礼拝説教 2014年2月9日

「放蕩息子の父」
 聖書 ルカによる福音書15章11〜32 (旧約 イザヤ書40:1〜2)



11 また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
12 弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
13 何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄使いしてしまった。
14 何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。
15 それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
16 彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
17 そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
21 息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
22 しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
23 それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
24 この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
25 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
26 そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
27 僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』
28 兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
29 しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
30 ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』
31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」




     放蕩息子のたとえ話
 イエスさまは多くのたとえ話をなさいましたが、中でもこのいわゆる「放蕩息子」のたとえ話は、最も有名であると言ってよいでしょう。この前の逗子教会のクリスマスのときも、教会学校中高科のみなさんが、このたとえ話を題材にした演劇を披露してくれました。あの劇では「放蕩娘」でしたが。
 このたとえ話はたいへんわかりやすいものです。読んでいるだけで情景が目に浮かぶかのようです。まさに、どうしようもない放蕩息子の姿が見えてきます。ただ、説教題を「放蕩息子の父」といたしましたのは、このお話の焦点が、放蕩息子にあるというよりは、そのお父さんにあると思われるからです。さっそくお話を振り返ってみましょう。

     放蕩息子の回心

 まず「ある人に息子が二人いた」という言葉から始まっています。この「ある人」というのは、神さまのことをたとえていると言えるでしょう。そしてその息子のうち、弟のほうが父親に「お父さん、私がいただくことになっている財産の分け前をください」と要求します。「私がいただくことになっている財産」と言っていますが、財産はふつうは死んでから相続のために分けるのが普通でしょう。しかしそれを今くれ、と言うわけですから、ずいぶん厚かましいお願いです。
 ところがこの父親は、腹を立てて拒否するかと思いきや、二人の息子に分けてやるんですね。そうすると、弟息子はその財産を売り払ってお金に換え、遠い国に行ってしまいます。そしてそこで放蕩の限りを尽くして、財産をすべて使い果たしてしまいます。ときどき、会社のお金や健康保険組合の積立金を横領して銀座あたりで豪遊し、捕まるというニュースがあったりしますが、人間一度は思う存分お金を使ってみたいと思うのかもしれません。しかし遊ぶ金というものは、あっと言う間に無くなるもののようです。この前のクリスマスの演劇でも、金の切れ目が縁の切れ目というあたりがよく描かれていました。
 その地方にひどい飢饉が起こったとあります。飢饉が起きると、弱い人から死んでいく時代ですから、それこそ死に直面することとなります。もうなりふり構っていられません。ある人の所に身を寄せたところ、豚の世話をさせられたとあります。豚は、旧約聖書の律法では穢れた動物であり、ユダヤ人は飼いません。だからこれは、外国の異邦人の所であることが分かります。しかし豚のエサである「いなご豆」さえももらえなかったというのです。私は「いなご豆」が気になっていましたが、イスラエルに行った時、それが木に生えているんですね。空豆のようなさやに入っていました。食べませんでしたが。
 17節に「そこで彼は我に返って言った」とあります。我に返るということはどういうことか。原語では「自分自身に帰る」という意味になっています。すなわち、本来の自分自身に帰った、ということでしょう。本当の自分自身を取り戻したということです。では、本当の自分自身とは何か?‥‥それがまさにここのポイントです。
 「自分捜し」という言葉が流行ったことがありました。自分が何をして良いか、どう生きたらよいか分からない。それで本来の自分の姿はなんだろうと、試行錯誤を続けることです。
 イエスさまがおっしゃる本来の自分とは何か、自分を取り戻すとはどういうことなのか?‥‥それがこのあとの放蕩息子の行動が示しています。それが、父親のもとに帰ることでした。父のもとには、有り余るほどのパンがあった。しかし今さらどの面下げて帰れるというのか。そこで帰った時に父にいう言葉を考えます。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」。彼は父親のもとに帰っていきます。お腹がすいて、トボトボと歩いて帰っていったことでしょう。しかも裸足で。

     迎え入れる父

 さて20節を見ると、「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」と書かれています。なぜまだ遠くにいたのに、父親は息子を見つけることができたのでしょうか?‥‥それは、この父親が地平線の彼方を見ていたからに他ならないと思います。そうでなければ、遠くから歩いてくる人影を発見することはできません。おそらく、この父親は、毎日毎日、今日帰ってくるか、今日帰ってくるか、と地平線の彼方をながめていたに違いありません。待っていたんです。帰ってくるのを!
 そして父親のほうから駆けよって、首を抱いて接吻しました。息子が、戻ってくる前に父親に言うために考えていた言葉を言いかけます。ところが父親は、それを最後まで聞く前に、召使いたちに指示を下します。まるで、息子の言葉なんかどうでもよいという勢いです。もう、とにかくこのろくでもない息子が帰ってきたことが、うれしくて、うれしくてしかたがない‥‥という思いが伝わってきます。息子の謝罪の言葉よりも、父親の愛が前面に出ています。
 一番良い服、そして指輪、履物を。さらに肥えた子牛を屠ってごちそうを出しなさい、と。肥えた子牛というのは、たいへんなごちそうです。イスラエルでは、特別な賓客にしか出さないものだったようです。例えば創世記で、アブラハムが御使いたちをもてなした時に、肥えた子牛を屠っています。それぐらいの尋常ではない父親の歓迎ぶり、喜びようが表されています。
 なぜそこまでして、このろくでもない自分勝手だった息子を許し、喜びにあふれたのか。(24節)「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ」という、ただそれだけの理由です。「死んでいた」というのは、父親のもとを離れていた状態を表しています。生き返った、見つかったというのは、父親のもとに帰ってきたことを指しています。すなわち、「我に返る」「立ち帰る」「本来の自分に戻る」ということは、父親のもとに戻ってくることを指しているのです。言い換えれば、神のもとに戻ってくること、信じることを指しています。
 さて、そうして弟息子を交えての宴会が始まりました。そこに一日の仕事を終えた兄が戻ってきます。そして宴会の事情を知って腹を立てます。怒りのあまり、家に入ろうとしません。つまり、弟が生きて帰ってきたことが喜びではない。父の態度に、不公平なものを感じて腹を立てたのです。そして出てきてなだめる父に向かって、不平をぶちまけます。この兄の言葉は、もっともです。たしかにその通りです。多くの人がその通りだと思わないでしょうか。しかしだからこそ、逆に、この父親の非常識さが際立ってきます。

