礼拝説教 2012年2月5日

「少年イエス」
 聖書 ルカによる福音書2章41〜52 (旧約 詩編105:5〜9)

41 さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。
42 イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
43 祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。
44 イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、
45 見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。
46 三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
47 聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
48 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
49 すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
50 しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。
51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。





 先週、聖徒教会で開かれた若手の牧師の研修会があり、もう若くない私も出席させていただきました。その時に、東北教区の被災者支援センターで奉仕をしている牧師の報告を聞くことができました。ちなみに、仙台と石巻に教区の支援センターがあり、おもに津波の被災者からの依頼で、住宅の泥のかき出しや片付けをおこなっています。まだまだ需要は多いそうです。
 さて、その被災者支援センターで奉仕をしている牧師は、全国から集まるボランティアと一緒に作業をしています。ボランティアはクリスチャンばかりではありません。しかしそこは教会のセンターですので、しばしばお祈りをします。そして彼がお祈りをした時、ボランティアの人から、「教会ではいつも感謝をするんですね」と言われたそうです。それでその牧師は、「祈りの中で、神に感謝を数える生き方をするのが教会なんだ」と気づかされたと言っていました。
 私はそれを聞いていて、私も気づかされました。自分自身、神さまに感謝をすることが少ないことをいつも反省しているのですが、しかしそれでもたしかに、少なくとも食前の祈りでは食事を与えて下さったことに神さまに感謝をしますし、一日の終わりには、今日のお守りに感謝をします。もし自分が、キリストを信じていなかったとしたら、そのように感謝することもなかっただろうと思います。もし自分がイエスさまを信じていなかったとしたら、感謝を数えて毎日を生きるどころか、反対に、他人に対する不平不満、文句ばかりを言って生きていたことだろうと思います。そう思うと感謝です。

少年イエス

 さて、本日の聖書個所は、イエスさまが12歳の時の出来事が書かれています。この個所は、たいへん貴重な個所です。というのは、イエスさまの少年時代の記録は、他にどこにも書かれていないからです。4つの福音書のいずれにも書かれていない。マルコによる福音書とヨハネによる福音書は、イエスさまが成人した場面から始まります。マタイによる福音書とルカによる福音書の2つが、イエスさまの誕生の出来事から始まっています。しかしマタイによる福音書は、幼子のイエスさまがマリアとヨセフの夫婦と共にナザレの町に帰った後は、次はもう成人しています。したがって、ルカによる福音書だけが、しかもこの一個所だけ、少年の時のイエスさまの出来事が書かれているのです。そういうたいへん貴重な記録です。
 ちなみに、クリスマスの時に教会から皆さんにお配りした今年の聖画カレンダーの絵は、2人の幼い子供が描かれていましたが、あれはイエスさまと洗礼者ヨハネなのです。子供のころ、イエスさまとヨハネが一緒に遊んでいる。もちろんあの場面は聖書にはありません。想像上の絵です。
 しかし、どうしてイエスさまの少年時代、そして青年時代のことが福音書には他にどこにも書かれていないのでしょうか? イエスさまがおよそ30歳の時に洗礼者ヨハネから洗礼を受けてからのことがほとんどです。それまでのことは、なぜほとんど書かれていないのか? 書いてないと、ますます知りたい気分になります。
 しかし書いていない。書いていないということは、特に書くべきことはなかったということでしょう。神さまの教えを宣べ伝えたわけでもなく、病気の人を癒したりと言った奇跡をなさったわけでもない。‥‥普通の人と同じように過ごされたということでしょう。普通の人と同じように過ごされたということは、私たちの子供時代と同じように過ごされたということになります。ですから、あのカレンダーのような絵も十分可能性があるということになります。他の子どもたちが遊ぶように遊び、また学ばれたのであろうと思います。

