礼拝説教 2015年6月14日 主日礼拝

「試練が喜びに」
 聖書 フィリピの信徒への手紙1章12〜20 (旧約 エレミヤ書24章7)

12 兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。
13 つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、
14 主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。
15 キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。
16 一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、
17 他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストをを告げ知らせているのです。
18 だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます。
19 というのは、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの霊の助けとによって、このことがわたしの救いになると知っているからです。
20 そして、どんなことにも恥をかかず、これまでのように今も、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています。




     パウロの基準

 13節でパウロは「監禁されている」と書いていますが、この手紙を書いている時、パウロはローマ帝国の首都であるローマで獄につながれていました。「監禁されている」という言葉は、直訳すると「鎖につながれている」という言葉になります。キリストの福音を宣べ伝えたために獄につながれるという結果になったのです。それはたいへんな試練に違いありません。
 神を信じ、キリストを宣べ伝えているのに、どうしてそんな試練が臨むのか?‥‥そのような疑問が起こらないでしょうか。それは私たちにとっても、ときどき訪れる疑問ではないでしょうか。「神を信じているのに、どうしてこんなつらいことが起こるのか?」という疑問です。神はいったい何をしておられるのか?‥‥そのように思うことがあるのではないでしょうか。
 しかしこのパウロの手紙には、そのような疑問の言葉はありません。恨みつらみの言葉もありません。ただ喜びと神さまに対する感謝の言葉が続いています。どうしてそのように思えるのか。その理由の一つは、パウロが物事を見る視点が違うというところにあります。それが「わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立った」ということです。具体的には、第一に、イエス・キリストのことが知れ渡ったということであり、第二には、多くの兄弟姉妹すなわちクリスチャンたちが、大胆に福音の言葉を語り伝えるようになった、ということです。
 そのように、イエス・キリストの福音が宣べ伝えられ、多くの人々がキリストを信じるようになることが目的であるという視点がパウロのものの見方です。そしてそのような視点から見た時に、自分が鎖につながれているということも、神さまのために役立っている、感謝である、ということになっています。

     監禁の結果の恵み

 くわしく見てみましょう。まず第一の点、パウロが獄につながれたことによって、イエスさまのことが知れ渡ったという点です。13節に「兵営全体」と書かれています。パウロは、エルサレムで訴えられて囚人となったあと、ローマに護送されました。パウロがローマ皇帝に上訴したために、ローマに護送されたのです。つまり、まだ裁判が確定していない未決勾留囚です。今日でいえば、拘置所に入れられて裁判を待っているということになるでしょう。
 そして使徒言行録の最後のところ、28章30〜31節を読むと、パウロは囚人でありながら自分の借りた家に住み、しかも自由に人々がそこに出入りしていることが分かります。これはどういうことかというと、パウロはローマの市民権を持っていたので、判決が確定するまではそのような権利が保障されていたからです。ただし、見張りのローマ兵がそばにいて、逃げないようにその番兵と鎖でつながれていました。だから行動の自由はなかったことになります。
 番兵は、パウロから直接イエス・キリストのことを聞かされたかもしれません。またパウロの所に出入りする、ローマ在住のクリスチャンたちとパウロとの会話を聞いていて、イエスさまのことを知ったかもしれません。そしてパウロの見張りの番兵は、ずっと同じ人が務めているのではありません。時々交代いたします。ですから、パウロを通して、多くの兵士たちがイエス・キリストのことを知っていくことになります。あるいはローマ兵どうし、パウロから聞いたイエス・キリストのことを話し合ったかもしれません。そのようにして、囚人となったパウロによって、ローマ兵をはじめ多くの人々が、イエスさまのことを知っていったに違いないのです。そのことをここでまず書いていると言えます。
 第二に、14節の、兄弟姉妹たちが恐れることなく大胆に主のみことばを語るようになったという点です。これはちょっと不思議な感じもします。なぜなら、キリストの伝道者であるパウロが、キリストを宣べ伝えることによって鎖でつながれる囚人となったのですから、クリスチャン兄弟姉妹たちは、反対におじけづくのではないかと思わないでしょうか。しかし結果はその逆だったのです。そこに書かれているように、むしろ確信を得て、大胆に主のみことばを語るようになった。これはなぜでしょうか?
 このことを考える時に、やがてローマ帝国で起きるキリスト教会への迫害のことを思います。このあとやがて当時のローマ皇帝であったネロによって、キリスト教徒に対する最初の迫害が起こります。このネロの迫害から始まって、約250年間に、10人の皇帝がキリスト教徒を迫害しました。時には、キリスト教徒が十字架にはり付けにされたあげく火で焼かれるという迫害がありました。あるいは、見世物として競技場で猛獣の餌食にされるという残酷なものもありました。そうでなくても、キリスト教徒であるということだけで村八分にするように仕向けられる、すなわち誰も物も売ってくれず買ってもくれないという嫌がらせを受けるようになったりしました。そういう迫害の時代が長く続きました。
 それでは、ローマ帝国ではみんな恐れをなして、キリスト教会がなくなってしまったかといえば、そうではありませんでした。反対に、皇帝が迫害すればするほどキリストを信じる者が増えていきました。そしてついには、ローマ皇帝自身がキリストを信じるという時代が訪れたのです。
 いったいなぜそうなったのか?‥‥一つには、迫害されたキリスト教徒が殉教する時の姿を見て、人々が感動したといわれています。処刑されるというのに、処刑する者の罪の赦しを祈りつつ亡くなる。無抵抗なまま、しかも神を賛美しつつ火で焼かれて亡くなる。‥‥そういう光景を見て、人々は、この人たちが信じる神さまは本物だと思い始めたということがあるようです。そしてもう一つは、なによりも、迫害されるキリスト教徒たちの祈りがきかれたということができるでしょう。
 そういうことを思う時、いわれなき罪を着せられて獄につながれているパウロが、この手紙を貫いているように賛美と感謝に満たされている。そういう使徒パウロの姿を見て、ローマにいるクリスチャン兄弟姉妹たちは、逆に励まされ、イエスさまの信仰が確信に変えられ、キリストの福音を宣べ伝えるようになったと考えられます。

