礼拝説教 2013年1月6日

「荒海を制するイエス」
 聖書 ルカによる福音書8章22〜25 (旧約 詩編104:5〜8)

22 ある日のこと、イエスが弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸に渡ろう」と言われたので、船出した。
23 渡って行くうちに、イエスは眠ってしまわれた。突風が湖に吹き降ろして来て、彼らは水をかぶり、危なくなった。
24 弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、おぼれそうです」と言った。イエスが起き上がって、風と荒波とをお叱りになると、静まって凪になった。
25 イエスは、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」と言われた。弟子たちは恐れ驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに言った。




イエスの言葉に従って海に漕ぎ出したのに

 本日の聖書の個所では、イエスさまと弟子たちが乗った舟が嵐に遭遇するという事態が発生します。コトの発端は、イエスさまが舟に乗って「向こう岸へ渡ろう」とおっしゃったことにあります。向こう岸というのは、ガリラヤ湖を挟んで向こう岸ということです。
 ガリラヤ湖というのは、南北に21キロ、東西に12キロという湖です。面積は、日本の琵琶湖の4分の1ほどの大きさです。そんな湖なのですが、突然強風が吹き荒れ、海が荒れるということは決して珍しいことではないそうです。ガリラヤ湖という湖は、湖面が海面下209メートルという低いところにあり、まわりを山で囲まれています。そして冷たい風が西から吹くと、風が一気に湖面に吹き付けて、今までまるで鏡面のように穏やかだった湖面が、あっという間に波が立ち、荒れ狂うということがあるそうです。イエスさまたちの乗った舟も、そのガリラヤ湖特有の突然の暴風にさらされたのです。荒海の中に、木の葉のようにほんろうされる小舟。どんなに恐ろしいことでしょうか。だいたいイエスさまの弟子たちのうち、少なくともペトロとアンデレ、それにヨハネにヤコブはもともと漁師でした。だから海にも波にも慣れているはずです。その弟子たちがあわてふためくほどの嵐となったのです。そして舟は沈没しそうになりました。
 すなわち、イエスさまが「向こう岸へ渡ろう」とおっしゃたので、ガリラヤ湖へ舟を漕ぎ出したのです。イエスさまの御言葉に従って、向こう岸へ漕ぎ出したのにもかかわらず、そのような嵐に遭遇した。これはおかしいではありませんか。
 私たちにもついても同じようなことが言えます。私たちもイエスさまを信じてキリスト者となった。にもかかわらず、順風満帆ということばかりでは無い。ひどい困難な問題が起こってきたり、試練に遭遇することがあります。イエスさまを信じて従って行ったのに、同じ舟に乗ったのに、イエスさまが「向こう岸へ渡ろう」とおっしゃったから舟を漕ぎ出したにもかかわらず、荒海にもまれて沈没しそうになる。‥‥イエスさまを疑ってしまいたくなるのではないでしょうか。

眠るイエス

 そのイエスさまは、と見ると、なんと舟の中で眠っておられる。渡って行くうちに眠ってしまわれた、と書かれています。イエスさまの行く所、常に群衆が詰めかけ、神の国のお話しをなさり、また病める者を癒され、あちこちを旅して行かれ‥‥という具合で働かれていたイエスさまです。弟子たちだけが乗っている舟の中が、休息の時間であったということでしょう。しかもイエスさまは、海が荒れ始め、舟が大揺れに揺れ、波をかぶるようになっても眠っておられたのです。イエスさまは、それほどまでに疲れておられたということでしょうか。あるいは、全く父なる神さまに信頼しきって、安眠されていたのでしょうか。
 全く父なる神さまに信頼しきって安眠されていたとしたら、それは神さまへの全面的な信頼です。荒海の中でも神を信頼しきって身をゆだねておられる。その信頼とは、たとえ舟が沈没して、ここで命を終えることになろうとも、神はすべてを良きに取りはからって下さるという信頼です。あるいはまた、イエスさまに対する神の御計画が成就されるまでは、どんなに舟が沈没しそうに見えても、絶対に神は助けて下さる、という信頼です。

