礼拝説教 2012年5月20日

「信仰の愛」
 聖書 ルカによる福音書5章17〜26 (旧約 詩編103:1〜5)

17 ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。
18 すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。
19 しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。
20 イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。
21 ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」
22 イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。
23 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
24 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。
25 その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。
26 人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。





中風の人と仲間たち

 ある男たちが、イエスさまに癒していただこうとして、中風で寝たきりになっている人を床に乗せて運んできました。「中風」という言葉は昔はよく使ったものですが、だいたい脳溢血によって体の自由を奪われることを指しているようです。この人の場合は、特にひどい後遺症が残ってしまったのでしょう。二千年前のことですから、医療も発達しておらず薬もないし、どうすることもできません。この人はどんな気持ちで毎日を過ごしていたことでしょうか。良くなる見込みもない、寝たきりの毎日です。ただでさえ庶民はみな貧しい時代です。その日暮らしの人が多い時代です。自分が働くことができず、家族にも迷惑をかけている。治る見込みもない‥‥そういう心境を思うと、本当につらいことだったろうなあと思います。
 さらに、当時は病気は、神に対して罪を犯し、その罰であると信じられていました。したがって、この人は自分が神によって罰せられているのだと思っていたことでしょう。つまり自分は神によって裁きを受け、見放されていた者であるということが大きな心の痛みとなっていたと思われます。
 そういう重苦しい生活の中で、イエスさまのうわさが聞こえてきたことでしょう。この中風の人を寝床のまま運んできた人たちは、家族であったのか、友人であったのかは分かりませんが、とにかくこの寝たきりの人をイエスさまの所へ連れて行こうと思ったのです。そうして、イエスさまがおられると聞いた家まで運んできた。ところが、すでに家の中も、また外にまでイエスさまに会いに来た人々でいっぱいで、イエスさまに会わせることができない。
 そうした時に、中風の人を運んできた人たちはどうしたか。あきらめなかったのです。何と彼らは、その家の屋根に登りました。そして瓦を剥がして屋根に穴を開け、その中風の人を床ごとイエスさまの前につり降ろしたと書かれています。何という無茶なことをするのでしょう。屋根を剥がしている時に、家の中にいた人は何ごとかと思ったでしょう。屋根の素材である土やホコリが、イエスさまとその周りにぎっしりと集まっていた人々の上に、ぱらぱらと落ちてきたことでしょう。何ともはた迷惑な話です。

信仰とは

 ところがイエスさまは、「その人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』」と、目の前に降ろされてきた寝たきりの病人に向かっておっしゃった、と書かれています。この非常識な行動を非難されたのではなく、「その人たちの信仰を見て」と。いったい、屋根に穴を開けて中風の病人をつり降ろすという行為のどこが「信仰」なのでしょうか? 私たちは不思議に思います。私たちは「信仰」というと、もっと高尚なことではないかと思ったりしないでしょうか。「まだまだ自分は不勉強です」とか、「私は信仰が弱い者ですから」などという言葉をよく聞きます。何か信仰というと、信仰生活を続けていき、聖書を勉強していくうちにだんだん強まっていくかのように思う方もおられるようです。
 しかし今日の出来事はどうでしょう。イエスさまは、病人を運んできた人たちの信仰を見て、その病人に向かって罪の赦しを宣言されました。つまり救われたのです。
 この病人を運んできた人たちの信仰とは、いったい何でしょうか?‥‥何かこの人たちがよく勉強したのでしょうか? それとも修行をしたのでしょうか?‥‥そういうことは何も書いていません。この人たちのしたことと言えば、中風で寝たきりの病人を、何としてもイエスさまの前に連れて行きたいと言わんばかりに、あきらめずに、屋根に穴を開けて、無理を押してイエスさまの前に連れて行ったのです。イエスさまはそこに「その人たちの信仰」を見られたのです。
 ここに私たちは、信仰とはどういうことかを学ぶことができます。信仰とは、何年信仰生活をしてきたかということではない。また、難しい本を何冊も読んできた、ということでもない。信仰とは、とにかくイエスさまの所に行く、ということであると。病気を抱えたまま、問題を抱えたまま、どうすることもできない自分自身を抱えたまま、とにもかくにもイエス様の前に進み出ることである、イエスさまの所に行くということだということを学ぶのです。イエスさまの所に行けば、何とかしてくださる。救ってくださる。そしてイエスさまの所に行く。イエスさまはそれを信仰であると、みなしてくださるのです。