     伝道の目的

 さて、15節に行くと、ちょっとびっくりするようなことが書かれています。キリストを宣べ伝えるのに、「ねたみと争いの念にかられてする者」という言葉です。ねたみと競争心で伝道する人がいるのか、と、ちょっと驚く方もいることでしょう。パウロが伝道して成果を上げる。それをねたましく思う‥‥。同じクリスチャンであり、同じ伝道者なのにそのように思うとは、いただけません。
 しかし実に残念なことですが、現代でも、他の教会に出入りすることを禁止したり、自分の教会に囲い込もうとしたり‥‥ということを聞くことがあります。自分の所の勢力拡張のようにも見えます。しかしパウロは、いずれにしろキリストのことが宣べ伝えられるのだから、喜ぶと言っています。これこそ真の伝道者であると言えましょう。イエス・キリストの福音が宣べ伝えられる。ここでもこの視点が中心となっています。
 私たちの伝道の目的はなんでしょうか? それは、この逗子教会が大きくなることが目的というわけではありません。あるいは伝道をする人が賞賛されるためでもありません。伝道の目的は、イエス・キリストが信じられ、神がほめたたえられることです。それを見失ってはなりません。パウロは11節に書かれていたように、人々がイエスさまを通して神がほめたたえらえるようになる、という目的を見失っていません。

     試練も喜び

 そのように、投獄されるという試練、苦しみも、見方を変えれば喜びとなり、感謝となるということを教えられます。
 南アフリカの大統領をされたネルソン・マンデラという方をご存じのことと思います。南アフリカ共和国の元大統領であり、一昨年亡くなられました。その葬儀の時に、世界中から国家の指導者たちが集まったことは記憶に新しいことです。南アフリカ共和国は、かつて、アパルトヘイトと呼ばれる厳しい人種差別政策をとっていました。年輩の方はみなさんご存じの通りです。少数の白人が政治を支配し、多数の黒人が差別をされていました。黒人のマンデラ氏は、若くして反アパルトヘイト運動に身を投じました。しかし1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、牢獄に入れられました。そして27年間という長きにわたって獄中生活を余儀なくされました。そして国際社会から南アフリカ政府は厳しい批判を受けることとなり、1990年に釈放され、1993年にはノーベル平和賞を受賞し、1994年には大統領になったという人です。
 マンデラさんは、27年間の獄中生活から釈放されて出てきた時、70歳を過ぎていましたが健康でした。以下は、月刊誌「ハーザー」で大和カルバリーチャペルの大川従道牧師が書いておられたことを引用します。
“五年牢獄に入っていたら、病気になると言われている過酷な牢獄生活で、二十七年を過ごし、ピンピン元気で帰ってこられました。人々の注目の中インタビューされました。「どうしてあなたは、そんなにお元気で出てくることができたのですか?」「私は牢獄の中で、聖書を読みました。読んだだけではなくて、考えました。私の中には憎しみがありました。私の中には、裁きがありました。白人をやっつけてあげようと思っていましたが、それは愚かなことだとわかりました。裁くことも呪うことも、憎むこともやめました。そして、聖書に書いてあるように感謝しました。天を仰いで感謝して、地面を見たら、地面があるぞと感謝して、水が飲めたときも感謝して、そして食事ができて感謝して、強制労働も感謝して、私は毎日毎日、すべての出来事を感謝しました。それで健康を保つことができました。心も健康、体も健康、それは感謝を捧げる事が秘訣でした。」
 投獄した白人たちを愛することにしました。イライラして焦ることも、不平不満も、裁くこともしないで、イエス・キリストのように、「彼らを赦してやってください。赦せない自分も、赦してやってください。」と。”
 つらい目に遭って、自分をそのような境遇に追いやった人を恨むこともできます。憎むこともできます。呪うこともできます。しかし一方、イエスさまを信じて、一つ一つのことを感謝することもできます。賛美することもできるのです。私たちはどちらを選ぶのでしょうか。パウロに学びたいと思います。

(2015年6月14日)



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