礼拝説教 2012年1月22日

「祈りの成果」
 聖書 ルカによる福音書2章36〜40 (旧約 申命記4:29)

36 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、
37 夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、
38 そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
39 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。
40 幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。





アンナ

 イエスさまがお生まれになったあと、旧約聖書の律法のおきてに従って清めの期間を過ごし、マリアとヨセフはイエスさまを抱いてエルサレムの神殿に、お宮参りに行きました。その時、赤ちゃんのイエスさまがキリストであることを知った人が2人やってきました。1人はシメオンという男性で、先週学びました。そして今日登場するのが、アンナという女性です。この2人が、マリアとヨセフという貧しい若い夫婦の赤ちゃんがキリストであることを知ったのです。
 なぜシメオンとアンナの2人は、この赤ちゃんが救い主でありキリストであることを知ったのか。馬車か何かに乗ってきて、きらびやかな衣装を身につけた両親が家来たちを従えてお宮参りにやってきたのならまだしも、神様の前に羊ではなく鳩しか献げることができなかった貧しい若夫婦が抱いている赤ちゃんです。どうしてこの赤ちゃんがキリストであると分かったのか? シメオンは、聖霊によって知ったことを前回学びました。そして本日登場するアンナもまた、そうです。  本日のアンナの個所は短い個所です。しかし非常に印象的な個所です。どうして聖書は、シメオンとアンナが赤ちゃんのイエスさまに出会ったということを、まとめて書かなかったのか。あるいは、アンナの個所はたいへん短いのですから、省略しなかったのか。‥‥ルカは、どうしてもこのアンナと幼子イエスさまとの出会いを省略しなかった。そこに聖書のメッセージがあるのだと思います。

預言者

 聖書はアンナのことを「女預言者」と書いています。女性の預言者は、旧約聖書では少ないです。モーセの姉のミリアムとか、司式に出てくるデボラとかがいますが、男性の預言者に比べると旧約では少ない。
 預言者とは何か。聖書は初心者であるという方のために申し上げておきますと、旧約聖書の時代、神様は預言者を通してみことばを語られたのです。例えば、旧約聖書の最大の預言者といえばモーセでしょう。モーセは、神のおきてである律法を記しました。それはモーセが勝手なことを書いたのではありません。神様が語られたことをそのまま記したのです。その他にも、旧約聖書にはエリヤとかイザヤとか、多くの預言者が登場し、神様のみことばを神様から聞いて、神様の御心を人々に伝えました。それが預言者です。
 そのように、聖書のない時代、神様はおもに預言者を通して語られました。預言者は聖霊を与えられて預言を語りました。旧約聖書では、誰にでも聖霊が与えられたのではなく、特定の人だけに聖霊を注がれました。それが預言者です。ですから預言者は、聖霊を与えられて神様の御言葉を聞き、人々にそれを取り次いだのです。アンナはそのひとりでした。そしてアンナは、若い時に夫に死に別れて84歳になっていたと書かれています。「非常に年をとっていて」と書かれています。今日では84歳ぐらいでは「非常に年をとっていて」とは言わないでしょう。しかし当時はそこまで長生きする人は珍しかった。
 しかし彼女は、そんなに年をとっていたのですが、趣味で余生を楽しんでいたというのではない。エルサレムの神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた‥‥と書かれています。年をとって、もうすることがなくなった、というのではありませんでした。断食して祈り、夜も昼も神様に仕えていたというのです。彼女は若い時に夫に死に別れてから、ずっと結婚しないまま、やもめとして過ごしてきました。では生活はどうしていたのか? 当時、やもめと言えば、貧しい人の代名詞でした。女性ひとりで生活するにはたいへんな苦労があった時代です。彼女はどうやって生活できたのか?
 そこで彼女が預言者であったということにヒントがあるように思います。旧約の時代、預言者を支える人がいました。例えば、列王記下4章に、シュネムの町の裕福な婦人が、預言者エリシャのために食事と休みの場所を提供したということが書かれていますが、そのような形で、預言者を支える人がいたようです。アンナの場合も、生きて行くことができるように、神さまがそういうサポートをする人を与えていて下さったのではないかと思います。