イエスを捜す両親

 さて、そのたった一個所だけ記されているイエスさまの少年時代の出来事ですが、話しはイエスさまが12歳の時に、両親と共に過越祭のためにエルサレムの都へ旅をした時のことです。「過越祭」というのは、ユダヤ人の三大祭のうちの1つで最大のお祭りです。昔イスラエルの民が、エジプトで奴隷とされていた。そして神さまはモーセを指導者としてお立てになり、イスラエルをエジプトから導き出されました。それを記念するのが過越祭です。あとの2つは、「七週の祭り」(ペンテコステ)と「仮庵の祭り」です。これらの祭りの時には、多くの人がエルサレムの神殿に、礼拝に行きました。とくに過越祭の時には、多くの人がエルサレムの神殿に礼拝に行きました。そして12歳のイエスさまも家族と一緒に、そして近所の人々、親戚の人たちと一緒に、イスラエル北部のナザレの村から、南のエルサレムへと行きました。そして過越祭を守りました。そして再びナザレへと帰っていく。その時の出来事が今日の聖書個所です。
 少年のイエスさまはエルサレムにとどまっていた。ところが両親は、それと気がつかずに1日分の道のりを行ってしまったというのです。皆さんは、「ずいぶんのんきな話しだな」と思われるでしょう。イエスさまのご両親は、「イエスが道連れの中にいるものと思い」と書かれています。先ほど申し上げたように、イエスさまは家族だけでエルサレムに行ったのではありません。近所の人たち、親戚の人たちと一緒に行きました。また、当時は、男性のグループ、女性のグループと別れて集団で旅をしたとも言われています。
 ですから、おそらくお母様のマリアは、イエスさまが夫のヨセフたちと行動を共にしているものと思ったことでしょう。またお父様のヨセフはヨセフで、イエスさまは妻のマリアたちと共に歩いているのだと思ったことでしょう。そして日没となって、野営するために皆が一緒になる。その時になって、両親は、イエスさまがいないことに気がついたのです。
 マリアとヨセフは、どんなに驚いたことでしょうか。我が子がいないことに気がついたのですから。あわてたでしょう。親戚や知人の間を探し回ったけれども、見つからなかったと書かれています。それでエルサレムの方へ戻りながら捜し続けました。おそらく他にもおおぜいの人々が、過越の祭りを終えて夜は野営し、昼は歩いていたことでしょう。そのような中を捜し回ったのです。46節を見ると、「三日の後」と書かれています。一日分行ってしまって、気がついて、足かけ三日間捜しながらエルサレムに戻っていったのですから、戻る時は丁寧に丁寧にイエスさまを捜しながら戻ったことが分かります。
 ご両親は、生きた心地もしなかったのではないでしょうか。我が子がいなくなってしまったのですから。「誘拐されたのだろうか?」「事件に巻き込まれたのだろうか?」「あるいは、事故にあったのだろうか?」‥‥さまざまな思いが錯綜したに違いありません。

