礼拝説教 2012年8月19日

「敵を愛する」
 聖書 ルカによる福音書6章27〜30 (旧約 創世記34章25〜29)

27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
30 求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。





敵を愛せよ

 今日の聖書個所でイエスさまは、「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」(27節)とおっしゃっています。
 実に鮮烈な言葉です。この言葉をまじめに聞こうとする者の心を激しく揺さぶる言葉です。そしてこれは実に崇高な倫理道徳です。これ以上の倫理はないと思えるほどの高い倫理です。至高の倫理といってもよいでしょう。私たちはこのイエスさまの言葉に対して、反発しつつも、心のどこかで魂が揺さぶられるのではないでしょうか。
 私たちはイエスさまの言葉で、他に、「あなたの隣人を愛しなさい」という言葉を知っています。この言葉もまた私たちに迫るものがあります。隣人と言えば、私たちの身近な人たちです。しかしイエスさまの言葉をまじめに聞いて従っていこうとした時に、その身近な人たちのことさえ、愛することが難しいという現実を知ることになります。
 ましてやきょうの御言葉は、「敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい」というのです。さらに「愛」ということにおいて踏みこんでいるのです。「敵」というのは、戦争中で言えば敵国です。殺し合っている相手です。戦争ではないならば、私に不利益をもたらす人です。私の悪口を言う者であり、私の頬を打つ者であり、上着を奪い取る者です。ひどい目に遭わせる人です。そのような人を、いったいどうやって愛することができるというのでしょうか?
 ですから、私たちはイエスさまが「敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい」と言われた時、即座に「そんなことは無理です」と答えるほかはありません。しかし「敵を愛せよ」とイエスさまはおっしゃる。そう言われても、敵を愛することなど出来ない。したがって、私たちは、その言葉の前に完全に粉砕される思いがします。敵を愛することなど出来ない。だから敵なのだ、と言いたくなります。
 イエスさまは、「悪口を言う者に祝福を祈れ」とおっしゃる。そんなこと出来ますか?‥‥たとえ、イエスさまがそうおっしゃるからと言って形だけ出来たとしても、心の底からほんとうに自分に悪口を言う者を祝福できるかと言えば、できないのです。だとしたら、形だけできたなどということは、全く無意味です。自己満足でしかありません。それではファリサイ派と一緒です。神さまは私たちの心の中を見られるからです。
 「あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい」と言われます。しかし私たちは、私の頬を打たれたら、少なくとも10倍にして仕返しをしたいと思うのです。「上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない」とおっしゃいます。しかし私たちは、上着を奪い取られたら、取り返した挙げ句、仕返しとして数発お見舞いしたいと思う者です。それがありのままの人間のほんとうの姿ではないでしょうか? どうして敵を愛するなどということができるでしょうか? どうして敵を愛する必要なんかあるのでしょうか?

キリストが私のために十字架に

 今日の聖書をもう一度見ると、27節のはじめに「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく」とイエスさまがおっしゃっています。そしてまた、この「平地の説教」と呼ばれるイエスさまの一連の教えの冒頭、20節を見ると、イエスさまが弟子たちを見てこれらの教えを語りはじめられたことが分かります。すなわち、これはイエスさまの弟子たらんとする者、イエスさまを信じようとする者に向かっておっしゃっているのです。
 したがって、「敵を愛せよ」という言葉も、イエスさまを信じていこうとする者に対しておっしゃった言葉ということになります。ではなぜイエスさまを信じようとする者に対しておっしゃったかというと、それは、神の御子イエスさま御自身が、神の敵であった私たちを愛して下さったからです。すなわち、「敵を愛しなさい」とおっしゃるイエスさま御自身が、敵を愛されたからです。
 私はこのことを考える時に、やはり自分自身が救われた時のことを思い出すのです。私は1歳の時に牧師先生の祈りを通して神さまによって助けられながら、後に神さまを捨てました。ほんとうに捨てたのです。命の恩人である方に向かって唾をしたのです。神の敵となったのです。そんな私が再び死の淵に追い込まれた時、ほんとうならばそのまま死んで当然であり、救うべき値打ちは全くなかったのにもかかわらず、再び主は私を助け、そして救いへと導いて下さいました。
 使徒パウロを見てもそうです。キリストの迫害者であったパウロを、キリスト・イエスさまは救ってくださったのです。そのように、「敵を愛しなさい」とおっしゃったイエスさまは、紛れもなく敵を愛してくださったのです。そのしるしが十字架です。
 使徒パウロは述べています。(ローマ5:9-10)「それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」
 私たちは、私たちに命を与えて下さった神さまを信じず、従わず、背いて、神の敵であったにもかかわらず、キリスト・イエスさまは私たちを救うために十字架にかかり、血を流して下さったのです。そのイエスさまによって救われる。すなわち、神の敵、イエスさまの敵であった私たちを救うために、十字架にかかって、ご自分の命と引き替えに救ってくださった。これがキリストの愛、神の愛です。イエスさまは、敵である私たちを愛し、親切にして下さっているのです。

キリストの救いへ導く

 そうすると、イエスさまがおっしゃった「敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい」というお言葉は、何か私たちが、敵を愛することができたとかできないとか、そんなふうに自分を誇ったり、自己満足したり、あるいは勘違いしたりするためにおっしゃったのではないということがわかります。自分が敵を愛することができたとか、できないとか、そのこと自体が既に敵を愛しているのではなく、自分を見つめているからです。
 ここでイエスさまがおっしゃる「愛」とは、イエスさまが何のために十字架へおかかりになったか、ということを見れば見えてくるものです。イエスさまの愛とは、私たちを救う愛です。私たちが何か好き勝手に、思い通りのことをさせる愛ではありません。私たちを救って、神の国へ導かれる愛です。それが愛です。