祈りと断食

 さてそのアンナが何をしていたかというと、(27節)「断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていた」と書かれています。
 ここに「断食したり祈ったり」と書かれていますが、これは適当な翻訳ではないと思います。「断食したり祈ったり」というと、断食することと祈ることが分離しているような印象を受けるからです。聖書の「断食」というのは、何も美容と健康のためにダイエットするために断食するわけではありません。断食は、神様に祈ることに集中するために断食をするのです。だから断食も、祈りの一部なのです。だからここは、「断食したり祈ったり」と日本語に訳すのではなく、「断食して祈り」と訳すべきでしょう。そしてこの場合の断食とは、ずっといつまでも食べない、ということではありません。ふだんは祈り、時には断食して祈り、ということです。ですから正確に言えば、「断食を交えながら祈っていた」ということです。しかも「夜も昼も」と。
 さて、そうすると中には、「何をそんなに熱心に祈ることがあるのか?」と疑問に思う方もおられることでしょう。とくに祈りと言えば、「食前の祈り」ぐらいしかしないという方には、そのように思えることでしょう。かく言う私もそうでした。クリスチャンになった若いころ、私は祈りと言えば、ほとんど食前の祈りと眠る前の祈りぐらいしかしませんでした。

祈り

 さて、ここで「祈り」と日本語に翻訳されている言葉は、ギリシャ語の「デエーシス」という言葉です。これは祈りは祈りでも、何か漠然と祈るということではありません。必要とするものを求める祈るのことです。必要に迫られて、具体的に祈るということです。例えばこの言葉は、今まで出てきた所では、ルカ福音書の1:13の所です。長い間夫婦に子供が生まれなかったザカリヤの所に、天使が現れて言いました。「天使は言った。『恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。』」‥‥この「あなたの願い」の「願い」が、教アンナの所で使われている「祈り」という言葉です。ザカリヤは、長い間、自分たちに子どもを授けて下さいと神様に祈り願ってきた。そのように、具体的に神様の助けを求めて祈ることが、今日の聖書の個所で言うアンナの祈りです。
 またフィリピの信徒への手紙4:6にも、同じ「祈り」という言葉が使われています。‥‥「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」
 ここでは、あれこれと思い煩うのをやめなさいと命じられています。思い煩うのではなくて、解決してくださる神さまに感謝をしつつ、思いを神様に打ち明けて祈りなさい、と勧められています。私たちが思い煩うのは、「この問題はどうしよう。あの問題はどうしよう‥‥」と具体的な問題で思い煩います。その具体的なことについて、思い煩うのではなく、神様に祈りなさい、と使徒パウロは勧めているのです。
 そのように、アンナが夜も昼も神殿で神様に祈っていた祈りというのは、なにかお題目を唱えるような祈りではなく、具体的に神様に求めて祈っていた祈りです。
 ではアンナはそんなにして何を祈っていたのでしょうか?
 一つには、彼女が預言者であったということにヒントがあります。預言者の所には、人々が神様の言葉を求めてやってきます。その人々に対して預言者は、必要に応じて神様からの答えや言葉を語るのですが、神さまからの答えは簡単に与えられるわけではありません。時には、何日も何ヶ月も祈り続けなければ答えが与えられません。おそらくアンナは、預言者として、人々のために神様の言葉を取り次ぐために常に祈り続けていたものと思われます。