神の子イエス

 そうして捜しながら、ついにエルサレムまで戻ってしまった。両親はもう絶望的だったに違いありません。そうしてエルサレムの神殿に入っていきました。過越祭の時、喜びと興奮で礼拝した神殿に、今や絶望的な思いで入っていったのです。すると、何とそこにイエスさまがいました。神殿の境内で、聖書学者の話しを聞いたり質問したりしていたのです。
 両親は喜びというよりも、我が子が親に断りもせず勝手な行動をとったことに対する怒りがこみ上げてきました。マリアがイエスさまに言った言葉にそれがよく表れています。48節です。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」‥‥言葉は丁寧に日本語に訳されていますが、子供を叱りつける時の母親の言葉を容易に連想することができます。
 するとイエスさまは、「お母さん、ごめんなさい」と謝ったかと思ったら、そうではありません。このように答えておられるのです。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
 実に不思議な言葉であります。ここで少年イエスさまがおっしゃっておられる「自分の父の家」の「父」とは、ヨセフのことではありません。神さまのことです。すなわちイエスさまは、神さまを父と呼び、そこにいるに決まっているとお答えになったのです。両親にはイエスさまの言葉の意味が分からなかった、と書かれています。
 しかしここでイエスさまが、神さまのことを「自分の父」と読んでおられる言葉は、本当のことであるということを思い出さなくてはなりません。イエスさまはマリアの子であるが、同時に神の御子であるということを。クリスマスの出来事を思い出します。最初、乙女マリアのところに天使ガブリエルが現れ、イエスさまの受胎を告げました。その時天使はマリアに、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ1:35)と告げたことを思い出します。
 イエスさまは、人の子にして神の子として聖霊によってお生まれになりました。これは人間の知恵を越えた、不思議なことです。そしてこの神秘的なことの意味を私たちは聖書を通して学んでいくのです。
 そして今日の個所では、イエスさまのこの言葉によって、イエスさまが神の子であるということを強く印象づけられます。あの受胎告知の時、そしてベツレヘムの馬小屋での降誕の夜の不思議な出来事、羊飼いたちの訪問、東方の博士たちの訪問、お宮参りの時のシメオンの祝福、女預言者アンナの出来事‥‥イエスさまが幼子であった時のそれらの出来事が、マリアとヨセフにとっては、毎日の生活の中で過去の出来事として押しやられ、いつの間にか、全く普通の家庭になっていったのではないでしょうか。
 しかし今日のイエスさまの言葉によって、あらためてイエスさまが神の子であるということを思い起こさせたに違いありません。

神の家におられるイエス

 49節の「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」‥‥というのは、イエスさまが母マリアに対して答えられた言葉です。しかし私たちは、この言葉を心に留めなければなりません。
 私たちも、イエスさまが私たちのそばを離れて、どこかに行ってしまわれたように思えて、不安の中に置かれることがあります。この世の思い煩い、不安に捕らわれてしまって、イエスさまが私たちを見捨てて、どこかに行ってしまわれたように思えることがあります。そのような時私たちは、平安を失ってしまいます。
 しかし、そのような時にイエスさまは、私たちに同じように言われないでしょうか。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」と。‥‥イエスさまは神さまの所におられる。当たり前におられる。必ずおられる、と。「どうして私を捜すのか?私は父なる神の所にいる」と。
 前任地の教会で、ある時、見かけぬ男性が教会の玄関から入ってきました。私が出ていくと、「礼拝堂はどこですか?」と尋ねました。私が、「2階です」と言うと、「上がっても良いですか?」と尋ねます。それで「いいですよ」と答えますと、彼はスリッパに履き替えて礼拝堂に上がっていきました。私は牧師室に戻って仕事をしていました。
 ところがしばらく立っても彼は降りてきません。私は、「何をしているのだろうか?まさか泥棒ではないだろうな?」‥‥などと思って、そっと階段を上がって礼拝堂の扉の前に行きました。するとその男性は、礼拝堂の聖壇の前の床にひざまずいて祈っているではありませんか。ひざまずいて祈り、またひれ伏して、神さまに嘆願するようにして祈っていました。私はそれを見て胸を打たれました。それは心から神に寄りすがって真剣に祈る姿でした。私は不審に思ったことを恥じ、そっとまた降りて行きました。しばらくするとその人が降りてきて、帰って行きました。あとで礼拝堂に行ってみると献金が置いてありました。私は、他にもそのような光景を時々見ました。教会員にも、時々礼拝堂に来て、1人祈る姿を見てきました。それは、神さまと一対一になって祈る尊い光景でした。 
「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」、とイエスさまは言われます。
 もちろん、教会堂だけが神の家なのではありません。私たちが心からへりくだって、神さまに祈り始めるならば、そこも神の家です。真剣に神さまに呼びかけるならば、我が家も神の家となり、青空の下でも神の家となるのです。そしてそこにイエスさまは当然、おられるのです。その祈りの中で、私たちはイエスさまとお会いすることができるのです。感謝です。


(2012年2月5日)



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