礼拝説教 2012年11月18日

「知恵の子」
 聖書 ルカによる福音書7章31〜35 (旧約 箴言1:7)

31 「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。
32 広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった。』
33 洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲まずにいると、あなたがたは、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、
34 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。
35 しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」




笛吹けど踊らず

 32節の言葉は、「笛吹けど踊らず」ということわざの元となっています。このことわざの意味について、広辞苑ではこのように記しています。「(新約聖書マタイ伝11章から)お膳立てをし、いくらすすめ誘っても、人がこれに応じて動き出さないのにいう。」‥‥まさに適切な解説であると思います。そして今日の聖書の意味そのものになっていると思います。
 イエスさまは、今の時代の人々が、「広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子どもたちに似ている」とおっしゃっり、続けて「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった」と言われました。これはどういう光景のことを言っているかというと、子どもの遊びの時のことをおっしゃっているのです。「笛を吹いたのに踊ってくれなかった」というのは、結婚式ごっこをしたようです。当時の子どもたちには、今日のようにテレビゲームや携帯ゲーム機がありませんでしたから、おとなの日常生活のいろいろなことが遊びとなったのです。その遊びの中に結婚式ごっこがあった。結婚の時には、ごちそうがふるまわれ、笛などの音楽に合わせて、歌や踊りが披露されました。貧しい時代でしたから、子どもたちにとっても楽しい一時だったことでしょう。それで、子どもたちが、結婚式ごっこをした。
 また、「葬式の歌をうたっているのに、泣いてくれなかった」というのは、お葬式ごっこです。今日の日本でそのようなことをすれば問題となりそうですが、当時のイスラエルは泣き女のいる世界です。葬式の歌がうたわれ、大きな声で泣きじゃくることがマナーとされていました。それは子ども心にも、印象的な光景だったことでしょう。そのように、笛を吹いて踊りが踊られる結婚式、そして、葬送の歌がうたわれ、大きな声で泣くことが奨励される葬式。しかし、笛吹けど踊らず、葬送の歌がうたわれても泣いてくれない‥‥。そんな光景が思い浮かばれます。今の時代の人たちは、それと同様であるとイエスさまはおっしゃいます。
 ここで問題となるのは、笛を吹いているのは誰なのか?ということです。神さま・イエスさまが笛をふいているのに、人々が踊らないということなのか。それとも、人々が笛を吹いているのに、神さま・イエスさまが踊ってくれないということなのか。いったいどちらなのか、ということです。
 笛を吹いたり、葬式の歌をうたっているのが神さま・イエスさまであるとしたら、神さまがいっしょうけんめいに笛を吹いているのに、人々がそれを受け入れない、ということになります。また逆に、笛を吹いたり葬式の歌をうたっているのが人々であるとしたら、人々が笛を吹いて、神さまに踊ってもらおう、神さまを操ろうとしているのに、神さまはその通りにしてくれなかったと嘆いている、ということになります。
 これはどちらとも言えるでしょう。いずれにしても、神さま・イエスさまと、人々との思いが違っていることだけは分かります。そしてここでは、神さま・イエスさまが笛を吹いているのに、人々が踊らないということで話を進めたいと思います。

ヨハネとイエス

 イエスさまも洗礼者ヨハネも、共に神さまから遣わされました。洗礼者ヨハネは、ヨルダン川で洗礼を授け、人々に悔い改めを求めていました。彼は荒れ野に住み、ラクダの毛衣を着て、パンやぶどう酒などは飲まず、イナゴと野蜜を食べて生きていました。まるで仙人のようです。そしてヨハネが働きを始めた時に、多くの民衆はそれを受け入れましたが、一方で「あれは悪霊に取りつかれている」と誹謗中傷した人々もいました。それが、ファリサイ派の人々や律法学者たちです。この人たちは、民衆に旧約聖書の律法を教える先生たちであります。洗礼者ヨハネが神さまの働きを始めた時、その先生たちは、ヨハネを受け入れず、「あれは悪霊に取りつかれている」と言ったのです。
 そしてイエスさまが来られた時は、今度は「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ」と言った。もちろん、イエスさまが大酒飲みであったわけではないでしょう。しかし全然飲まなかったわけではない。「大食漢」というのももちろん大げさです。ただ、福音書を読んでいると、イエスさまが食事をしたという場面がよく出てくるのも事実です。しかしそれは、もちろん大食いであったということでは決してなく、様々な人々と親しく接し、食卓を囲んだということなのです。ファリサイ派や律法学者たちは、徴税人や罪人とは一緒に食事をしなかった。自分たちも汚れると思ったからです。しかしイエスさまは、みんなから嫌われていた徴税人や、ファリサイ派や律法学者が一緒に食事をしなかった罪人とも共に食卓につきました。だから、ファリサイ派や律法学者が、イエスさまを中傷して、そのように言ったのです。
 そのように、人里離れた荒れ野で、神の裁きと悔い改めを説いた洗礼者ヨハネのことも受け入れず、逆に、人々の中に入ってこられて、罪の赦しを説いたイエスさまのことも受け入れない。それはまさに、「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、泣いてくれなかった」のです。洗礼者ヨハネもイエスさまも、共に神さまがお遣わしになった。しかし、彼らは両方とも受け入れなかった。
 なぜ、ユダヤ人の指導者であったファリサイ派や律法学者たちは、ヨハネのこともイエスさまのことも受け入れなかったのでしょうか。それは、自分たちが正しいと思っていたからです。自分たちは間違っていない。さらに、自分たちが先生であって、自分たちが権威であると思っていた。だから、ヨハネが罪の悔い改めを説いても受け入れないし、民衆から信奉されつつあるイエスさまのことも気に入らない。受け入れない。