祈りの答え

 さて、そのようにして昼も夜も時には断食をしつつ神に祈り、神に仕えていたアンナですが、そのような祈りの結果がどうであったかということが今日書かれていることです。もちろん、アンナが心を込めて祈ってきた一つ一つの課題は、いろいろな形で神様が答えを与えて下さってきたことでしょう。
 しかし今日の聖書では、その長い祈りの人生の果てに、何が起こったかということを明確に記しているのです。それが、イエスさまにお会いしたということです。アンナの長い祈りの人生の答えが、イエスさまとお会いできたということです!
 38節には、アンナがヨセフとマリアに抱かれた幼子イエスさまの所に近づいて来て「神を讃美し」たと書かれていますが、この「讃美した」は、「感謝を献げた」という意味でもあります。アンナは、祈りによって神に仕えた人生の旅路の終わり近くになって、ついにイエスさまにお会いできたのです。それが祈りが聞かれたということであると、聖書は私たちに語りかけています。
 祈りというものは、時には私たちには神様が聞いてくださらなかったかのように思われることがあります。しかし今日の聖書は、一つ一つの祈りは、もしかしたら私たちの願ったようにはかなえられなかったかもしれないが、イエスさまに出会うということによって、その目的は果たされるのだと教えています。
 今からちょうど2年前の出来事を思い出します。その教会の教会員である、ある姉妹が天に召されました。その姉妹は79歳でした。彼女は、教会で黙々と奉仕をされる方でした。年連を感じさせないほど良く動き、近くに住むもっと年輩の教会員を車で送り迎えするほど奉仕をされる方でした。そして牧師を支えてくれる人でした。しかし亡くなる4カ月ほど前、癌が発見され、病院に入院されました。すでに末期でした。私たちは彼女の癒しのために祈りました。教会でも祈りました。
 入院した彼女は、病状が刻一刻と悪化し、衰えていくというのに、弱音の一つもはきませんでした。そして年が明けて、亡くなる9日前に、私たち夫婦で彼女をお見舞いにいった時のことです。彼女は眠っていました。小さな声で呼びかけて起こすと、目を開けられました。そしてこのようにおっしゃったのです。‥‥「イエスさま、最高です!」「信じます!」「イエスさまの懐にいます」「感謝です」「イエスさま!イエスさま!」‥‥ということを繰り返しおっしゃったのです。私たちは、彼女がイエスさまのふところにいるのだと思いました。胸が熱くなりました。
 そして1週間後の1月17日の土曜日、昼食を食べた私は、なぜか急に「今彼女の所に行かなくては」との強い思いが与えられたのです。それで病院に行きました。すると、彼女のお嫁さんがうろたえている様子でした。何かと思ったら、たった今容態が急変したとのことでした。いよいよその時が来たようでした。私は驚いて、ベッドの脇に行きました。酸素マスクを付けておられました。私は彼女の手を握り、名前を呼びました。かすかに反応がありました。そして私たち夫婦は、讃美歌461番、逗子教会の讃美歌では484番ですがそれを歌いました。それはご承知のように「主われを愛す」という、おそらく日本で最も親しまれている讃美歌の一つです。
 私たちが歌い始めると、彼女はかすかに唇を動かしました。いっしょに歌っているようでした。そしてこの讃美歌の3節目を歌っている時に、彼女は息を引き取ったのです。その時一粒の涙が彼女の目から流れました。それは私たちに「さようなら」を告げたように思われました。
 皆さん、讃美歌21の484番の3節をご覧下さい。‥‥「御国のかどを、開きて我を、招きたまえり、勇みてのぼらん」‥‥「イエスさまが、天国の門を開いて、招いてくださっている。喜び勇んで上って行こう」という歌詞です!彼女は、はっきりと、自分は天国のイエスさまの所に登っていくと、回りの家族に証しをして行ったのです。
 彼女が天に召された次の日は、日曜日でしたので、前夜式は月曜日に教会でおこなうこととなりました。しかし亡くなった翌日のその日曜日の礼拝後に、教会全体懇談会が予定通り開かれました。そこで私の逗子教会への転任を公にしたのです。つまり、彼女は私の転任の発表の前日に天に召されたのです。私の転任を知らずに天に行かれました。しかし彼女は、私たちを赦してくれるでしょう。なぜなら、彼女はイエスさまの所に行ったからです。そして今、名実共にイエスさまとお会いしているからです。
 彼女の病は癒されませんでした。しかし彼女の究極の願いはきかれたのです。それがイエスさまとお会いするということです。
 アンナは、その祈りの生活の結果、ついにイエスさまとお会いしました。イエスさまにお会いした時、私たちの願いは、かなえられているのです。アンナの生涯は、イエスさまにお会いすることが、信仰生活の目的であり、人生の目的であることを示しています。


(2012年1月22日)



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