礼拝説教 2012年11月4日

「イエスにつまずく」
 聖書 ルカによる福音書7章18〜23 (旧約 イザヤ書35:5〜6)

11 それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。
12 イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。
13 主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。
14 そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。
15 すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。
16 人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。
17 イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。




洗礼者ヨハネの問い

 病気を癒したり、目の見えない人の目を開けたりということをなさっていたイエスさまのところに、洗礼者ヨハネが弟子たちを遣わして尋ねたというのが今日の聖書に書かれていることです。
 なぜ洗礼者ヨハネが直接イエスさまのところに聞きに来ないで、弟子たちを遣わしたのかと言えば、この時ヨハネは捕らえられて牢屋の中にいたからです。なぜ牢屋に入れられたかというと、ガリラヤの領主であるヘロデ王のことを批判したからです。この時代、王様を批判したら、直ちに首をはねられてもおかしくない。なのに、王様のことを批判するとは、ものすごい勇気のいることです。それは、洗礼者ヨハネという人が、本当に預言者であったことを証明しています。預言者というのは、自分が聞いた神の言葉を告げる人であり、神さまが言えと言ったら、相手がたとえ王様であったとしても、はっきりと言わなければならないからです。
 さて、洗礼者ヨハネは、そのように弟子たちをイエスさまのところに遣わしました。そして尋ねさせました。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
 ここで言う「来たるべき方」というのは、キリストのことです。ヘブライ語で言えば、メシアのことです。つまり、洗礼者ヨハネは、イエスさまに対して「あなたがキリストですか?それとも違うのですか?」と尋ねたということになります。すなわち、洗礼者ヨハネは、イエスさまがキリスト、救い主であるかどうかよく分からなくなっているということです。

洗礼者ヨハネの躓き

 これは驚きです。なぜなら、洗礼者ヨハネこそ、イエスという方がキリストであると最初に言った人だからです。
 当時のユダヤでは、「メシア待望」というものがありました。神さまが、この世にメシアを送ってくださる、というのは旧約聖書の約束でした。そして当時は、ユダヤはローマ帝国によって占領され、支配されていました。ユダヤ人というのは、旧約聖書の民です。神さまによって選ばれた民です。それでものすごく誇り高い民族でした。その誇り高い民族であるユダヤ人が、異教徒であるローマ人によって占領され、支配されていたのです。税金も、二重に取られ、苦しんでいました。
 それで、神さまの約束であるメシア、救い主が来るのを待望していました。最初、人々は洗礼者ヨハネがメシアではないかと思いました。力ある預言者だったからです。しかしヨハネ自身は、このように答えました。ルカ福音書3章16です。‥‥「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」
 つまり、自分がメシアなのではない。私よりもあとに来られる、と。そしてイエスさまが来た時に、洗礼者ヨハネは言いました。 「『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」(ヨハネによる福音書1:30)
 そのように、洗礼者ヨハネという人は、イエスさまこそメシア、キリストであると言ったのです。イエスさまこそ、旧約聖書で神さまが約束して下さった救い主であると証言したのです。イエスさまこそメシアでありきリストであり救い主であると証言したはずの洗礼者ヨハネが、今、本当にあなたがキリストでしょうか?と尋ねたというのですから、これは何かの間違いではないか、と思ってしまいます。いったいどうしたことでしょうか?

期待と違う

 なぜヨハネは動揺したのでしょうか? 一度はイエスさまがキリストであることを信じ、証言しながら、今度は疑うようになったのでしょうか?
 それは、こういうことだと思います。すなわち、洗礼者ヨハネが想像していたキリストと、実際のイエスさまとが食い違っていたということです。ヨハネがキリストであると信じ、期待していたイエスさまの言動が、ヨハネの期待していたようではなかったのです。だからヨハネは、次第に疑問を持つようになった。弟子たちが、イエスさまがこんなことを言った、こんなことをしたと、獄中のヨハネに報告する。それを聞いたヨハネは、疑問を持つようになったのです。「本当にイエスはキリストであろうか?」と。それで弟子たちを遣わして、イエスさまに直接問いただしたのです。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」と。
 予想し、期待していたことと、実際が違っている。‥‥そのようなことは、この世の中ではよくあることです。例えば政治の世界などそうです。「今度の政党は、期待に応えてくれるだろう」と思って投票して、みごとに期待を裏切られる、ということは日常茶飯事です。「今度の総理大臣は、期待に応えてくれるはずだ」と言って、「今度こそ」「今度こそ」と言ってまた期待が外れる。それで総理大臣が次々と替わるというのが日本の政治です。
 分かりやすく言えば、洗礼者ヨハネも、はじめはイエスさまこそ、約束の救い主、キリスト、メシアであると確信した。イエスさまに神の聖霊が降るのを見たのです。だから確かにイエスさまこそキリストであると確信した。しかし、その後のイエスさまのなさっていることを見聞きして、それがヨハネの想像したキリストの姿と、食い違った。それで疑問を持ったと言えるでしょう。言ってみれば、イエスさまにつまずいたのです。