罪の赦し

 そしてイエスさまは、「人よ、あなたの罪は赦された」とおっしゃいました。これについて、「罪を赦すということより、病気を治してくれる方が良いのではないか?」と思わないでしょうか。罪を赦す、ということは何かつまらないことのように思います。しかしイエスさまは、この人の最も必要とされていることをおっしゃったのです。「自分がこのような体になったのも、自分の罪のゆえの神の罰ではないか」と彼は思っていたことでしょう。しかしその罪は赦された、とおっしゃったのです。
 そしてこのことこそ、イエスさまが何のためにお出でになったのかを示しています。すなわち、イエスさまは、私たち人間の罪を赦すために来られたということです。この人だけが罪人なのではない。私たちはみな罪人です。ですから神さまの祝福を受けることができなくなっている。それが聖書の記すところです。しかしイエスさまが、その罪を赦してくださる。そうして神さまとの交わりが回復される。まさにこの事のためにイエスさまは来られたということです。
 ところが、イエスさまが罪の赦しをこの人に宣言すると、ファリサイ派と律法学者の先生たちが思いました。「神を冒とくするこの男は何者だ。」ちなみに「この男」というのはイエスさまのことです。「ただ神の他に、いったい誰が罪を赦すことができるだろうか」と彼らは心の中でつぶやきました。たしかにこれは道理です。聖書で言う罪とは、神さまに対する罪ですから、その罪を赦すことのできるのは神さまだけのはずです。例えば、Aさんの持っている大切な花瓶を、誰かが壊してしまったとします。その壊してしまった人に向かって、私が「いいよ、いいよ」と言って赦すことができるはずがありません。赦すことのできるのは、その花瓶の所有者であるAさんだけです。それと同じように、神さまに対する罪を赦すことのできるのは、神さま御自身のはずです。だからファリサイ派の人たちや律法学者の先生たちが思ったのは、当然の疑問です。
 すると、イエスさまは、根拠も無くデタラメに罪の赦しを宣言したのか。それとも、本当に神なのか、あるいは神の代理なのか‥‥。そのような疑問が渦巻く中、イエスさまは疑問を晴らすかのように、その中風の病気だった人に向かって、「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と命じられました。すると彼は直ちに癒されて立ち上がり、神を賛美しながら家に帰っていきました。そのような素晴らしいことが起こりました。
 こうして、イエスさまの宣言する罪の赦しは本当のことであることが証明されたのです。この中風で寝たきりで合った人は、本当に救われたのです。

とりなしの祈り

 中風で寝たきりであった人を床に乗せたまま、イエスさまの前に連れて行った人々。それは愛のわざです。そうして素晴らしいイエスさまのなさる奇跡を共に喜ぶことができました。
 さて、私たちも、この中風の人を運んでいった人たちになることができます。それが「とりなしの祈り」です。私たちの隣人の救いのために祈る祈りです。「とりなしの祈り」は、クリスチャンの祈りの特徴です。私たちは自分のことばかりではなく、隣人の救い、世界の民の救いのためにも祈ります。そしてそれはつまり、隣人の救いのために、私たちの貴重な時間を割くことです。すなわち、とりなしの祈りは、愛がなければ祈ることができません。私たちは、今日の聖書で、中風の人を寝床に乗せてイエスさまの所まで運んでいったように、とりなしの祈りをすることによって、その祈りに覚えている人を、イエスさまの所に連れていくことができるのです。
 19世紀のイギリスで、神さまに依り頼むことによって孤児院を建てたジョージ・ミュラーは、祈りの人でした。以下は、ミュラーの「祈りの力」という本からの紹介です。ジョージ・ミュラーによれば、自分が祈りをささげたその日に答えが与えられた経験が、少なくとも3万回はあったということです。しかしすべての祈りがすぐに応えられたわけではありませんでした。時には数週間、あるいは数ヶ月、もしくは数年の間、応えを待ち続けました。
 1866年の最初の6週間の間に、長年とりなして祈ってきた6人の人が救われたそうです。‥‥その中の1人のためには、2年から3年もの間祈り続けたそうです。また別の1人のためには、3〜4年祈り続けたそうです。もう1人のためには7年間とりなしの祈りを続けたそうです。4番目の方のためには10年の間祈り続けたそうです。5番目の方のためには、約15年間祈り続けたそうです。そして6番目の方のためには20年以上も祈り続けなければならなかったそうです。その祈ってきた6人の人たちが、1866年の最初の6週間のうちに次々とイエスさまを信じて救われたのです。
 また別の祈りでは、1844年の11月に、ミュラーは、まだ救われていない5人の人々のために祈り始めました。健康である時も、病の床に伏している時も、旅をしている時も祈り続けたそうです。どんなに説教の依頼が山積した時も、この祈りを忘れたことは一日もなかったそうです。
 この5人のうち、最初の人が救われるまでに18カ月の時が過ぎたそうです。ミュラーは神に感謝し、さらに残る4人のために祈り続けました。それから5年の歳月が過ぎた時、ついに2番目の人が主イエスに立ち帰ってきました。そしてこのことを神に感謝し、さらに残る3人のために祈り続けました。3人目が救われるために、さらに6年の歳月が過ぎました。そして3人目の人が救われたそうです。この3人目のためにミュラーは神を賛美し、さらに残る2人が救われるために祈り続けました。そしてミュラーがこの本を書いた時点では、祈り始めてから36年が経っていましたが、まだ2人は救われていませんでした。しかしミュラーは、こう書いています。「しかしそれでもなお私は神に望みを置いて祈り続けているのです。」
 さて、この本を書いた後、残る2人の内の1人は、ミュラーの死の直前に救われたそうです。そして最後の1人が救われたのは、ミュラーの死後のことだったそうです。‥‥こうしてミュラーが祈り始めた5人の人は、すべてキリストを信じて救われたのです。
 私たちも、中風の人を運んでイエスさまの所に連れていった人たちのようになることできるのです。とりなしの祈りを祈り続けることによってです。何としてもイエスさまの所に連れていきたい。そうして彼らは、屋根に穴を開けてまで、イエスさまの所に連れていきました。そうして中風の人は癒されました。その人にとって、どんなに大きな喜びだったことでしょうか。信じられないような気持ちで、神さまに感謝と賛美を献げたのです。
 同時に、中風の人を運んできた人たちも、同じように大きな喜びに満たされたことでしょう。イエスさまのなせるわざを目撃することができたからです。このように、とりなしの祈りは、祈る本人もイエスさまのわざを体験し、そして大きな、他のなにごとにも変えがたい喜びに満たされることができるのです。


(2012年5月20日)



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