礼拝説教 2012年5月13日

「キリストの手」
 聖書 ルカによる福音書5章12〜16 (旧約 レビ記13:45〜46)

12 イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。
13 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。
14 イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」
15 しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。
16 だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。





「重い皮膚病」

 イエスさまの所に「全身重い皮膚病にかかった人」が来てひれ伏してお願いしたと書かれています。ただちょっと「おや?」と思われた方もおられると思います。というのは、この「重い皮膚病」という言葉が、いま司会者が読んだ講壇の聖書のように「らい病」となっている聖書をお持ちの方もおられるからです。実は同じ新共同訳聖書でも、初めの頃に出版されたものは「らい病」となっており、後になって印刷されたものは「重い皮膚病」となっているのです。
 どうして同じ聖書なのに言葉が違うのか、ということからお話ししなければなりません。「らい病」という病気が、長い間非常に差別をされた病気であることは、とくに年配の方は皆さんよくご存知であると思います。この病気にかかった人は、法律によって療養所に隔離されて生活しなければならなかったばかりか、病気に対する偏見のために、親兄弟や親戚から絶縁されて生きなければなりませんでした。「らい病」という名前が、そのように患者さんに対して非常につらく苦しい人生をしいた過去があるので、「らい病」という名称は次第に使われなくなり、「ハンセン病」という呼び方で呼ばれるようになりました。
 しかしそれならなぜ聖書で「らい病」に換えて「ハンセン病」という呼称にしなかったのかというと、どうもハンセン病とは言えないものまで含まれていると思われるからです。それで現在は、新共同訳聖書では「重い皮膚病」と訳されています。しかし「重い皮膚病」という言い方も問題がないかと言えばそうではなく、現代では「重い皮膚病」というと、まずほとんどの人が「アトピー性皮膚炎」のことを思い浮かべるでしょうから、そうするとこれもまた聖書の意味するところとは違うことになってしまいます。したがってきょうは、この「重い皮膚病」というところを、新約聖書の原文のギリシャ語のとおり「レプラ」と呼ばせていただくこととします。

ハンセン病

 さて、その全身レプラにかかった人が、イエスさまの前にひれ伏して、「主よ、御心ならば私を清くすることがおできになります」と願い求めました。そしてイエスさまがその人に手を触れて、癒されたという出来事です。これだけならば、「ああ、またイエスさまが病気の人を癒された。良かったですね」‥‥ということで終わるのですが、それだけではこの出来事のすばらしさが十分には伝わってこないこととなります。それは、ただ今も申し上げたように、この人がレプラにかかっていた人であったということです。なぜそれが他の病気と違うこととなるのかというと、日本でもそうであったように、聖書の時代も特別に忌み嫌われた病気であったからです。
 どうしてそんなに忌み嫌われたかというと、やはりそれは見た目にあるだろうと思います。レプラがらい病であるとすると、それが発病すると、手や足の先とか、耳や鼻とかそういう体の中の体温の低い末端の部分から冒されてきて、変形したり失われていきます。そういうことが見た目に悪く見えるので、気味悪がられ、恐ろしがられたのです。
 なぜ「ハンセン病」と呼ばれるかというと、1873年にノルウェー人の医師ハンセンが、この病気の原因である「らい菌」を発見したからです。らい菌は極めて感染力が弱く、体の弱った人や栄養状態が悪い人にしか発病しません。また、1943年(昭和18年)に特効薬のプロミンが発見された結果、ハンセン病は治る病気となりました。そして現在は、日本ではほとんど新しい患者は発生していません。
 しかし二千年前においては恐ろしがられた伝染病であり、その見た目のゆえにひどく忌み嫌われました。旧約聖書のレビ記13章45〜46を合わせて読んでいただきましたが、そちらを読むとこの病気にかかった人は、他の人に近づく時に、自ら「わたしは汚れた者です。汚れた者です」と言わなくてはなりませんでした。そして町の中に住むことは許されず、レプラにかかった人同士で町の外に住まなくてはならなかったのです。
 今から10年ほど前、私は東京の郊外にあるハンセン病の国立療養所の一つである多磨全生園を訪れました。広い敷地の中に木が植えられ、その中に平屋建ての元患者さんたちが静かに暮らしておられました。「元患者」さんというのは、もう治っているからです。治っているのにもかかわらず、なぜ療養所に住んでおられるかというと、帰る家もないからです。昔「らい予防法」という法律が明治時代にできて、強制的に療養所に隔離され、家族から断絶されて生きなければならなかった。それで治っても、家に帰るといろいろ迷惑がられるから帰ることもできなかったのです。それで病気の後遺症に苦しみながら、高齢者となった元患者さんたちだけが静かに暮らしておられました。それは、かつてのこの病気の人たちに対する差別と偏見がどれほどひどいものであったかを物語っています。
 ハンセン病は決して致死率は高くない。むしろ、昔で言えば結核のほうがはるかに感染力が高く、しかも致死率が高かった。しかし先ほど言ったように、見た目によって、そのように扱われたのです。

