礼拝説教 2013年12月29日

「めん鳥と雛」
 聖書 ルカによる福音書13章31〜35 (旧約 イザヤ書40:1〜2)

31 ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
32 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。
33 だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。
34 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。
35 見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」



十大ニュース

 今年も最後の主日礼拝となりました。皆様にとってどんな年だったでしょうか。どんな中にも神さまの恵みはあるということが聖書を読むと分かります。残念なこと、ひどいこと、つらいことがあったかもしれません。しかし、そうだったとしても神さまの恵みは現れるというのが聖書の約束です。その神さまの恵みを思い起こして、感謝して今年を終えることができれば幸いです。
 さて、12月21日に発表された読売新聞の読者の投票による今年の「十大ニュース」を見てみますと、次のようになっています。
 @2020年オリンピック・パラリンピックの開催が東京に決まる
 A富士山が世界文化遺産に決定
 B参議院選挙で自民党・公明党が過半数
 以下
 C楽天が初の日本一
 D長嶋茂雄と松井秀喜に国民栄誉賞‥‥と続きます。
 全体として、明るいニュースが多く選ばれているように思います。長く続いた経済不況から脱出するために、何とか明るい話題を求めたいということでしょうか。また同じ新聞に載っておりました「神奈川県内十大ニュース」では、第一位が、10月1日に横浜のJRの踏切で、線路に倒れていた男性を助けようとして電車にひかれて亡くなった女性の事故でした。これはまさに、身代わりの死です。多くの人の胸を打ちました。

十字架への道

 本日の聖書個所に入ります。ファリサイ派の人々がイエスさまの所に来て、「ここを立ち去って下さい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」と告げたことから始まっています。ヘロデというのは、ガリラヤ地方の領主のヘロデ・アンティパスという人のことで、イエスさまが生まれた時のヘロデ大王の息子です。そしてこの人は、洗礼者ヨハネの首を切った人です。そのヘロデ王が、イエスさまの命を狙っているというのです。そのようにファリサイ派の人々が知らせたといいます。
 しかしファリサイ派と言えば、とくに宗教上の律法をめぐってイエスさまと対立してきた人々ではなかったでしょうか。そのファリサイ派の人々が親切にもイエスさまに知らせに来たというのです。これはいったいどうしてでしょうか?
 考え方は主に2つあると思います。一つは、ファリサイ派と言ってもいろいろな人がいて、中にはイエスさまのことを信じている、あるいは尊敬しているファリサイ派の人もいたということです。たとえばニコデモのようにです。もう一つの考え方は、これは親切から言ったのではなくて、早くイエスさまにこの地方から出ていってもらいたいから、ヘロデが命を狙っているかのようなことを言ったという考え方です。どちらが正しいのかは分かりません。
 さてそれに対してイエスさまは、「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい」とおっしゃいました。「狐」というのは、新約学者のバークレーによれば、ユダヤ人にとっていちばん狡猾な動物であり、いちばん有害な動物でもあり、役に立たない人間の象徴だそうです。いいところありません。
 そして「三日目にすべてを終える」というのは、もうすぐイエスさまの働きも終わるという意味でしょう。もうすぐ終わるから心配するなとヘロデに伝えなさいという意味にも聞こえます。いずれにしろ、イエスさまのお働きも終わりに近づいているということです。
 続けて「だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外のところで死ぬことはあり得ないからだ」とおっしゃっています。‥‥この時、イエスはガリラヤからエルサレムに向かっています。イエスさまは預言者です。するとここは、今まで多くの預言者がエルサレムで殺されてきたように、イエスさまもエルサレムで殺される。すなわち、死ぬためにエルサレムに行かれる、ということになります。すなわち、いよいよ十字架の時が近づいて来ていることを、暗示しています。