風と荒波を叱るイエス

 ますます激しくなる嵐に、なすすべもない弟子たちは、眠っているイエスさまを起こしました。「先生、先生、おぼれそうです」!‥‥この「おぼれる」は、直訳すると「滅びる」とか「死ぬ」という意味です。死が迫っている危機です。漁師であった弟子たちが死の危険を感じるほどの状況です。
 するとイエスさまがようやく起きられました。そして風と荒波をお叱りになった‥‥。
 風と荒波を叱る‥‥風と荒波を叱ってどうなるのでしょう? 人間を叱るというのなら分かります。その人が言うことを聞くか聞かないかはともかくとして、叱った言葉の意味は人間ならば理解できます。あるいは、犬でもちゃんと叱れば理解します。しかし、風や波を叱ってどうなるというのでしょうか?
 そもそもイエスさまはこの時、なんと言って叱ったのでしょうか。ルカによる福音書には書かれていませんが、マルコによる福音書の同じ個所を見ると、「黙れ、静まれ」と言ってお叱りになったことが書かれています。何か私などは水戸黄門を思い出してしまうのですが、とにかくイエスさまが風と荒波に向かってお叱りになると、どうなったか。その命令通り、風は止み、海は凪になったというのです! 生命ではない波や風が、まるで生き物であるかのように、イエスさまの言うことを聞く。その通りになったのです。
 このことで思い出すのは、天地創造の時のことです。創世記の第1章には、神さまが天地万物をお造りになった時のことが書かれています。その時、神さまはどのようにして宇宙と万物をお造りになったのか。最初に造られたものは光でした。それはどうやってできたのか。創世記を見ると、「神は言われた。『光あれ。』こうして光があった」と書かれています(創世記1:3)。そのように、神さまが次々と言葉を発せられると、すべてのものが生まれていったのです。
 言葉を発するというのは、自らの意志を表明することです。すなわち、神さまの意思によって光から始まって、この世界と生き物、そして私たち人間が存在したのです。そして、私たちがこの世に生きているということも、神さまの意思があったということです。私たち一人ひとりは、神さまの意思によって命を与えられ、今このように生きていると言えます。
 そのように、神が言葉を発せられると万物が生まれ、その言葉に従ったように、イエスさまが風と波をお叱りになると、その通りになった。弟子たちは驚いて、「いったい、この方はどなたなのだろう。命じれば風も波も従うではないか」と互いに語り合ったと25節に書かれていますが、この時弟子たちは、はじめてイエスさまというお方が、単なる人間以上の存在ではないかと思ったことが分かります。

信仰とは

 さて、イエスさまは、嵐にうろたえて「おぼれそうです」と悲鳴を上げた弟子たちに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」とおっしゃいました。まさに弟子たちは信仰など失ってしまいました。死の恐怖におののきました。イエスさまが荒波で舟が大きく揺れているにもかかわらずに眠っておられた、すなわち全面的に神さまに信頼し、ゆだねておられたのとは対照的な姿です。
 私たちだったらどうでしょうか?‥‥もしわたしが弟子たちと同じ立場に置かれたら、やはり慌てふためき、恐れおののいて、助けてと叫び声を上げるに違いありません。弟子たちと同じように、「あなたがたの信仰はどこにあるのか」とイエスさまから叱られることでしょう。いざとなると、信仰を失い平安を失ってしまうものです。神さまを信じきれないのです。どうしようもありません。
 しかし、弟子たちはこの時結局どうなりましたか?‥‥助かりました。なぜ助かりましたか?‥‥それはイエスさまを起こし、そのイエスさまが風と荒波を叱りつけて静めて下さったからです。それで信仰を失った弟子たちだったにも関わらず、助かったのです。
 ここが大切なところです。弟子たちが信仰を失ったにもかかわらず、助かったのは、イエスさまを起こし、イエスさまに向かって叫んで助けを求めたからです! ここに私たちの平安があります。私たちもまた信仰を失いやすい弱い者です。しかしそんな私たちであっても、イエスさまにすがるならば大丈夫であるということを教えられます。