知恵の子

 そしてイエスさまはおっしゃいました。「しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」。ここで「知恵」とおっしゃっていることは何でしょうか。この「知恵」というのは、何かこの世の中の一般的な知恵のことではありません。実はここで「知恵」というのは、イエスさまの知恵、神さまの知恵であるのです。もっと言えば、イエスさま御自身のことでもあると言えます。
 さて、この言葉ですが、新共同訳聖書では「それに従うすべての人によって証明される」と訳されていますが、直訳すると、「そのすべての子どもたちによって証明される」となります。「子どもたち」というのは、「知恵」の子どもということで、つまり今日の説教題の「知恵の子」という意味になるのです。つまり、「知恵の正しいことは、知恵の子によって証明される」ということになります。
 「知恵の子」というのは誰でしょうか。それが新共同訳聖書は知恵に従う人という意味であるとしています。つまり、イエスさまという知恵の正しさは、イエスさまに従う人、あるいは、イエスさまを信じる人によって証明されるということになります。

証明する

 それでは、イエスさまが神の御子であり、救い主であることを、どうやって証明できるでしょうか。これはなかなか難しい問題です。イエスさまが神の御子であり救い主であることを科学的に証明しろといっても、難しい。
 しかしでは全く証明できないかといえば、そうではありません。それは、イエスさまを信じた人が、信じた結果どうであったかということを証言することによって、証明できるのであると思います。
 私の愛読書の一つに内村鑑三の「キリスト教問答」という本があります。内村鑑三は、無教会の創始者ですから、教会というものに対する考え方では内村鑑三と私は違っていますが、彼のキリストに対する信仰においては、多くのことを教えられます。その中で、内村は、キリストが神であることを認めるに至ったのは、自分が罪人であることを発見したからだと述べています。そして、「私が生まれながらの罪人であることが分かった時に、私は私の理性までを信じなくなりました。罪は人の体と心とを汚すにとどまりません。彼の理性までを狂わします。生まれつきのままの人の心をもってしてはとうてい神を見ることはできません。彼が神のことを分かろうと思えば、彼が神のことを分かろうと思えば、まったく自己を捨てて神の光明を仰がなくてはなりません」と言っています。
 さらに、「どうしてあなたは、キリストが神であることをお認めになったのですか?」という問いには、このように答えています。‥‥「おのれの罪を恥じ、良心の平安を宇宙に求めて得ず、煩悶(はんもん)の極み、助けを天に向かって求めました時に、十字架上のキリストが心に映り、その結果として、罪の重荷はまったく私の心より取り去られました。その時に、私は初めて自分らしき者となりました。それから後というものは、私の全体に調和が来たりまして、私はその時はじめて神の救いとはどんなものであるかが分かりました。」
 これを内村は「実験」と呼んでいます。化学の実験ではありません。言ってみれば、体験と言うことです。体験によって確かめられるということです。
 神がキリスト・イエスさまによって、私たちを救う。イエス・キリストの十字架によって、私たちの罪を赦し、私たちを救うという神の知恵。そのようにして人間を救うということは、知恵ではなくて愚かなことのように見えます。しかし、その神の知恵の正しさは、知恵の子によって、すなわち、知恵であるイエスさまを信じることによって証明されるのです。その証明を、教会では証しと呼んでいます。

 つい最近、隠退教師の大隅啓三先生から、先生の翻訳されたウィリアム・バークレーの「キリスト教会の誕生記」という本をいただきました。その中に、ちょっとした証しが書かれていました。第一次世界大戦の時、ある若い兵士が、神父に話をしていました。彼は、自分がしばしば神経過敏となり、悩み、恐れていることを打ち明けました。ところが、不思議なことに、毎晩10時ごろになると心が平穏になるのです。それで彼は神父に、このことを説明できるかと尋ねました。すると神父は言いました。「それが君のお母さんが君のためにお祈りをしている時間だとしたら、私は驚かないよ」と。それで彼は家に手紙を書くと、実にその通りであったことが分かりました。お母さんが、彼のために毎晩10時ごろに祈っていたのです。
 祈りというものは、一見全く意味のないことのように見えます。神を信じない人は祈りません。しかし祈りというものもまた、祈りの子となってみて、実に神さまがその祈りを通して働かれるのであることを知ることができます。「知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される」。神の知恵に生きるものでありたいと願います。


(2012年11月18日)



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