     分かれる感想

 昨年度、横須賀学院高校の授業で、生徒たちにこの個所を読ませ、感想を書いてもらったことがあります。そうすると、実にいろいろな感想が出てきました。兄の肩を持つ人が多いように思いました。また、父親に対する意見も分かれました。放蕩息子をこのようにして受け入れる父親にはとても理解できない、という意見が多くありました。逆に、理解できるという意見もありました。どんな馬鹿息子でも、生きて帰ってきたらやはりうれしいのでは、という意見です。
 実に様々な感想がありました。そのように多くの感想に分かれるのは、やはりこのたとえ話の中の登場人物に、自分を重ね合わせて見るからだろうと思うのです。

     焦点は

 このたとえ話の焦点はどこにあるのでしょうか。それは、このたとえ話のおかしな所にあります。するとやはりそれは、この放蕩息子を受け入れる父親の、非常識なまでの愛にあると言えます。いくら何でも人が良すぎると思われます。いくら生きて帰ってきたと言っても、全部放蕩息子が悪いのですから、ここまで喜ぶとなると、いくら何でも行きすぎだと思われます。兄の言うほうが当たり前です。
 しかしイエスさまによれば、私たちの神さまは、この父親のようであるということです。「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった」と言って、これほどまでに喜んでくださる。すなわち、悔い改めて、神のもとに立ち帰ることが本来の人間の在り方であり、それを神さまが手放しで喜んでくださるということです。

     私たちは誰?

 私たち自身は、この登場人物の中の誰でしょうか。自分を兄に置き換えて考える人も多いことでしょう。「こんなにまじめに生きているのに、なんだ神さまは」というようにです。その時には喜びがありません。しかし、自分もまたこの弟のほう、つまり放蕩息子であることに気がついた時、はじめて感謝と喜びが生まれます。
 私自身、放蕩息子でした。幼き日に、牧師先生と両親の祈りを聞いてくださり、神さまによって命を助けていただきながら、やがて神を信じなくなりました。そして、自分勝手な道を歩んでいきました。それはまさに放蕩息子です。神さまからいただいた命なのに、「お父さん、私がいただくことになっている財産の分け前をください」と神さまに向かって言ったこの放蕩息子と同じです。そうして神を離れて、自分の思うとおりの道を歩み続けた。その結果行き詰まり、再び命の危機を迎えました。かつて命を救っていただいた神を捨て、神を信じなくなったのですから、もう助けていただく資格はないはずでした。しかし私が救急処置室で叫んだ「神さま、助けて下さい」と叫んだ言葉を聞き入れて下さった。
 まさに私にとって、この非常識なまでの愛をもって神の所に帰ってくるのを喜んでくださる方であるからこそ、私は救われたのです。
 自分もまた、救われる資格のない者であった。このことに気がついた時、多くの人が、「私も放蕩息子でした」と告白いたします。すると大いなる喜びが生まれてきます。神さまが、ここまで喜んでくださるのですから。
 一方、私たちはしばしばこの兄のように考えることもあるでしょう。「自分はこんなにいっしょうけんめい働いているのに」と。しかし父なる神さまは、神を信じるようになった者に対して、一緒に喜んでやれとおっしゃるでしょう。伝道の喜びはそこにあります。父なる神さまの喜びを共にするからです。
 我に返る、本来の自分自身に帰るというのは、父なる神さまの所に帰るということです。しかしそのように言うと、「自分は仏教の家に生まれたから、帰るのはキリストの所ではない」という人もいることでしょう。そうではありません。私たちは皆、父なる神さまから命を与えられたのです。父なる神さまから命を受け、出発したのです。だから、すべての人にとって、帰るところは父なる神さまの所です。
 このたとえ話には、表に出てきませんが、父なる神がこのように喜んで迎えてくださる背景には、イエス・キリストが十字架にかかられたから、ということがあります。イエスさまが、父なる神のもとに帰る道を用意してくださったのです。神の子として迎え入れられるなんの資格もない私が、このようにして喜んで迎え入れられる。まことに感謝です。


(2014年2月9日)



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