     チイロバ先生の証し

 チイロバ先生こと榎本保郎先生の「ちいろば」の本の中に、榎本先生が教会学校を始めた時の証しが書かれています。榎本先生がまだ同志社大学の神学生であった頃、京都のある場所で教会学校を始めました。しかし、教会学校として使える決まった場所がありませんでした。それで榎本先生は、家を一件買うことにしたのです。すると、その家の持ち主が「20万円」で売るといったそうです。20万円といっても、終戦後の20万円ですから、今で言えばいくらぐらいになるでしょうか。大きな金額です。その20万円を、1月と12月の2回に分けて、10万円づつ支払ってほしいという契約でした。
 榎本先生には、もちろん何もお金がありません。しかし、祈っているうちに、これは主の御心であると確信するに至ったのです。主がここを買って教会学校をせよと、おっしゃっておられるのだと信じることができたのです。
 最初の1月に支払う10万円は、宣教師が5万円出してくれたり、いろいろな人が献金してくれたりして、不思議にもそろって支払うことができたそうです。そして、その家を教会として、開拓伝道を始めたのです。無謀といえば無謀ですが、榎本先生は主の御心に従ったのです。そうして教会を始め、おまけに保育園も始めてしまったのです。そんなことで、忙しくして一生懸命やっているうちに、その年の暮れが近づいてきました。するとある日、書留郵便が届いたそうです。何かと思ってみると、それは家の持ち主からで、約束通り12月25日に家の代金である残りの10万円を取りに行くからよろしく、と書いてあったそうです。榎本先生は、そんな残金のことはすっかり忘れてしまっていたのです。もしその10万円が払えないなら契約は解消で、家は取り上げられることになっていました。しかしそのようなお金は全くなかったのです。
 困っているうちに、12月24日になってしまいました。その開拓伝道の教会では、クリスマスの祝会が始まりました。困り果てた榎本先生は、榎本先生の尊敬していたアメリカ人の宣教師の所に出かけたそうです。そうすると、その宣教師は「そんな大金はない」と言う。そして、「お金が与えられないならその時はやめましょう」と言った。榎本先生は怒って「絶対にやめません」と答えました。すると宣教師は「では、お祈りしましょう」と言って、静かにお祈りを始めたそうです。榎本先生はその時のことをこう書いています、「いらいらしている私にはじれったくてしようがない。」‥‥神さまにお祈りするなんて、何の力にもならないように思われたのですね。
 結局、翌日失望して京都の家に帰りました。ついに売り主が代金を取りに来る12月25日になってしまいました。疲れ果て、絶望的になり、ぐったりとイスに腰を下ろし、郵便物を見ていると、その中に書留郵便が来ていました。「誰からかな?」と思ってみると、ある教会員の息子さんの名前が書いてあったそうです。開けてみると、「母がいつもお世話になっている」というお礼の言葉と、「自分は今事業をしているが何かむなしさを感じる。わずかではあるが同封のものを使ってほしい」という手紙が入っていました。そして、もう一度封筒を見ると、なんと10万円の小切手が入っていました。榎本先生は、あまりのことに手がぶるぶる震え、のどがつかえ、すぐには奥さんを呼ぶことができなかった、と書いています。
 榎本先生夫婦は、その時神さまのなさる奇跡を見たのです。さらにこの証しにはおまけが付いていて、その時10万円の小切手をささげたその人は、真珠の養殖業をして大成功を収めていたのですが、その後、その事業を放り出して献身して牧師になったのです。また、榎本先生がそのとき代金を支払った家の持ち主も、その後献身して牧師になったそうです。
 私たちも、危機に直面すると、うろたえ、信仰がどこかに行ってしまいます。しかし今日の聖書は、そのような弱い私たちであっても、すがることのできる方がおられるということを教えています。


(2013年1月6日)



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