マーガレット・コヴェル

 先週は終戦記念日がありました。日米開戦、つまり太平洋戦争が始まったのは、1945年12月8日の、日本によるハワイの真珠湾攻撃からです。その飛行戦隊を率いたのが真珠湾攻撃の総隊長:淵田美津雄という海軍中佐です。この人が「トラ・トラ・トラ」(われ奇襲に成功せり)を打電したことでも有名です。この人は、戦後クリスチャンとなり、キリストの伝道者となりました。その最初のきっかけとなったと思われることをご紹介します。
 終戦後、連合国による戦犯裁判が始まりました。淵田氏はそれについて、「これは人道などの美名を使ってはいるけれど、勝者の敗者に対する一方的な合法に名を借りた復讐でしかなかった」と思いました。それで逆に淵田氏は、連合国側もいかに非人道的な行為をしたかの証拠を集めるために、戦争中に敵側の捕虜となって、戦後帰還してくる人々から取材をすることにしたのです。アメリカから送還された旧日本軍捕虜が、浦賀に設けられた収容所にいったん入れられました。淵田さんはそこに出かけて行って、捕虜になった者から、連合国側の捕虜虐待調査を始めたのです。やはり中にはずいぶんひどい扱いを受けた日本兵たちもいたのでした。
 すると、アメリカのユタ州から帰還した兵士たちがある出来事を語りはじめたそうです。彼らは20人ばかりで、腕を落としたり足を切ったりの重傷者たちでした。そして、アメリカのユタ州のある町の捕虜病院に収容されました。そこで手当を受けながら義手義足も作ってもらったそうです。するとある日、1人の20歳前後の若きアメリカ人女性が現れ、日本人捕虜に懸命の奉仕をし出したそうです。それが、マーガレット・コヴェルという人でした。彼女は日本の捕虜たちに向かって、「皆さん、何か不自由なことがあったり、何か欲しいものがあったりしたら、私におっしやって下さい。私はなんでもかなえて上げたいと思っています」と言ったそうです。
 捕虜たちは、最初、何かの売名行為かと思っていた。ところがこのお嬢さんのすることが、純粋な奉仕でした。手足の不自由な捕虜たちに親もおよばぬ看護ぶりだったそうです。なにか捕虜たちの身辺に不足しているものを見つけたら、翌朝は買い整えて来るというサービスぶりであったそうです。そうして二週間、三週間と続いていくうちに、捕虜たちは心うたれて来たそうです。それで、「お嬢さん、どういうわけで、こんなに私たちを親切にして下さるのですか?」と聞いたそうです。
 彼女はしばらく黙っていたそうですが、やがて彼女は言いました。「私の両親があなたがたの日本軍隊によって殺されたからです。」 衝撃の事実でした。彼女マーガレット・コヴェルの両親はキリスト教の宣教師であり、日本の関東学院のチャプレンだったそうです。そして日米開戦前、引き揚げ勧告によってフィリピンのマニラに移ったそうです。しかし日本軍のマニラ占領によって、ルソン島の山中に隠れました。
 やがてアメリカ軍の反転攻勢が始まり、昭和20年1月、アメリカ軍はマニラに上陸し、そこを占領しました。それで日本軍はルソン島山中に追い込まれることとなりました。そこでゴヴェル宣教師夫妻の隠れ家が見つかった。日本兵は、コヴェル宣教師夫妻にスパイの嫌疑をかけ、日本刀で夫妻の首をはねて殺したそうです。
 このできごとは、アメリカで留守を守ってた娘マーガレットにも伝わりました。彼女は、両親を失った悲しみと、両親を処刑した日本兵に対する怒りでいっぱいになりました。しかし、アメリカ軍の報告書には、このとき目撃していた現地人の話が記されていました。‥‥彼女の両親は両手を縛られ、目隠しをされ、日本刀を振りかざす日本兵のもとで、2人は心を合わせて熱い祈りをささげていたということでした。
 マーガレットは、地上におけるこの最後の祈りで両親が何を祈ったかを思ってみました。すると彼女は、自分がこの両親の娘として、次分の在り方は、憎いと思う日本人に憎しみを返すことではなく、両親の志をついでキリストを伝える宣教に行くことだと思ったそうです。そして、自分の住んでいる町に日本兵の捕虜収容所の病院のあることを知りました‥‥捕らわれの身でありながら、傷つき、病んでいる。どんなにか、わびしい毎日であろう。‥‥マーガレットは、町の捕虜病院に飛んで来ました。そして事情を話したので、ソーシャルーワーカーという名義で働くことを許されました。それからというもの、心からのサービスで、捕虜たちが日本へ送還されるその日まで、約六ヶ月、病院に来るのを一日も欠かしたことがなかったというのです。
 ‥‥この話は淵田さんの心を激しく打ちました。「やっぱり憎しみに終止符を打たねばならぬ。」ということで、淵田さんは、畳を叩いてほこりを立てているような捕虜虐待の調査を即刻止めにしたのです。 (淵田美津雄、『真珠湾攻撃総隊長の回想・淵田美津雄自叙伝』、講談社より)

救いの器として

 「敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい」という言葉は、私たち神の敵であった者を救うために十字架にかかって命を捨ててくださったイエスさまがいて、初めて成り立つ言葉です。それは私たちを救いへと導くための愛です。そしてイエスさまは、私たちも隣人の救いを、そして敵の救いを祈り願う者であるように招いておられるのです。


(2012年8月19日)



[説教の見出しページに戻る]