想像を超えてすばらしいイエス

 しかし私たちは、洗礼者ヨハネを責めるわけにはいきません。私たち自身も、またそのように信仰が揺らぎ安いのです。24節でイエスさまが、群衆に向かって「あなたがたは何を見に荒れ野に行ったのか。風にそよぐ葦か?」と言っておられますが、「葦」という草は、風が吹けばなびきます。揺らぎやすいものです。その葦のように、私たちの信仰も揺らぎやすいのです。
 私自身、今までなんどイエスさまに躓きかけたことでしょうか。自分の期待したイエスさまと、実際のイエスさまがなさったことが違うということによって、躓きかけました。
  私が神学校を卒業して、最初に任地が能登半島の輪島教会であることは、皆さんもよくご存知の通りです。そしてその教会が小さな群れであり、最初は、女性ばかり10人足らずの礼拝であったことも何度も申し上げましたので、ご承知の通りかと思います。しかし詳しく言えば、礼拝には来ることができないけれども、来る意志のある男性が1人いました。彼は80歳になる人でした。なぜ来ることができないかと言うと、足が弱っていて立ち上がることも難しく、ほとんど寝たきりの状態だったからです。
 彼は輪島の丘の上の市営住宅に、奥様とお嬢さんと3人で住んでいました。奥様もずいぶん昔に洗礼を受けた人でしたが、教会には長い間来たことがありませんでした。彼は教会に来たいけれども来ることができないので、私が毎月訪問いたしました。そして聖書を読み、祈りました。彼もお祈りをしました。すると、自分の足が再び立てるようになって教会に行かせて下さい、と祈るのです。そして教会のことも祈られました。ですから私もそのことを祈るようになりました。主が彼の足を強くして、ふたたびご自分の足で歩いて教会に来ることができるように。そのように2人で祈り続けました。
 ところが、私が着任してから3年目、彼は亡くなってしまったのです。葬儀は私がすることになりました。輪島では、地域の公民館や集会所を使って葬式をすることは普通ありません。みな、お寺でするのです。しかし彼は、昔その地域の世話役として、その集会所を作るために奔走したという功績があったので、特別に集会所を使ってキリスト教式の葬儀をすることが許されました。その地域、始まって以来のキリスト教の葬儀でした。講壇が無いので、私は、ビール瓶のケースの上に乗って葬儀を司りました。地域の集会所を使ってキリスト教式の葬儀をいたしました。私はその葬儀をしながらも、「自分の足で歩けるようになって、教会の礼拝に出たい」という彼の願いがかなえられなかったことが残念でなりませんでした。私は、イエスさまに対してガッカリしました。
 しかしそれで終わりではありませんでした。葬儀が終わってから、2〜3日して、奥様が牧師館を尋ねてきました。葬儀の御礼の挨拶に来られたのです。そしてその時、「これから教会に来させていただきますので、よろしくお願いいたします。」とおっしゃったのです。私はそれは、単なる挨拶かと思いました。なぜなら、世間の人はよく「今度教会に来させてもらいます」と言いますが、ほとんど来たためしはないからです。だから、奥様の言葉も単なるリップ・サービスかと思いました。
 ところが、その次の日曜日から奥様は教会の礼拝に来るようになったのです。しかも毎週休まずに。奥様も高齢者でした。ゆっくりした足取りで、30分もかけて丘の上から礼拝に来て、また戻って行かれる。私は心配して、「車で送り迎えしましょうか?」と言いました。すると彼女ははっきりと言いました。「いえ、私は自分の足で歩いて教会に通いたいのです」と。
 私はその時、ハッとさせられました。彼女は今、「自分の足で歩いて教会に通う」と言いました。そして彼女のご主人、亡くなったご主人と共に私が祈り続けてきたことは、「再び歩けるようになって、自分の足で教会に通うようになること」でした。一見、ご主人の祈りは、かなえられなかったように見える。しかし今その奥さんが、このようにして自分の足で歩いて教会に通うと言う‥‥!
 私は、彼のあの祈りは、このような形で確かにかなえられたのだ、と思いました。すると、彼自身は最後にその地域で始まって以来のキリスト教の葬儀という礼拝で天国に送られた。そして、今、彼の代わりに、奥様が自分の足で歩いて教会に通うようになった。‥‥これは、私の予想を超えてすばらしく、祈りがかなえられたのであると知りました。

イエスに従う

 洗礼者ヨハネは、イエスさまに躓きかけました。イエスさまは、自分の所に来たヨハネの弟子たちに対しておっしゃいました。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」
 イエスさまのなさることを最後まで見なさい、ということです。最後まで。イエスさまの弟子たちも、やがてイエスさまにつまずきました。イエスさまが十字架にかけられるために逮捕された時、弟子たちは皆イエスさまを見捨てて逃げて行きました。ペトロは3度もイエスさまのことを「知らない」と言いました。つまずいたんです。イエスさまが十字架にかかって、死んでしまわれて、つまずきました。しかしそのイエスさまが復活なさったのです。予想外のすばらしい出来事へと変えられたのです。本当の救いが表れることとなったのです。
 「私につまずかない人は幸いである」。最後までイエスさまに従って行くことができるように、祈りましょう。


(2012年11月4日)



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