礼拝説教 2013年12月1日

「イエスのまなざし」
 聖書 ルカによる福音書13章10〜17 (旧約 出エジプト32:1〜14)

6 そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。
7 そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』
8 園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。
9 そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」



森祐理さんのために

 11月23日に当教会でコンサートをして下さった森祐理さんですが、当教会でのコンサートのあと、声が全く出なくなったとのことです。7年ぶりに風邪を引かれてノドを痛め、それでも祈りによって本人も「奇跡」とおっしゃったように、当教会のコンサートではすばらしい歌声を聞かせてくださり、そしてすばらしく主を証しされました。ところがそのあと、一声も出なくなってしまったということをメールで知らされました。声帯の筋肉の肉離れを起こしたのだそうです。それで当分の間、各地でのコンサートをキャンセルせざるを得なくなっている状況にあります。
 歌手にとって声が出なくなるということは、すなわち働きが終わってしまうことを意味します。森祐理さんは、自分がほめたたえられることではなく、主がほめたたえられることを第一として活動しておられるので、私も尊敬をしております。どうか主が声を戻してくださるように、皆さんもどうぞ祈って下さい。

安息日の癒し

 本日の聖書ですが、安息日にイエスさまが会堂で教えておられるところから始まります。会堂とは、ユダヤの町や村ごとにあったもので、安息日にはそこに人々が集まって主を礼拝していました。するとそこに、「18年間も病の霊に取りつかれている女」がいました。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかったと書かれています。
 これが医学的にどういう状態なのか、なぜ腰が曲がったままになってしまったのか、よく分かりません。しかし、この女性が長い間非常に苦労してきたであろうことは分かります。不自由だったことでしょう。痛みを伴っていたことでしょう。
 最近私も、いわゆる五十肩というものになりまして、不快な思いをしているのですが、それとは比べものにならないでしょう。五十肩は放っておけば治るそうですが、この人は18年間もつらい思いをしてきたのですから、それはそれはたいへんだったことでしょう。聖書には、「病の霊に取りつかれている女」と書かれています。ですから、世間の人の中には、「あの人は悪霊に取りつかれているのだ」と陰口を言う人もいたことでしょう。そうなると、病の痛みや苦しみだけではなく、精神的にも大変なストレスとなっていたことでしょう。しかしその苦しみを誰にもどうすることもできません。とくに医学の発達していないこの時代、彼女は、もう絶望的な思いだったことでしょう。
 しかしそこにイエスさまが目を留められたのです。イエスさまがその女性を呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」とおっしゃり、その人の上に手を置かれました。するとその人はたちどころに腰がまっすぐになり、治ったと書かれています。すばらしい奇跡です。その人は「神を賛美した」、と書かれています。神さまをほめたたえたのです。私たちも、「本当に良かったですね」と言いたくなります。

会堂長の立腹

 ところが、こんなにすばらしいことが起こったのに、喜ぶどころか腹を立てた人がいました。それが会堂長です。会堂長というのは、この会堂の責任者であり、安息日の礼拝を取り仕切る人でした。彼は腹を立てました。こんなにすばらしいことが起こったのに、なぜ腹を立てたのか?‥‥それは、イエスさまが安息日に病気を癒したからです。安息日のことは聖書によく出てきますので、ご存じの方も多いこととは思いますが、安息日は仕事をせずに休む日と定められていました。そして、病気の人を治療するという行為も仕事であり、それゆえ病気を癒すという行為をしてはならないことになるのでした。
 それで会堂長は、イエスさまが病気を癒したので、腹を立てたのです。イエスさまが安息日のきまりを破ったとみたのです。しかしここの個所を読むと、会堂長は直接イエスさまに文句をいったのではありませんでした。おそらく、この日の説教をイエスさまに頼んだのは会堂長だったのでしょう。その手前、直接イエスさまに腹を立てると自分の面目が失われます。それで、人々に向かって、安息日以外の日に病気を治してもらいなさいと言っています。
 それに対して、イエスさまは反論なさいました。しかも「偽善者たちよ」と、厳しい言葉でお叱りになりました。「あなたたちは誰でも、安息日にも牛やロバを飼い葉桶から解いて水を飲ませに行くではないか。 この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
 「アブラハム」というのは、ユダヤ人の共通の先祖であるアブラハムのことです。「アブラハムの娘」という言い方は、「アブラハムの子孫」ということですし、今腹を立てた会堂長、そしてイエスさまに反対する人々と同じユダヤ人、つまり、同じ民族ではないかとおっしゃっているわけです。自分の牛やロバは、安息日であっても水を飲ませるために飼い葉桶から解く。ここで「解く」という言葉が使われています。つまり、牛やロバをつないでいるロープを解いて水飲み場に連れて行く。そして、この女性についても「解く」という言葉が使われています。サタンの「束縛から解く」ということをおっしゃっています。すなわち、家畜である牛やロバを束縛から解いて水を飲みに連れて行くのならば、同じアブラハムの子孫であるこの人をサタンの束縛から解いてやるべきではないかとおっしゃっているのです。
 もっともなことに違いありません。それで反対者たちは恥じ入り、群衆は喜んだと書かれています。