エルサレム、エルサレム

 そしておっしゃいます。「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」
 「エルサレム、エルサレム」と繰り返しておっしゃっています。これは、エルサレムのことを嘆いている言い方であると言えましょう。愛し、嘆いているのです。なぜそのようにイエスさまはエルサレムに特別の愛着を感じ、そして悔い改めないことを嘆いておられるのか。それは、エルサレムが神さまによって選ばれた都だったからです。その昔、ダビデ王によってこの町はイスラエルのものとなりました。そしてソロモン王の時に、ここに神殿が建てられました。それなのに、神さまが遣わした預言者、遣わした人々を打ち殺してきた。神を証しするはずのエルサレムの都が、神の言葉を聞かない。神によって選ばれた民が、神の言葉を聞かない。‥‥そのことをイエスさまは嘆いておられる。
 しかしそれは単にエルサレムだけの問題ではありません。それは神を信じない、神の言葉を聞こうとしないという、私たちすべての人の罪を嘆いておられるということにつながります。言い換えれば、神の言葉を聞こうとしないということが、こんなにもイエスさまを嘆き悲しませると言うことです。

主、涙したもう教会

 エルサレムの郊外には、この時のことを記念して建てられた「主、涙したもう教会」という教会堂が建っています。これを、きょうは私が10年前に行ってきた時の写真で見てみたいと思います。
 (プロジェクター:@オリーブ山からエルサレム市外を見た写真)
 これは、エルサレムの市街地の東側にあるオリーブ山から見た、エルサレムの旧市街地の写真です。金色の屋根が「黄金のドーム」と呼ばれるイスラム教のモスクで、かつてイエスさまの時代には神殿が建っていた場所です。
 (A拡大写真=聖墳墓教会の屋根が見える)
 これはズームアップした写真です。黄金のドームの左奥に、葵丸い屋根が見えますが、これが「聖墳墓教会」です。そしてここが、イエスさまが十字架にかけられたゴルゴタの丘のあった場所で、そこにこの教会が建っています。そして、オリーブ山を右の方から市街地に向かって下って行く途中に「主、涙したもう教会」があります。
 (B「主、涙したもう教会」)
 中に入ると、祭壇があり、向こうの鉄格子の飾りのある窓越しにエルサレム市街地が見えます。
 (C祭壇と窓の写真)
 祭壇には、めん鳥が雛を抱えている絵が描かれています。めん鳥は、雛に危険が迫ると急いで雛を自分の翼の下にかくまいます。神さまは、そしてイエスさまは、人々が滅びないように、ご自分の翼の下に隠れるように招いてこられたことを表しています。
 (D窓枠の十字架越しの市街地の写真)
 そして、祭壇の向こうの窓です。窓には十字架の飾りがついていて、正面から窓を見ると、ちょうど十字架のクロスしているところに、ある建物が重なります。それが聖墳墓教会、すなわちゴルゴタの丘、イエスさまの十字架が立てられた丘を指しています。
 すなわちこの教会は、いつまでたっても悔い改めない、主の言葉を聞こうとしないエルサレムのことを思って、涙を流して嘆かれたイエスさまが、そのエルサレムを見捨てるのではなく、救うためにエルサレムのゴルゴタの丘の十字架に向かっていかれるということを、無言のうちに指し示しているのです。
 それは全く私たちに対するイエスさまの愛と重なります。今までどれほど、主は、めんどりが雛をかくまうように、私たちを招いてこられたことか。しかし私たちはそれに気がつかないで、勝手な人生を歩んできました。そんな私たちを救うために、なお主イエスは、ゴルゴタの丘の十字架目指して進んでいかれたのです。

主を求めよ

 「主の名によって来られる方に、祝福があるように」。主の名によって来られる方とは、イエスさまのことです。イエスさまを祝福する。イエスさまを歓迎する。そのとき、イエスさまは私たちにお会いなさるのです。私たちは、雌鳥の羽根の下に駆け込む雛のように、主の翼の陰に身を寄せることが赦されています。
 この一年、不本意だったという人も、失敗ばかりだったという人も、何となく過ごしてしまったという人も、私たちには帰るべきところがある、戻るべき所があることを忘れてはなりません。主の翼の陰です。


(2013年12月29日)



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