キリストの手

 さて、旧約聖書の決まりによれば、レビ記にあるようにこの病気にかかった人は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、自分から「私は汚れた者です」と言わなければならなかった。この人もそのように言ったのでしょう。そして「主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります」とイエスさまに頼みました。ここで「私を清くする」と言っています。病気を「治す」、あるいは「癒す」と言わず、「清くする」と言っている。これはいったいなぜでしょうか?
 それは旧約聖書のレビ記の規定にあるように、このレプラに限っては、癒すとは言わずに「清くする」と言われたからです。つまり、汚れた病であるから、癒された時は「清くされた」というのです。ほとんど人間扱いされていません。
 ずいぶん解説が長くなってしまいました。しかしこのようにお話ししたのは、この人がイエスさまの前にひれ伏した時、そこにはただ病気であると言うだけではない、今簡単に申し上げたように、この人が負ってきた非常な差別と偏見、そして家族からも引き離されて生きてきたという苦しみ、人に近づく時は自分から「わたしは汚れた者です」と言わなくてはならなかったつらさ。そして人々が恐怖の顔つきになって、自分から遠ざかっていく‥‥そういう苦しみを、私ももちろん十分理解することはできませんが、少しでも考えたかったからです。この人は、そのような苦しみ、悲しみを背負って、今、イエスさまの前にひれ伏して懇願しているのです。
 さて、イエスさまはどうされたか。13節をもう一度ご覧ください。「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去った」。この順序に注目していただきたいのです。「よろしい、清くなれ」とおっしゃって、レプラが癒されてから、この人に手を触れられたのではありません。癒される前に手を伸ばしてこの人に触れられ、それから癒された‥‥。そう書かれています。
 いかがですか? 先ほど述べたように、このレプラ、あるいはハンセン病という病気の人は、自ら「わたしは汚れた者です」と宣言して、誰も近づくことがないようにしなければなりませんでした。だから誰も近づかないし、ましてや触れることはない。遠ざかっていくのです。ところがイエスさまは、そのような病気になっているこの人に対し、まず手を伸ばして触れられました。これには周りで見ている人は本当に驚いたことでしょう。誰も触れることのないこの人に、イエスさまは触れました。この人自身、どんなに驚いたことでしょう。それから、「よろしい。清くなれ」と宣言されたのです。そうしてレプラは去っていきました。癒されました。
 ここにイエスさまが、どういう方であるかを知ることができます。聖書にはイエスさまが病気の人を癒されたという出来事がたくさん出て来ますが、それはなにか機械的に癒されておられるのではない。一人一人を見ておられるのです。ひとりひとり、この人には何が必要か、この人にはどう接したらよいのか‥‥イエスさまはよく見ておられる。すなわち、イエスさまは愛をもって接しておられるということです。誰も触れることなどない、それどころかみんな逃げていく、気味悪がって遠ざかっていく‥‥。その人に対して、まずお癒しになる前に、この人に手で触れ、そしてお癒しになった。これは愛の順序です。それがイエスさまという方です。

近づきたもうキリスト

 すばらしいですね。しかしこの出来事を読んで、「よかったですね。めでたし、めでたし」で終わってしまってはなりません。それでは他人事で終わりです。この人はレビ記に書かれているように、旧約聖書の掟で「汚れた者」とされ、町の外に住まなければなりませんでした。レプラという病気のゆえに汚れた者とされたのです。
 さて、私たちはどうなのか? 私たちは汚れた者ではないのでしょうか?‥‥レプラだったこの人は、外見から判断して「汚れた者」と呼ばれました。私たちは見かけはそうではないかもしれない。いや、聖書から言えば、外見などどうでも良いのです。私たちの内側、心はどうなのか。聖書が、私たちが罪人であると言う時、それは私たちが汚れた者であるということです。
 もう亡くなった作家の三浦綾子さんの本に『道ありき』という自伝があります。三浦綾子さんは、若き日にカリエスという結核菌が脊椎に入り込んで生じる病気で、長い療養生活を送りました。その病気の原因が分かった時のことを次のように書いています。
 「病室に帰ってからわたしは思った。(自分の背骨が結核菌にむしばまれているというのに、レントゲンにハッキリ写し出されなかったばかりに、こんなに足がフラフラになるまでわからなかった。このままもしわからずにいたとしたら、わたしの骨は全く腐ってしまって、死ぬよりほかになかったのではないだろうか)そしてまた思った。魂の問題にしても、同じことが言えるのではないだろうかと。罪の意識がないばかりに、わたしは自分の心が蝕まれていることにも気がつかないのではないだろうか。腐れきっていることに気がつかないのではないだろうか。つくづく恐ろしいとわたしは思った。」(三浦綾子、『道ありき』、新潮文庫、1980、p.176)
 私も、イエスさまを信じるようになる前は、自分が罪人であるなどとは思いもしませんでした。悪いことをしても、自分の都合の良い理屈を付けて正当化していました。悪いのは他の人であって、自分は悪くはないと思っていました。また、今から思えば全くお笑い以外の何ものでもないのですが、ものすごい自信家でした。
 しかし、イエスさまを信じるようになって、だんだん自分が正しいと思って正当化していたことが誤りであり、また自分という人間が、罪人であることが分かってきました。そして主イエスさまを知れば知るほど、自分という人間がいかにひどい罪人であり、汚れているかということが分かってきました。全く救いようのない人間であることが分かっていったのです。全く高慢で、どうしようもなく罪に汚れた人間であるのが自分でした。
 しかし同時に、こんな私を救うために十字架にかかってくださったイエスさまが、どんなに尊い方であるかということを知りました。きょうの聖書でイエスさまが、このレプラの人にまず触れてから、それから癒されたように、イエスさまは私が全く罪人であることすら知らない時に、そんな私にまず近づいてくださり、触れてくださった。救われるに値しない私のために十字架にかかってくださった。そのイエスさまが、まず私を救ってくださった。‥‥そのことを思うのです。
 イエスさまは、私たちがどんなひどい罪人であっても、まず近づいて下さる方です。そして触れて下さるお方です。こんな私でも救ってくださるのです。


(2012年5月13日)



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