安息日とは

 さて、この出来事ですが、確かにこのイエスさまの言動は痛快なことです。神の掟である律法を杓子定規(しゃくしじょうぎ)に当てはめ、困っている人を苦しめている融通のきかない人たちをとっちめた出来事のように読めます。それに対して、イエスさまが胸の空くような一撃を浴びせた、というように感じる人も多いことでしょう。
 しかし、果たしてここで聖書はそういうことを私たちに伝えたいのでしょうか? この話は、この話は、固いことを言う人をとっちめた痛快な話しなのでしょうか? 規則を振り回す人々と、自由なイエスさまの対決ということなのでしょうか?
 そういうことではありません。イエスさまは「律法の文字から一点一画も消え去ることはない」(マタイ5:18)とおっしゃいました。「律法なんて固いことを言うな」などというようなことを、一度でもおっしゃったことはありません。では、安息日律法についてもう一度思い出してみましょう。安息日を守ることは、聖書の中でも最もたいせつな掟である「十戒」の中に記されています。旧約聖書では安息日は週の終わりの日、すなわち土曜日ですが、この日はいっさいの仕事をしてはならないと記されています。仕事をしないで休む日です。
 一週間のうち一日、仕事をしないで休むというのは、今日では当たり前で、週休二日という企業がほとんどなわけですが、聖書の時代はもっともっと生産力の低い貧しい時代です。庶民はみんなその日暮らし、という時代です。そうすると、一日休むことは、なかなか大変なわけです。
 この律法が定められたのは、イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを出て、荒れ野の中でのことでした。飲み物もない、食べ物もない、「ああ、エジプトを出てくるんじゃなかった」と人々が言ったときです。主なる神さまが、毎朝「マナ」というふしぎな食べ物を地面の上に置いておいてくださいました。人々はそれを集めて食べ、生き延びることができました。しかしマナは、安息日には地面の上に落ちていませんでした。しかし安息日の前の日だけは、いつもの2倍の量のマナが地面の上に降りていました。つまり、安息日の分まで、神さまはちゃんと用意してくださったのです。安息日は働かなくても、その分まで神さまが面倒見てくれるから心配ないということです。
 これは喜びではないでしょうか? 安息日にはちゃんと休めるように、神さまがお膳立てしてくださるのです。それで安息日には安心して仕事を休んで、その神さまをたたえる聖なる集会、つまり礼拝をする日となったのです。喜びの日です。

安息日の変質

 ところが、やがて安息日の意味が変わっていきました。それは、イスラエルの民がバビロン補囚によって国が滅びてからです。それは自分たちが神さまに背いたので罰が与えられたのでした。そして神のあわれみによって補囚から戻ってきたあと、イスラエル(ユダヤ)の民は反省しました。自分たちが神に背いて、偶像礼拝をしたし、安息日を守らなかったから、罰を受けたのだと。それで、安息日を守らなければまた神の罰を受けるということで、く安息日の戒律をどんどん厳しいものにしていったのです。病気を治してもダメだというのは、そういう中で決められていきました。
 そうすると、もともと安息日は神の御業を喜ぶ日であったのに、神の罰を免れるためにビクビクする日となってしまいます。神の罰を恐れるあまり、「休むことができる日」出会った安息日が、「仕事を休まなければならない日」となり、では仕事とは何かということで、細かな規則が決められていったのです。  今日の聖書に戻ると、会堂長が悪いのではありません。ある意味、この会堂長もまじめにそのように考えていたのでしょう。神の罰を受けてはたいへんである、と。

喜びを取り戻す

 それに対してイエスさまのなさったことは、安息日の喜びを取り戻したのだと言えます。この女性は、イエスさまに癒されたことによって「神を賛美した」と書かれています。すなわち、それまでも毎週安息日に会堂での礼拝に来ていたのですが、賛美や感謝がなかった。喜びがなかったのです。しかしイエスさまによって、安息日の礼拝が喜びへと劇的に変わったのです。
 キリスト教会は、旧約聖書の土曜日の安息日を変更しました。翌日の日曜日に移動して、名称も「主の日」と変えました。なぜ日曜日に変更したかというと、イエスさまが復活した日が日曜日だからです。すなわち、復活の喜びにあずかる日、復活のキリストに出会える日、喜びの礼拝を取り戻したのです。
 この礼拝は、皆さんにとって喜びとなっていますか?
 私自身、高校生までに通った礼拝は、決して喜びではありませんでした。小さい頃から通っているから、惰性で通っているようなものでした。だからやがて、教会を離れてしまいました。しかし、やがてキリストが生きておられることを知ってからは、礼拝は喜びとなりました。礼拝の中に主イエスがおられると約束なさっているからです。(マタイ18:20)「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」。そのようにイエスさまが約束なさっているのですから、確かにイエスさまはここにおられるはずです。
 振り返ってみると、私が今まで本当の喜び、この世の喜びとは異なる喜びを与えられたのは、礼拝の中ということが多かったように思います。献身して東京神学大学に入学し、初めて三鷹教会の礼拝に出席したとき、この教会に決めて良いのか迷いがありました。その時、礼拝の説教を通して神さまの答えが与えられました。ものすごい感動でした。また神学校を卒業する前に、最初の任地が輪島教会に決まったとき、赴任に先立って輪島教会の礼拝に出席したとき、その時も礼拝の中で神さまの言葉をいただきました。言葉を通してキリストに触れました。
 礼拝の中に、約束通り生けるキリストがおられます。このことに目が開かれるということは、何にも優る喜びです。イエスさまは、この喜びを取り戻してくださいます。


(2013年12月1日)



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