば、パウロは囚人ではあるけれども、自分で借りた家に住み、人の出入りも自由であったことが分かります。
 なぜ囚人でありながら、そのようにかなりの自由があったかと言えば、それはパウロがローマの市民権というものを持っていたからです。ローマ市民には人権が与えられていたのです。もちろん、逃げられないように番兵と鎖でつながれていました。だから外出する自由は束縛されていました。しかしこのように、自分で借りた家に住み、その家に人の出入りが自由にすることができました。
 なぜパウロは、牢獄ではなく、わざわざ自分の借りた家に住むことを選んだかと言えば、それは伝道と牧会のためだと言えるでしょう。使徒言行録の最後の所にも、パウロの所にいろいろな人が訪ねて来て、その人々にパウロはイエス・キリストのことを宣べ伝えたことが分かります。また、クリスチャンたちも訪ねて来て、そこでパウロはいろいろな相談に乗ることもできたし、諸教会への指導を行うこともできたでしょう。そういうことでパウロはキリストの福音伝道のために、家を借りたのだと言うことができます。そしてその費用と生活費、伝道牧会費をフィリピ教会が支援し、献金したということになります。
 ところが、きょうの聖書個所をお読みになってお気づきのことはないでしょうか。献金を受け取ったパウロに「感謝」とか「ありがとう」という言葉がありません。これは意外なことのように思われる方がおられるのではないでしょうか。パウロはうれしくなかったんでしょうか?‥‥しかし10節には「主において、非常に喜びました」と述べています。ではなぜ感謝の言葉がないのでしょうか?

     献金とは

 教会の献金とは何でしょうか? それはだれに献げるものでしょうか? それは神さまに献げるものです。私たちが献げる献金も、神さまに献げているものです。神さまに献げ、教会はそれを神さまに献げられたものとして扱う。そして神さまのご用のために用いる。そういうものです。
 きょうの個所で言えば、フィリピ教会は、伝道の最前線で戦っているパウロの働きのために献金を送ったのですが、それは神さまのわざであると信じて献げているわけです。
 そのように、神さまに献げられた献金を、パウロが感謝するのはおかしいことですね。パウロのために献げたのではなく、神さまのために献げたのですから。それをパウロが「ありがとう」と言ってしまっては、神さまのものではなくなってしまいます。それは単なるカンパか何かということになってしまいます。
 私は、このような献金に対する原則としての考え方は、とても大切なことだと思います。ですから私も、献金を預かる場合がありますが、そのような時は「ありがとうございます」と言わないように気をつけています。代わりに「分かりました。おささげしておきます」と言うようにしています。いうまでもなく献金はお金ですから、献げる人にとってとても大切なものです。とても大切なものだからこそ、自分が受け取ったのではなく、たしかに神さまに献げたことを強調しなければならないと思っています。
 そうするとパウロがここで、「ありがとう」と言う代わりに、「非常に喜びました」と言っていることが分かってくるかと思います。すなわち、フィリピ教会が、自分の教会のことだけではなく、このように伝道の第一線で主のご用のために働いている伝道者を支えるために献げるようになった、そのことを喜んでいる。そういうことです。

     キリストの体なる一つの教会

 私の経験をお話しさせていただくことをお許し下さい。時々申し上げていますが、私の伝道者としてのスタートは能登半島のW教会でした。たいへんな小規模教会でした。赴任当時、現住陪餐会員は我々夫婦を入れて16名、礼拝出席平均数は10名でした。教会は大正2年創立ですから、逗子教会よりもずっと古い歴史のある教会です。しかし、彼の地は浄土真宗王国です。こちら神奈川県は宗教に無関心の地域だとすれば、あちらはまったく逆で、しっかりと宗教が根付いています。そしてすごい勢いで人口が減少していました。都会に人が出て行くんです。洗礼を受けても町を去って行く人が多くいます。そして地域の強い絆。それはNHKの朝ドラマの「まれ」を見てもおわかりのとおりです。そういうことで、教会に来る人は非常に少ない。
 教会員はほとんどが女性でしたが、よく献金しておられました。しかし何しろ人数が少ないですからW教会だけでは財政的に自立できません。しかし、中部教区には「助け合い伝道」と呼ばれる互助制度がありました。自立できない小規模教会には、謝儀援助と伝道費援助が送られます。W教会は、幼稚園などの付属施設もありませんから、中部教区100余の教会の中でももっとも多くの援助を受けていました。だいたい年間百万円ほどです。

 この中部教区の互助制度は、1960年代にある牧師の言葉で始まりました。それは、教区の集まりでその牧師が、「最前線で戦っている兵士が、弾がなくなったら『弾を送ってくれ』と言ってはいけないのか」と言った言葉に始まったと言われています。過疎の進む町の小さな教会が、財政的に立ちゆかなくなったら、それを支えるのが同じ一つの教会ではないかということです。
 こうして「助け合い伝道」と呼ばれる互助が始まったのです。この「互助」という言葉に注目したいのです。「互助」とは、お互いに助けると書きます。財政的に豊かな教会が、財政的に貧しい教会を一方的に助けるのではないのです。お互いに助け合う。小さな教会のために献金を献げる。しかしそれは神さまに献げたものですから、献げたほうにも神さまの恵みが与えられるのです。献げた教会も、献金を受け取った教会から様々な信仰の恵みを与えられる。これが助け合い伝道の精神でした。
 フィリピの教会は、キリストを宣べ伝えたために捕らえられ、鎖でつながれて囚人となっているというパウロの苦しみは、自分たちの苦しみであるとして考えている。パウロは、キリストの福音を宣べ伝えるという同じ働きを担っている。そのパウロが困っているから、主のわざとして献金を献げた。それは神さまに献げたものです。だからそれを神さまが用いて奇蹟をおこなって下さることができるのです。

     対処する秘訣

 パウロ個人について言えば、11節で述べているように「自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」のです。貧しくても、逆に豊かでも、対処する秘訣を授かっていると言っています。
 まず、貧しくても対処する秘訣とは何でしょうか。それは、13節で「私を強めて下さる方のお陰で、私にはすべてが可能です」という言葉が答えです。「私を強めて下さる方」とは神さま、イエスさま、聖霊なる神さまです。
 今日もう一個所読んでいただきました旧約聖書の列王記上17章の個所。預言者エリヤが、アハブ王を逃れて行きました。すると主はエリヤに、シドンの町の一人の貧しいやもめの所に行け、とお命じになりました。そこでエリヤを養うと。これはふしぎな話です。豊かな人の所で養うというのなら分かりますが、非常に貧しくて食べ物もないようなやもめによってエリヤを養うと、主はおっしゃったのです。
 それは主が奇跡をおこなうためでした。実際、そのやもめの家にはたった一握りの小麦粉と、それを焼くためのわずかな油しかないはずでしたが、いくらそれでパンを焼いても小麦粉はなくならず、瓶の中の油も尽きることはなかったのです。主が奇跡をなさったのです。貧しいからこそ、何もないからこそ、神さまは奇跡をおこなうことができます。
 私たちの場合ですが、中部教区の援助を受けていました。それは献金です。それでも牧師謝儀は月額十数万円。夏冬の特別謝儀は謝儀の1ヶ月分ほどでした。妻は専業主婦というよりも、専属の牧師夫人として歩んでいましたから、働きに出ることはいたしませんでした。そうすると、どうやって暮らしていけるかということになりますが、それがふしぎなことに暮らして行けたんですね。そこでは、神さまのいろいろな奇跡を見ました。もちろん、神さまに頼るために、十分の一献金を欠かしたこともありませんでした。そのように、貧しくても対処する秘訣は主なる神さまです。
 さてここでまだ疑問が生じます。貧しく、空腹の時に対処する秘訣というのなら分かります。しかしここには、「物が有り余っていても」対処する秘訣とも書かれています。これはいったいどういう意味でしょうか。物が有り余っていて経済的に豊かであれば、何も「対処」する必要などないのではないでしょうか?
 たしかにこの世の目で見たらそうかもしれません。しかし信仰の目で見ればどうでしょうか。この世のこと、この世の快楽に目を奪われてしまって信仰を失うということです。物が豊かになると、そういう危険が生じます。サタンの誘惑です。かつて日本は、もちろんキリスト教ではありませんが、神仏に対する信心の厚い国と言われていたそうです。しかし戦後の経済成長によって豊かな国になり、いつの間にか日本人は宗教心がもっとも薄い国の一つになってしまいました。これは経済的に国が豊かになったことと無関係ではないと思います。
 そのように、豊かになると、信仰心が失われるという危機があります。そのようなことを考えると、これはたいへんな危機です。ではそのような危機に対処する秘訣は何か。それは貧しい時と同じだというのがパウロの答えです。
 13節に「私を強めて下さる方のお陰で」と書かれています。「お陰」というのは、この聖書の訳し方で、原文は「エン・強めて下さるお方」となっています。前にも取り上げました、「エン・キュリオー」すなわち「主にあって」、「エン・キリストー」すなわち「キリストにあって」というパウロがよく使う言葉です。そうすると、ここは「私を強めて下さる方の中にいるので」というような意味になるでしょう。「私を強めて下さる方」というのは、もちろんイエスさまです。聖霊なる神さまです。
 そのように、生きておられるキリスト、イエスさまの中にいれば、それが対処する秘訣であるということです。御言葉に耳を傾け祈ることによって、キリストの交わりの中にいる。イエスさまを頼る。それが、いついかなる場合にも対処する秘訣」です。

(2015年9月27日)



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